2010-09-21

田辺ビルの日々とおかもっちゃんのライターデビュー [北尾トロ 第33回]

悶々とした気分を一掃すべく、銀行口座の残金をみんな下ろして旅行に行くことにした。スペイン、モロッコ、イギリスをぶらぶらし、一文無しになって1ヵ月後に帰国。一晩ぐっすり寝た土曜、田辺ビルに顔を出すと3畳間の住人、おかもっちゃんがいた。

「おお。戻ってきたかね。まるで連絡がないから、金がなくなってロンドン辺りで皿洗いのバイトでもしとるんじゃないかと思ったよ」

「そこはしぶとく、留学生と知り合ってアパートの床で眠らせてもらったりしてしのいだよ。おかもっちゃんのほうはどう? 彼女とまだモメてんの?」

別れる別れないでごたごたしている原因は、煎じ詰めればおかもっちゃんに新たな彼女ができたことにある。だったらすっぱり別れればいいと思うのだが、そこは数年間一緒に暮らした相手。そう簡単には行かないらしい。が、ぼくが不在の間に別れ話はまとまりつつあるようで、おかもっちゃんの表情は明るかった。

「いつまでも、ここにおるのもなんだし、この近所に引っ越そうかと思うとるんよ」

6畳間の壁にもたれてうだうだ話すうち、まっさんがきた。おかもっちゃんとまっさんは、ぼくがいない間に新しい曲を作ったようで、その曲のテープを聴かされた。

「ここ、このあたりにオフコース好きなおかもっちゃんらしさが出てるよね。もう一度聴く?」

何度も何度も聴かされるうちに、おかもっちゃんはギターを弾き始め、サビの部分のコード進行を微妙に変えたいと言い出す。気がつくと日が暮れていた。相変わらずである。

「あたりまえじゃん。1ヵ月いなかったくらいじゃ何も変わらないよ。たいした事件もなかったし、相変わらずの日本だよ」

でも、じつはそうでもなかった。まっさんは伝言ダイヤルにハマっているとかで、そこで知り合った人たちと交流を深め、薄っぺらいミニコミみたいなものを始めるという。誌名は「わにわに」というそうだ。田辺ビルには「わにわに」の関係者が出入りするようになっていて、ぼくは自動的に彼らと知り合うことになった。みんな一癖ありそうで、おもしろそうな同世代だ。

バンドを始めてから徐々に、フリーランスの溜まり場となりつつあった田辺ビルは一段とにぎやかになり、仕事場というよりミニサロンみたいな状況になっている。その証拠に、ぼくはほとんどの原稿を気が散る田辺ビルではなく自宅で書くようになっていった。

とはいえ、自宅なら静かというわけでもなく、髪をピンクに染めた脳天気商会唯一の追っかけ女子大生が転がり込んできて何泊かしていったり、帰宅すると阿佐ヶ谷で知り合った友人が勝手に上がり込んでテレビを見ていたりするので、落ち着かないことに変わりはない。そんなときは、例のバーに避難して深夜まで過ごすのだ。

おかもっちゃんは、会社をやめてライターになることを真剣に考え始めていて、「練習がてらちょっとした仕事をしてみたい」と言うようになった。ちょうど、ラジオ雑誌からアイドルの取材を頼まれていたので、おかもっちゃんが記者、ぼくがカメラマンになって取材をやってみることにした。ラジオ局のスタジオで短時間話を聞き、短くまとめるだけだから難しい仕事じゃない。

「そうかね、わしでもできるかね」

「ヘーキだよ。パーソナリティをしているときの気持ちとか、リスナーの反応で嬉しいこととか適当に聞けばいいんだから。時間だって放送開始前の15分間だもん、あっという間に終わっちゃう。原稿は俺やまっさんがチェックすればいいしさ」

「伊藤ちゃんは写真大丈夫か。どう見たってカメラマンに見えないけど」

たしかに。ぼくのカメラは小さいので迫力が全然ないのだ。

「ま、どうにでもなるよ!」

こうして、おかもっちゃんとふたりでラジオ局へ行った。おかもっちゃんは徐々に口数が少なくなっていき、スタジオへ入る頃には顔面蒼白になっていた。ぼくはぼくで、ストロボを使った撮影の手順を忘れないようにと、そればかり考えている。

取材相手のアイドルIは不機嫌だった。マネージャーとケンカでもしたのか、局のスタッフに「やってらんないわよ〜」なんてぼやいている。取材のこともロクに伝わっておらず、「何よアンタたち」てな態度だ。

おかもっちゃんは上がりに上がっており、緊張のためか質問がまどろっこしい。

「えー、それでですね、Iさんはリスナーの方々の、あー、その、反応はいかがですか?」

「知らないわよそんなの」

「手紙がきたりして、そのー、やっぱりうれしいですよね」

「仕事だもん。それより写真、まだ? あんた本当にカメラマン? 早く終わらせてよ!」

天井にフラッシュを当てて光がまわるようにしなくてはならず、慣れないぼくは「とにかく枚数だ」とばかりに、しつこく撮影していたのだ。

こんな調子で小娘に叱り飛ばされながら取材を終えたときには、ぼくもおかもっちゃんも疲れ果てていた。

「10代のコにあんな口を叩かれても謝ってばかりか。ライターもつらいねぇ」

そんなことを言っていたおかもっちゃんだったが、雑誌が発売され、そこに自分の名前がクレジットされているのを発見すると、目を細めて何度も読み返していた。ぼくが撮った写真は光量不足のためほとんどが真っ黒だったが、1枚だけバッチリ笑顔が撮れていたのでそれを使い、編集者から「写真、うまいじゃないですか」とホメられた。

「楽しい取材じゃなかったけど、なんとかなるもんだよ。で、もうしばらくするとギャラが振り込まれてくるってわけ。おかもっちゃん、インタビューは苦戦したけど原稿はスムースに書けたし、問題ないんじゃない?」

「そうかねぇ、伊藤ちゃんも最初はあんなふうに上がったりしたかね」

「したした。もうメロメロだった」

「ふーん、そっか」

おかもっちゃんはライターになるだろうな。ニヤニヤしながらまた記事に目を落とす横顔を見て、ぼくは確信を抱いた。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった