2010-04-19

「北尾トロ」が誕生した瞬間!  [下関マグロ 第23回]

スキー雑誌の取材に出かける前日、神保町にあるスキーショップで、ウエアの上下とバッグを買った。全部で2万円弱だったろうか。プライベートでスキーに行くことは有り得なかったので、なるべくスキー以外でも使えるものを選んだ記憶がある。

現場への移動については、まったくお気楽だった。なぜなら伊藤ちゃんがすべてお膳立てをしてくれて、僕は彼が運転する車にただ乗っていれば良かったからだ。

取材は何泊にも及んだが、食事代などすべては学研が支払ってくれるので、それがお金のない僕には何よりうれしかった。

伊藤ちゃんは僕よりもスキーができるので、ゲレンデ取材もしていた。スキー雑誌にとってはメインの記事で、どのスキー場にどんなゲレンデがあるかという紹介のための取材だ。これは、滑るコースなどを写真付きで紹介するので、なかなか難しい。滑りながら写真を撮らなくてはいけないからだ。

「まっさんは、下を取材して」

僕は伊藤ちゃんから、そう指示された。下というのは、スキー場の周辺にあるレストランや、お土産物屋さんなどの店のことである。

考えてみれば当時の僕らには、スキー雑誌だろうがなんだろうが、取材をするためのスキルが意外と身についていた。たとえば、取材に写真撮影はつきものだ。僕らよりも上の世代はカメラマンと記者は分業化されていたけれど、僕らの頃からはライターも写真を撮ることが多かった。街頭や海水浴場で女の子の写真を撮り続けた『ムサシ』の仕事も無駄ではなかったのだ。この取材でも、伊藤ちゃんは高橋名人から買ったキャノンAE-1を首からぶら下げていた。僕はニコンのFAで、いずれも一眼レフカメラだ。

写真を撮影する道具も今と昔ではずいぶんと変わってきている。当時はまだデジタルカメラなんてない。すべてがフィルムのカメラである。だから、撮影しながら、「一枚も映ってなかったらどうしよう?」と不安に駆られることがしばしばあった。

そんな取材旅行から帰る頃には、取材メモや撮影済みフィルムがどっさりたまっている。フィルムはすぐに「ボブ・スキー」の編集部に渡し、僕らは取材メモだけ取っておいた。

そんなことを3月くらいまでやっていただろうか。そしてゴールデンウィークが過ぎて初夏を迎えると、僕らは毎日のように学研のボブ・スキー編集部へ足を運ぶ日々を過ごした。

この年の夏、僕は荻窪にある田辺ビルという古いビルに引っ越した。家賃は6万5千円で、古いが念願の風呂付きだった。

僕は荻窪から世田谷区上池台にあった学研の本社まで、けっこう遠かったけれど三輪バイクで通った。電車だと国鉄や私鉄の乗り換えが大変で、晴れている日はバイク、雨が降る日は仕方なく電車だった。

学研では、冬に行ったスキー場の写真を整理し、せっせと原稿を書くはずだった。が、いざ直面すると、何をどう原稿にすればいいかよくわからなかった。はかどらずにいたそんなとき、僕はなんとなく読者ページの仕事を振られた。おもしろいページにしたいので、伊藤ちゃんにも手伝って貰うことにした。

「増田くん、雑誌で何かを説明するときに〝狂言廻し〟がいると便利なんだよ」

パインがよくそう言っていたのを僕は思い出した。狂言廻しとは要するに、状況を説明するキャラクターみたいなものだ。僕らは自分自身をキャラクター化することにした。

しかし、僕は増田剛己、伊藤ちゃんは伊藤秀樹。名前がちょっと固い。そこで、この読者ページでは、なにかペンネームを使おう、そう伊藤ちゃんに提案した。

ボブ・スキー編集部にはフリーの記者席のようなものがあった。社員や編集者には当然だが決まったデスクがあり、僕や水島や伊藤ちゃんらフリー組は、同じフロアの中央にいくつか並べられたフリー記者席の適当な場所で、原稿書きなど作業をする。

この日は僕がけっこう早めにデスクについて作業をしていた。そこへ伊藤ちゃんがやって来て、いきなり僕に言った。

「決めたよぉ!」

なにを決めたのかと思えば、ペンネームだった。えっ、なになに、どんな名前!?

「それはねぇ、〝トロ〟だよ!」

「おっ、いいねぇ。いいよぉ。しかし、トロだけっていうのはちょっとわかりずらいから苗字を付けようよ!」

言いながら、僕はなぜか双羽黒のことを考えていた。

数日前、北尾が大関から横綱となり、「双羽黒」という名前に変わったばかりだった。僕は北尾が好きだったし、輪島のように横綱になっても本名で相撲を取り続けて欲しかったのだが、なんだか変な名前に変えられてしまい、僕はいい気持ちがしていなかった。

そこで即座に「北尾」という苗字はどうかと伊藤ちゃんに提案した。そして伊藤ちゃんからの異議はなかった。そんなわけで、北尾トロという名前が誕生した。同時に僕は「マグロ」にすることにした。トロとマグロっていいかんじではないか。

そのとき、ペンネームはあくまでも、読者ページで一時的に使うかりそめの名前だった。

その場のノリでつけた相撲取りや魚の名前を、20年以上も使い続けることになるとは、僕や伊藤ちゃんはその時、知る由もなかった。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった