山元大輔[生物学者]●欲望の価値

伏見憲明は、日本のゲイ・コミュニティーを代表する評論家・作家である。そして『欲望問題』。とくれば、ゲイ・レズビアン=被差別者・マイノリティーからの社会批判ないし告発、しかもどことなく爆笑問題を連想させるタイトルからは、伏見流のちょっと“おちゃらけ”の隠し味が効いた軟着陸路線の本だろうとの予断を呼ぶ。この予断が油断となり、軽い気持ちで一ページ目を開くと、にわかに緊張を強いられることになる。

その文章はいきなりシリアスなのである。しかも、小児愛者を許容できるか否かの論議で始まる冒頭部分。常識的には、小児性愛ほど忌まわしいものはない。それは無条件に排斥すべきものであり、小児愛者=異常者である。しかし、伏見憲明がこの問題を取り上げる時、私は不安に駆られた。おそらくその不安は、私の“常識的感覚”を伏見とは共有できないのではないか、という不安なのである。私が伏見を“あちら側の人間”として、どこか心の深層で感じていることをそれは意味する。

むき出しの表現を敢えてとるなら、伏見は同性愛者であり、世の中の多数を占める異性愛者=マジョリティーとは区別される集団の一員であるのに対して、私は“普通の集団”に属している、という私の中の潜在的差別感に根ざしていると言える。実は、これがまず伏見が摘出したかったポイントなのではないだろうか。伏見を基準としたとき、自分が「こちら側」の人間か、「あちら側」の人間かを読者自身に否応なく答えさせる、そういう展開になっている。

「こちら側」と感じるのか、「あちら側」と感じるのか。本書が問う問題の本質がある。そして意外にも(?)、伏見は小児性愛を忌むべきものとして彼岸に、つまり伏見自身の属さない「あちら側」へと追いやる。こうして「こちら側」へと“越境してきた”伏見に、私は安堵し、信頼感を持つことになるのだ。しかし伏見のこの越境は、“命がけ”だった。

小児愛者が子供に性的に欲情するのは(しかもおそらく彼らは性欲のはけ口としてのみ子供をみているのではなく、本気で恋したりもすると私は推察する)、伏見が自然に男性に恋し、私が自然に女性に恋をするのと同じであり、それ自体が犯罪的ではあり得ないだろう。にもかかわらず、同性愛者であることによって差別と抑圧を受けてきたものが、小児愛者を差別し抑圧する。

ここに、うっかりすると見逃してしまうポイントがある。それは、“自然に”恋する、という点である。初恋を思い返してみればよい。あなたの心に決して消えることのない鮮烈な思いを残したその相手は、女性だったか、男性だったか。そこに選択の余地はなかったはずだ。稲妻のごとく押し寄せるその情感には、思考の介在する余地など微塵もない。その“感覚”こそ、自然な恋愛である。それは本能であり、脳に組み込まれた無意識の神経装置が機能した結果なのである。それは、育つ環境や教育によってほとんど左右されることのない、脳のハードウェアの性質によるのである。小児性愛にも同様の堅固な土台があるに違いない。となると、それは矯正など容易に出来るものではないのだ。こう問うてみるとよい。矯正によって、自分の異性愛(同性愛)は揺らぐだろうかと。

恋愛に動機など必要ない。恋愛だけではない。ヒトの多くの行動には「動機=意識される理由」など存在しないのである。人を殺すこと−自殺を含めて−にすら、多くの場合、動機などない。しかし社会は理由を求める。脳の配線のわずかのたわみが、“想定の範囲外”のことを人にさせるものなのだ。

自動装置としての脳は、進化の所産である。それは、動物、そして人の、欲求行動を支えるマシンとして、何億年もの歳月を費やして築かれた。科学的発見による知的興奮も、経済的充足も、セックスの快感を生み出す神経回路そのものによって生み出される。神経回路にとって、高級も低級もなく、それは単に欲望として存在するに過ぎない。

そう考えるとき、一見、あやふやな「欲望」と言うくくりで「痛み」も「正義」も一緒に束ね、そのいわば駆け引きを通じて多様な価値に折り合いをつけるという伏見の主張に、実はきわめて合理的な基盤があることに気づかされる。

例えば、小児愛者の欲望は、社会を平和に健康に維持しようとするもう一つの欲望により、抑圧される。この場合、両者が折り合いをつけるための「線引き」は小児愛者の欲望の大半を切り取る場所に設けざるを得ない。その線とは、結局、「あちら側」と「こちら側」を隔てる欲望の境界線である。

マルクスは労働が商品となり、労働量(時間)があらゆる生産物の共通の通貨として機能することを示した。その中で等価交換の成立しない労働力搾取の構造を暴きだした。しかし、我々には、労働時間よりももっと身近な共通の通貨があったのである。それは、「欲望」である。

自らはさんざん女性としての生活を享受しながら、空想の世界以外にはありえない性差の抹消を主張する不誠実なフェミニストたちの残骸の上に、伏見は新しい価値の塞を築いた。そこには生々しく、生き生きと、欲望を抱え、そして差別をつねに内にはらんだ人間の本当の姿がある。

やまもとだいすけ●
1954年東京都生まれ。東京農工大学大学院農学研究科修士課程修了。早稲田大学教授などを経て、東北大学大学院生命科学研究科教授。行動遺伝学専攻。

【著書】
心と遺伝子/中公新書クラレ/2006.4/¥780
睡眠リズムと体内時計のはなし/日刊工業新聞社/2005.5/¥1,200
男と女はなぜ惹きあうのか/中公新書クラレ/2004.12/¥760
記憶力/ナツメ社/2003.6/¥1.300
超図説 目からウロコの遺伝・DNA学入門(訳)/講談社/2003.2/¥1,900
恋愛遺伝子/光文社/2001.10/¥1,500
3日でわかる脳(監修)/ダイヤモンド社/2001.9/¥1,400
遺伝子の神秘 男の脳・女の脳/講談社+α新書/2001.7/¥840
「神」に迫るサイエンス(瀬名秀明、沢口俊之らとの共著)/角川文庫/2000.12/¥619
行動の分子生物学/シュブリンガー・フェアラーク東京/2000.12/¥4,000
脳が変わる!? 環境と遺伝子をめぐる驚きの事実/羊土社/1999.1/¥1,500
行動を操る遺伝子たち/岩波科学ライブラリー/1997.5/¥1,200
脳と記憶の謎/講談社現代新書/1997.4/¥660
本能の分子遺伝学/羊土社/1994.6/¥2,621
ニューロバイオロジー(訳)/学会出版センター/1990.7/¥9.708
神経行動学(訳)/培風館/1982.5/¥4,900