2009-10-26

怪しいニューメキシコの水島 [下関マグロ 第11回]

去年の夏のことだ。千代田区立図書館で本を借りようとしているときに後から「まっさん」と声をかける男がいた。

僕のことを「まっさん」と呼ぶ人間は限られている。本名が増田だから、〝まっさん〟と呼ばれていたが、そういう呼び方をするのは、この世でほんの数人だろう。

振り返れば、そこには水島がいた。ニューメキシコの水島である。何年ぶりだろう。10年以上は会っていないはずだ。しかし、おもしろいもので、昔の知り合いというのは、時間を飛び越え、すぐに会話ができる。相変わらずおしゃれで、高そうなワイシャツを着ていたので、

「よぉ、なんだか、羽振りいいらしいじゃない。今、新宿?」

と僕は水島に言った。彼は一瞬、どうしていいかわからないという表情になり、照れ笑いを浮かべ、

「まあ、そんな時期もあったのぉ。いい夢を見させてもらったよ」

と言った。

「えっ、新宿で従業員が50人だとか、100人だとかの編集プロダクションやってたんじゃないの」
「まあ、いい時はほんの一瞬でなぁ、最後の2年間は毎日のように金策で大変だったよ」

と話す。さらに大きくなった自分の子供の話や奥さんの話が出て、別れ際に今は、小さな出版社で働いているのだとかで、名刺をくれた。

図書館を出て、僕は北尾トロに興奮ぎみに電話をしていた。

「いやぁ、びっくりしたよ。今、水島に会っちゃったよ」

と言ったが、なんだか、反応が鈍い。

「ほら、あのニューメキシコの水島だよ」

と説明するも、会社が倒産して云々というような話をされた。そして、後日、くわしく話を聞けば、水島は編集プロダクションを倒産させ、知り合いのライターやデザイナーなどの多くは、ギャラが未払いで、迷惑をかけたまま行方不明になったのだそうだ。

「そういうのに、まっさんは関係ないから水島も声をかけたんじゃないの」

そうかもしれない。

今から20数年前……。えーっと、水島とはどうやって知り合ったんだっけ。まったく思い出せない。

あの頃は、なにをやっているのかわからない胡散臭い人間でもとりあえずつきあっていたように思う。お互いに新しい人間関係に対してもとにかく貪欲だった。

そういえば、この時期、橘川幸夫に電話したことを思い出した。橘川幸夫というのは、渋谷陽一と『ロッキンオン』を創刊した人で、後に『ポンプ』という全面投稿雑誌を創刊した人だ。今でいえばさしずめ「2ちゃんねる」のようなもので、その印刷板だといえばいいだろうか。創刊されたのは僕が大学に入学した1978年で、大学時代はずっと『ポンプ』を愛読していた。

そして、いま話をしている1984年にもまだ『ポンプ』は出ていたが、次第にあまり読まなくなっていた。と、どこにどう載っていたのかわからないけれど、橘川幸夫がおもしろい人を求めるというような記事とともに事務所の電話番号を載せているのを見つけた。僕はその記事を見たとたん、反射的に電話したのを覚えている。貪欲に人間関係を広げたかったのだ。

「あの、『ポンプ』にも投稿していた増田といいますが」

と言ったが、なんせ投稿者はたくさんいるから、橘川さんもわからないだろう。やはり、こう聞かれた。

「キミはなにをやっているんですか?」

ハッとした。今、自分は無職だ。何者でもないのだ。何かをやりたいけれど、まだなにひとつもモノにはなっていない。でも、自分はおもしろい人間だと思う、そう答えると

「しかし、具体的に何かをやっているわけではければ、僕はあなたとどう絡めばいいかわかりませんよね」

と言われ、電話を切られた。その時は、ずいぶん冷たいなとも思ったが、後になって、僕自身が電話番号やメールのアドレスを公開し、多くの人からコンタクトをもらったときにそれはよくわかった。いくら自分がおもしろい人間だと言われても、具体的に何かをやっていなければ、こちらもどうからんでいいかがわからない。

大人の橘川さんは、まだ何者でもない僕をまったく相手にはしてくれなかったけれど、水島や伊藤秀樹(北尾トロ)は違った。何者でもない僕と楽しく接してくれたのだ。

当時の手帳を見ると、1984年の9月28日水曜日<ニューメキシコにtel 名刺>と書かれている。

ニューメキシコは、名刺を安く印刷できるというので、僕は名刺の営業をやっていたのだ。知り合いの会社に名刺を作らないかと聞いてまわり、ニューメキシコに発注するというものだ。利益は薄かったが、薄利多売でいこうかと思っていた。しかし、実際の結果は薄利少売に終わってしまった。

ちなみに伊藤秀樹(北尾トロ)の引っ越しが10月1日だった。その数日後に北尾トロの原稿にあるとおり、僕がニューメキシコに彼を連れて行ったこと、焼き鳥のことなどは僕も覚えている。

ニューメキシコには3人のメンバーがいた。当時はまだいなかったのだが、後に三池という男がここのメンバーになる。彼が、三才ブックスという出版社を僕らに紹介してくれるのだ。それがきっかけとなって僕と北尾トロの仕事はさらに広がりを見せることになるのだが、それはまだ先の話。

しかし、どうしても水島との出会いが思い出せない。だったら本人から直接話を聞けばいいじゃないか。僕は名刺入れから、去年の夏に水島からもらった名刺を探した出した。おお、これこれ、出版社の名刺だ。電話をしてみると、若い女性が電話に出た。

「あの、水島さんいますか?」

「もう、その人間は退職しています」

えっ、連絡先はわからないのかなぁ。とにかく僕は去年の夏に水島から名刺をもらったことを話し、怪しい人間ではないので、なんとか連絡先を教えてくれないかと頼んだ。

「去年の夏ですか……、その時期に水島はすでに会社をやめていましたが」

なんだか拍子抜けであった。が、まあ水島というのは、そういう人間なのかもしれない。やめた会社の名刺を僕に渡していたのだ。

「そうですか、じゃ、もういいです」

僕はそう言って電話を切った。水島と知り合ったときのことはわからずじまいである。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
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