2008-06-23

名画座のあった町

ということで、もう2週間前になるが、ザ失投パレード、終わった。

でも何てゆうか、あれだ。ここ4,5年のあいだ、俺に「脚本書かないんですか?」とか訊いてくる連中に限って、会には来ないんだなぁというのを、つくづく感じる。脚本なんて、書いたって、書くだけじゃどうしようもないってのは、ちょっとオトナの世界を知っているなら分かりそうなものなのに。
やっぱり、人が挫折したりウジウジ屈折している姿をちょい上から目線で眺めるのが気持ちいいだけ、なんだろうな。

それはともかく(笑)。

今回の新作『光と影』では名画座を舞台にした。
かつて、俺は行ける限り東京、ときには横浜の、名画座を徘徊していた時期があった。
三軒茶屋、蒲田、大井町、飯田橋、高田馬場、亀有、銀座、浅草、新宿。
ここでよく勘違いされるのは、新作映画を2,3ヶ月遅れの2本立てでやる映画館。これは正式には名画座とは呼ばないで、2番館、3番館と呼ぶということだ。

でも、これは俺の思いでしかないのだけど、たとえ新しめの映画をやったとしても、無差別に2本立てにするのではなく、とある1本の映画があるとして、その監督の1コ前の作品とくっつけたり、関連性のあるちょい古な映画を組み合わせて上映したりする場合は、それはもう名画座と呼んでもいいんじゃないだろうか。
てゆうか、名画座と呼びたくなってしまうのだ俺は。
プログラムに個性をしのばせる。そこがキモ。
シネコンで新作を観て…みたいな。そんな、あえてこうゆう言葉を使うけど「垂れ流し」的ではない、上映プログラム。
これはもう、名画座と呼びたい。心情的には。挽歌をこめて。

シティ・ロードをカバンに入れて、初めて降りる駅。
駅前に立ち喰いそば屋があれば、入ってみて。
時間多少余裕を持ってきているから、周辺を軽く散策して、おめあて映画館の前に。
ガランとした受付に軽くドキドキしつつ、シティ・ロードを出して情報誌割引でコヤに入る。
まだ、前の上映が続いている。
場内から漏れてくる音に、ああ、もうすぐエンディングかな…なんて思いながら、ロビーに置かれたチラシ(フライヤーなんて言葉は違うぞ)を物色。
コンビニで飲み物やパンを買った際は、上映中にコンビニ袋のガサガサ音が響かないように、前もって袋から出して、カバンの中に入れておく。
で、休憩時間になると、場内に。
なるべく隅っこの席を取るのが俺の定番。
これから映画を2本、3本観るのだ。隅っこの席の方がカラダに優しい。

映画をすべて観終わって外に出ると、来たときは午前中だったのに、もうすっかり暗くなっている。
今日一日、日の昇っている時間を暗闇で過ごしてしまった、何ともいえない充実感に満たされながら、地元の商店街をブラブラ。店頭や、商店街スピーカーから流れる最近のヒット曲に、現実に戻っていくのを実感する。

「作品」だけ観られればいいやみたいな。「作品」がすべてでしょみたいな。そうゆうヒトからすれば、全く意味のないことを書き連ねているんだと思う。
でもなあ、アリだと思うんだよな。
「作品」だけじゃなくって、それを観た当時の自分の状況とか、その作品を観た環境とか、観たかった「作品」に出逢えるまでのあれやこれや。
それも込みでの映画体験。俺もあなたも、いま現時点まで、生きちゃっているんだからさ。全部つながっているコトなんだよ。

10年くらい前、一つの名画座が閉館した。
俺もよく行っていたところだったのだけど、そこでは俺の友達が映写技師として働いていた。
もともと映画好きということで知り合ったのだが、彼は当時、フランス映画好きだった。そこで俺が古い映画、特に邦画のヤバさを熱く語っりまくって、それに乗っかってくれて。
気がついたら、古い邦画をメインに上映するその名画座の映写技師になっていた。
最終日にはもちろん足を運んで、コヤの前で彼と並んで写真を撮った。
そのとき、閉館する名画座のハナシを、漠然と思いついた。

それから数年経って、その彼が結婚した。
結婚パーティーに行って、そのまま彼の家に雪崩れ込んで、しこたま呑んで、そろそろ帰りますかってことになった。日付はとうに変わって、電車は当然ない。
彼の家の前からタクシーに乗って、家まで帰る道すがら、その名画座の前を久しぶりに通った。
かつて映画館だった建物はもう無く、さら地になっていた。
なくなったものと、いなくなった人と、そして、なくならない気持ち。
とうに忘れていた、閉館する名画座のハナシを思い出した。
2004年。いまから、4年前のことだ。