松江哲明[映画監督]●「欲望肯定」

 「この本はパンクロック」と伏見さんは書いてるけど、僕も読んでいる間はそんなジャンル分けというかカテゴリーが気になって、思想書というのが一番しっくり来るのだとは思うが、こんなに「(笑い)」が多い(いや、実はそんなに多くはないのだが気になる)のもそうないんじゃないか、と思う。まぁ、この言葉というか記号は自分自身で笑う、もしくはノリツッコミのようなものとして使われる場合が一般だが、この場合はどうも違う。僕は見知らぬ誰かのブログやmixiで使われるとほぼ「面白くもないのに笑うな」と冷たい反応をしてしまうのだが、『欲望問題』に関してはその「(笑い)」さえ巧妙な、それを書いた伏見さんがどこからか僕らを俯瞰してるような、妙な居心地の悪さを感じた。それは「もうここまで書いちゃったんだから笑うしかないでしょ」といった切実さが感じられ、または「ま、それでも私は笑っちゃうんだけど」といった余裕も感じられる。つまり伏見さんは僕らが想像する以上の何かを察した上でこの言葉を使っている。そんな巧妙な罠が仕掛けられた「欲望問題」だが、これだけ作者の主観が剥き出しな本も珍しく、確かに笑わなきゃ書けないわ、とも痛感させれる。初期衝動とはいえ伏見さんはこれまで何冊も本を書いていて(個人的に『性という[饗宴]』は特に好き)、それ故に「初期」とは矛盾をしてるのだが、『欲望問題』を読む限り、これは「初期に還った衝動」ではないかと思う。初期に戻らざるを得ない、というか「一回リセット」みたいな。いや、リセットだと全部なしにしちゃうから、これまでの経験を生かした上でのリセット。つまりは「大人になって始めるパンク」。
 何せテーマが「欲望」だ。この本に書かれてるそれは、もの凄く我がままで傲慢なものだ。それは「あんなこといいな、できたらいいな」程度の欲ではなく、セックスであり、互いのリスクであり、または一方的で合意のないレイプであり、マズイと分かってても止められない少年愛であり、つまりは結局「人間はチンポであり、まんこなんです(バクシーシ山下著『セックス障害者たち』)」のことである。そんな生々しい「欲望」の一例として「一章」の冒頭で書かれる鈴木さん(仮名)からの手紙は最も切実だ。僕はこの本を読んだ時期でもある年始、親族を殺すといった事件がいくつか報道されたせいか、ギリギリな人間関係がプツッと切れる何かを知ってしまったからか、そんなような前兆を勝手に感じてしまったからか、28歳の同性愛者の持つ痛みが切々とに伝わって来てしまった。良かったと思えるのは彼がそのことの危険性を自覚してることぐらい。けれど伏見さんが書くように、少年に手を出してしまう寸前である彼と僕との差なんてこれっぽっちもない。なぜなら人間の持つ欲望に制限はないし、誰にも決められないのだから。そんな彼に対して伏見さんは「我慢してください」としか答えられないが、多分、僕もそうとしか言えない。伏見さんはそんな自分を自覚してるからこそ「(笑い)」しちゃうんだと思う。それってとても正直なことだと思う。
 僕は日本で生まれで日本国籍を持つ、けれども両親共に韓国の血を引く在日韓国人(三世)だが、自分がどのような存在なのか、またどのようにこの日本で生きて行くべきか悩んだことがある。そのことに関しては2本のドキュメンタリー映画を通して考えたが、やはり結論は出なかった。けれど両作共、道筋というか撮影の仕方を意識的に変えている。一本はストレートに自分自身の家族を主題にし、もう一本はAVの職に就く異なる世代の女優、男優を通して、と。その男優が映画のラストで僕のインタビューに対してこう、答えている。「止められないよ、人間の欲望は」。彼は北朝鮮籍で生まれ、朝鮮学校に通い、北の政策を受け入れつつも、挫折。20代後半になって自身のアイデンティティに悩み、韓国籍に変えて現在はAV男優をしている。ハッキリ言って彼のセックスは強く、僕の知る限り最も楽しそうに(気持ち良さそうに)AVでセックスをする男優だ(ちなみに伏見さんは上映時に行ったトークショーで彼のことを非常に気にしていた)。彼は自分の欲望を曝け出し、時にはアイデンティティに悩みつつも、赤裸々に生きている。
 僕はそんな彼が必要とされる社会があることが嬉しい。自身の欲望を表現する場が。「欲望問題」を抱えた全ての人がどれだけそれを解消出来ているのかは分からないが、それを自覚した上で共に生きる、という選択肢を学校や社会では教えてくれない。それは自分自身で見つけるしかないのだ。しかしこの本にはそれを気付かせてくれるヒントがたくさんある。「これって鈴木さんの手紙に対するある種の答えになっているのでは」と思う箇所には涙腺を刺激されたし、何か心をギュッと絞められるような(けど、どこかやさしい)言葉をたくさん見つけた。伏見さんが横でニコニコしながら「欲望」を抱えた僕らを肯定してくれる、ような。
 少年愛に悩む鈴木さん、妹を殺した兄、夫をバラバラにした妻、彼等の窮屈さを思うといたたまれなくなる。プレッシャーを克服するのは自分自身でしかない。僕は22歳の頃、そんな重みに耐えきれず家を出た。あのまま家に居たら、現在は妹とも両親とも会話も出来なかっただろうと思う。僕は映像という手段で自分の欲望を表現している。現実を素材にするドキュメンタリーという手段ゆえに相手を傷つけることもあるが、それぞれの関係性の上で作品を作る。
 それが僕の欲望だ。
 僕は映画や漫画といったサブカルチャー、それと何人かの女性によって欲望をコントロールすることが出来た。あの思い出したくもない22歳の時期に『欲望問題』と出会ったいたらどんな思いで読めたのだろうか。今となってはそれは不可能なのだが、とりあえず25歳の童貞の知人には薦めようと思う。

【プロフィール】
まつえてつあき●1977年、東京都生まれ。ドキュメンタリー監督。日本映画学校の卒業制作にて制作した『あんにょんキムチ』(1999年)で山形国際ドキュメンタリー映画祭アジア千波万波特別賞&NETPAC特別賞受賞。『スタジオ・ボイス』誌にてエッセイ「トーキョー ドリフター」を連載中。
公式BLOG:http://d.hatena.ne.jp/matsue/
★3/15(木)下北沢LA CAMERAにて行われる「第二回ガンダーラ映画祭」にて新作「童貞。をプロデュース ビューティフル・ドリーマー」を上映。
詳細はガンダーラ映画祭公式ブログにてhttp://blog.livedoor.jp/gandhara_eigasai/

【著書】
あんにょんキムチ/汐文社/2000.7/¥1,300
【映画作品】
『セキ☆ララ』(ドイツ・シネアジア映画祭、山形国際ドキュメンタリー映画祭上映/2006)
『童貞。をプロデュース』(2006)
『カレーライスの女たち』(ハワイ国際映画祭上映/2003)
『2002年の夏休み ドキュメント沙羅双樹(一般劇場公開)』(2003)
「ほんとにあった! 呪いのビデオ」シリーズ(01〜02)
舞台「ハルモニの夢」では脚本を担当。
『あんにょんキムチ』(1999)
【役者作品】
『花井さちこの華麗な生涯』(2005・女池充監督)
『ばかのハコ船』(2002・山下敦弘監督)
『手錠』(2002・サトウトシキ監督)

このエントリへの反応

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