2012-11-20

第22回■heart of gold

「この東京の夜には、一千万もの孤独な魂達が浮遊している。そして、誰かと繋がりたいと思い、SOSを発信するのだ。幸せな恋人達や愛ある家族達の温もりを知らず、何故、一人であるのかを自問自答し、足掻く。そんな“思い”の行き所はどこにあるのだろう?」

これは、私のテレクラ仲間が呟いた言葉である。40代の自称・新聞記者兼小説家(たぶん、嘘)。彼とは深夜に車を飛ばし、横浜に住む子持ちで、離婚経験のある女性の家に上り込み、時間差で、その女性との秘め事(!?)を共有した“関係”である。ほとんど俗物といえるような下世話な男だが、珍しく、哲学的で文学的なことを吐いたから、驚いたものだ。

彼によると、そんな孤独な魂が発する信号をキャッチすれば、確実に会うことができるという。信号をキャッチしたからかわからないが、某撮影所の技術者である30代の女性とは、最初の家庭訪問以降、度々、家へお邪魔することになった。

私が仕事を終え、電話をして、彼女が家にいれば、伺う(というか、行く!)形だ。不規則な仕事なので、9時5時というわけにはいかず、彼女自身の帰りが深夜になることもあったが、断られることもなく、上り込ませていただいた。テレクラ活動を通して多少ずうずうしくなったというか、押しは強くないのだが、そのくせちゃっかりと自分のやりたいことを通すという厚顔無恥さが加わったのだろう。関西人のように「ええやろ? ええやろ!」といって迫るわけではないが、自然と押し引き(引いたと見せかけ、押しているのだが)を身に着けたのかもしれない。

まるで、仕事帰りに立ち寄る居酒屋やスナックのような感じ。さしずめ、彼女は女将やママのような存在だ。いつも笑顔で迎え入れてくれ、仕事の疲れを癒してくれる……。

なんとなく部屋へ上がり、酒を飲みながら、他愛のない話をして、彼女の愚痴を聞いたりする。そして、気づくと二人は、ベッドの中で朝を迎える。もし私が実家住まいではなかったら、彼女の家に居ついて、同棲などをしていたのかもしれない。
もっとも、そんな関係を築くほど個人情報は把握してはいなかった。いきなり会って、セックスして、入り浸ったわけだから、普通の付き合いなら知っているような家庭や仕事、性格や嗜好などもほとんど知らない。都会の片隅で、名も知らぬ男と女が出会い、静かで、時には激しい夜を分かち合うなど、「風情」と言ってもいいような赴きあるのではないだろうか。お互いがお互いをよく知らない、変に知ろうともしないという非日常の付き合いが心地良かったりもする。なんか、ベルナルド・ベルトリッチ監督の『ラスト・タンゴ・イン・パリ』の匂いも少しあったりして……なんとも官能的だ。

シルクのドレスシャツ

まるで、映画やドラマのシークエンスのようだが、ときおり、撮影した素材の急な直しがあって、彼女が撮影所に呼び出され、戻るまで、私が一人で留守番をするなんていうこともあった。かなり不自然なシチエ―ションでもある。流石に、自分の着替えや洗面道具を置くような真似はしなかったが、短期間ではあるものの、かなりの頻度で通っていた。“通い妻”“押しかけ女房”ならぬ、“通い夫”や“押しかけ夫”か。勿論、扶養など夫らしいことはしていないし、彼女自身、独立している女性である、そんなことを求めてはいない。当たり前だ。“恋のピンチヒッター”、“スーパーサブ”に過ぎない。

それでも彼女の話は聞いてあげていたような気はする。主に仕事のことだったように思う。私自身は、フリーター時代以降、とある企画関係の会社にフリーランスの立場で入り込み、仕事には恵まれていたため、仕事の愚痴などは一切、言わないし、当然、独身だから家庭の悩みなどもない。むしろ、私が客の愚痴を聞いてあげる女将やママの役回りをしていたといっていいだろう。特にアドバイスなどはないが、笑顔で聞いて、「いいんだよ」なんて、後の“夜回り先生”みたいな台詞を吐いていた。四面楚歌の世の中(というほど、大袈裟ではないが)に、誰か、自分を肯定してくれる人がいるだけで、安堵するものだし、私のようなろくでなしを受け入れる自分がいることで、自らの価値を再確認したりもしていたのかもしれない。アダルトチルドレンや共依存などという言葉が一般化するのはもう少し後のことだが、既に、そんな萌芽があったのかもしれない。バブル景気で浮かれながらも、どこかで寄り添いたいという思いが東京の片隅では吹き溜まっていたのだろう。

家へ行って、酒を飲んで、話して、セックスするだけの関係で、恋人らしいことは何もしなかったが、唯一、恋人の真似事をしたとしたら、プレゼントだ。どういう経緯からか、彼女からプレゼントを貰ったのだ。特に感謝されるようなことは当然の如く、何もしてはいないが、誕生でもないのに、楽器(サックスとピアノ)のイラストが描かれたドレスシャツをプレゼントしてくれたのだ。いわゆるワイシャツとは違い、布地もコットンやポリエステルではなく、シルクだった。うろ覚えだが、ボーリング・シャツを少しお洒落にしたような感じだろうか。私のためにわざわざ、買ってきてくれたのだ。

そのドレスシャツは、彼女があるブランドのセールで買って来たものだった。もともと、そのセールの案内をもらっていたのは私である。いまでは考えられないことだが、当時はアルマーニ(といってもジョルジョではなく、エンポリオくらい)やヒューゴボス、ヒルトンタイムなどのブランド服を持っていて、時々、晴れ着として着てもいた。流石、ベルサーチやアルマーニを全身纏うバブル紳士みたいな恰好はしていないが、そんな関係で、同ブランドを輸入している代理店などからセール葉書をよく貰っていたのだ。たまたま私が行けないので、彼女にその案内を上げたのだ。実家に着たセール葉書をそのまま差し出したわけだから、勿論、私の本名も住所も筒抜けだ。匿名の出会いだったが、ほどなくして、記名の付き合いになっていたのだろう。彼女としても身元不明者をそう何度も家に上げるわけにもいかない(笑)。

シルクのドレスシャツなど、どう考えても私には似合いそうもないが、彼女的には、似合うと思って見立ててくれたのだと思う。私がいない時にも私のことを考え、何かを私のためにしてくれるというのは嬉しいことだ。私のようなものにはもったいないくらいだ。シャツそのものは、失礼ながら、あまり趣味が良くなく、私としては気にいらなかったが、勿論、笑顔を作り、喜んでもらった。

翻って、私が彼女に何かをプレゼントしたかというと、それがあまり記憶ない。失礼な限りだが、多分、お礼に、少しいいお酒を持っていったような気がする。酒は何でもいける口の呑兵衛の彼女にはアルコールが一番のプレゼントだったのだろう。映画やテレビなどでいうといわゆる“消え物”だが、田園調布の“お嬢様”の時に、形の残るものをプレゼントしてしまい、そういうものは、私のような人種には相応しくないと身にしみて感じたのだ。

もうひとつの狩場

彼女の家に泊まり、そのまま仕事先へ行くこともあった。彼女の家から祖師ヶ谷大蔵駅へ行き、小田急線に乗るわけだが、当時、同時並行で祖師ヶ谷大蔵地域において釣果を上げるため“網”を張っていた関係で、ある女性と鉢合わせないか、内心、どきどきしたことを覚えている。

実は、その網はテレクラ系ではなく、失業後の隠遁生活(!)時代に嵌ったキャバクラ系である。“まなこ複眼 脳がない”は「昆虫群」(by  ハルメンズ)の歌詞だが、常に複眼的に漁場や狩場に目をやり、どうすれば釣果を上げ、獲物を仕留めるかに脳を悩ませてきた。その女性は、私のホームである新宿・歌舞伎町のキャバクラ嬢である。20代半ば、昼はOL、夜はキャバクラに勤めていた。まだ、肉体関係にはなっていないが、数回、デートらしきことをして、彼女の家にも行っている。家の前までで、まだ、上り込んではいないものの、もう一押しというところ。その女性が同じ駅を利用していて、OLだから当然、朝に出勤をしているので、同じ時間帯に同駅にいることも充分、考えられたのだ。幸いなことに、鉢合わせは避けられた。

折角、“雨宿り”や“居酒屋の女房”のような、いい雰囲気の女性との“逢瀬”を味わいながらも、常に次の一手を打っているところなど、私らしいというか、相変わらずの、一途とはほど遠い、ろくでなしぶりに我ながら呆れたりもする。でもそれが私だから、しょうがないといえば、しょうがない。当然の如く、一途などというものに価値などは見出してはいなかった。

多分、彼女との時間に居心地のいいものを感じながらも、どこかで、ここは自分の居場所ではないことを悟っていたのだろう。彼女とどうにかなろうとか、明日を考えることは一度もなかった。ただの通りすがりだ。それゆえ、自分の着替えや洗面道具を置くような真似をしなかったのだろうし、彼女自身、私のために、そんなものを買い揃えるようなこともしなかった。お互い、いつかは離れること、一時の慰みであることを本能的に察知していた。

“その時”は、当たり前だが、突然にやってきた。馴染の店(!?)に通い出して数か月後、いつものように、仕事終わりに電話をして立ち寄ろうとしたら、いきなり断られてしまったのだ。聞けば、彼氏が出来たという。同じ職場の仕事仲間で、前から熱心にアプローチされていたそうだ。せめて今夜くらいは最後に温まりたい、そんな思いはあった。季節は初秋を過ぎ、晩秋へと移ろうとしていた(「初秋」と「晩秋」なんて、ロバート・B・パーカーか。ハードボイルドだろ)。

最後にやらしてなんて下品な言葉は吐けないし、そんなお願いをするほど、固執する私ではないが、彼女は“テレクラ系セックス・ランキング”の上位に位置するだけに、惜しいというか、残念という思いは込み上げる(笑)。重力に負け、色がくすんだとはいえ手に余る巨乳と、括れのある腹から腰への放物線、甘えながら、しな垂れかかり、求め、挑むような眼差とともに、濃厚な情交の記憶は、未だに脳裏と身体が覚え、心の奥底に刻み込まれている……なんてね。

とりあえず、木梨サイクル周辺からは撤収だ。折角、馴染の、行きつけの店(!?)が出来たというのに寂しい限り。勿論、テレクラ男という分は心得ている。深追いする資格など、私にないことは充分に知っている。束の間の邂逅ではあったが、そんな出会いがある人生と、ない人生では大きく違うように思う。出会いと別離を繰り返し、私も悟り、大人になっていく。

その後、彼女がどうなったかまったく知らないし、調べようともしなかったが、彼女の名前がクレジットされた映画などを見ることがときどきあり、その度に、時々、思い出したりもした。もっとも、それがロマンティックな作品かというとそうでもなく、子供向けだったりするから可笑しなものだ。きっと、その映画のエンドロールを見て、妙に懐かしく、ちょっと切なくなったりするのは、私くらいだろう。
先日の『カメレオンマン』のウッディ・アレン繋がりでいうと、『カイロの紫のバラ』という感じだろうか。彼女は銀幕のスターではないが、銀幕に関わる女性であることに変わりない。

孤独の魂を巡る旅路は、まだ、続いていく。Long And Winding Road! 誠実とはほど遠い私だが、今宵、あなたの心の隙間に忍び込む――東京の夜には、まだ、そんな裂け目のような空間と時間が広がっていた。