2008-01-11

クリスマスの夜。勝鬨橋そばのファミリーレストラン

昨2007年、12月25日の夜。
23時を回ったくらいの時間。
中央区は、隅田川の上に架かる勝鬨橋。その脇にあるデニーズに、1人でいた。
読みかけの本を読んでも集中できず、広げたノートに思いついた文字を書き込むも集中できず。そんな状態のまま、テーブルに置かれていた瓶に、いささか逃避気味に意識を向けていった。
砂糖とか塩とか、そうゆうのに混じって置かれていたその瓶。最初、何だか分からなかった。とろみのありそうな液体が入っている。張られたラベルには「甘味料」、「厚生労働省許可・特定保健用食品」といった文字。
シロップ…か?で、健康によさげ。いいじゃん、と手に取る。すると、「食べ過ぎ、体質・体調により、おなかがかゆくなることがあります」との注意書きが目に入ってきて、中でも「おなかがかゆくなる」というフレーズに、熟練の左官職人が打ち込んだように、すっと釘付けになった。
いいなぁ。「かゆくなる」て。身体的にも心情的にも、微妙な、デリケートな、そういった動きを表現できるよな、なんて思って。
と同時に、どこかで感じる既知感。
すぐに思い出した。むかし好きだったフィッシュマンズというバンドの『MAGIC LOVE』という曲。そこに「♪胸がかゆいほどに」というフレーズがあったのだった。
ぽっかぽかしたレゲエのリズムに乗って、午後の陽射しが射す路地を歩いていくような音像が浮かんでくる。でもどこか東京に生きる焦燥感も感じ取れる。そんな曲だった。
この曲が発表された当時だろうか。フィッシュマンズのインタビューを雑誌で読んでいたら、ON-Uというイギリスのレーベルの出す音楽についてメンバーが語っていて、そこでメンバーが使った表現が、「(聴いていると)鼻がかゆい」だった。
「鼻がかゆい」と評された音楽・DUBのレコードを、それから何枚も聴いた。ジャマイカで生まれて、イギリスで分家して、日本でも愛好者の多いこの音楽は、東京の夜にとっても似合う。そのことを教えてくれたのは、80年代に活躍したミュート・ビートという歌詞を持たないバンドだった。
DUBの空間的な音世界は、かゆくさせる。かゆくなるのは、感覚だ。手で掴むことの出来る実感…。実感出来ないことで逆に醸し出される実感…。いや、その間にあるのがホンモノの実感。右往左往する自分の実感が揺さぶられて、ひっくり返って。そして、かゆくさせられる。

そもそも新宿の大久保に住んでいる自分が、どうしてこんな時間に勝鬨橋傍のファミレスにいるんだっていう話である。
その日、部屋で春先にやるお芝居のプロットを考えていた。停滞。気分転換に2月の会で上演される漫才の台本を書こうと思い立って。パソコンに向かっていて、あーだこーだやっていたら、
まさに、かゆくなった。頭ん中が。
そんなときは外に出るに限る。幸いにも、いまは夜だ。外に出るにはうってつけってこと。
自転車に乗って、早稲田通りを進む。早稲田大学のある辺りから、神田川沿いに。そしてそのまま、海につながっているほうへ。
水道橋とか神田とか日本橋とか、なるべく「眠らない街」ではなく「眠っている街」を選んで、隅田川が見えるところまで。
隅田川を架ける橋を渡る。
水がたくさん側にあると落ち着く。お台場や豊洲のネオンを見ながら、人気のない真夜中の橋を渡ると落ち着く。落ち着いて、で、尖ってくる。

「おなかがかゆくなる」、その甘味料を、呑みさしの紅茶に、少し入れてみた。
あまり甘さを感じない。微妙だ。舌がかゆくなる。ドバドバ入れてみた。
お芝居のことを考える。
自分が座った席の背後には4人連れの親子がいた。お父さん、お母さん、姉、弟って構成で、普通に食事をしている。
姉は小学校高学年くらい。弟は小学校低学年くらい。
最初店に入ったときから、ちょっと気になっていた。
よくある光景かもしれないんだけど、いまはもう、夜中だ。
お父さんはびっちりスーツ。ビジネスマンな。お母さんも、びっちりスーツ。ビジネスマンの妻な。
子ども2人も、この時間は寝てるだろって物腰漂うお子さま達で。
揺るがなさそうな「家族ヴァイブス」が漂うその家族。クリスマスのディナーってやつ。真夜中の、クリスマス・ディナーってやつ。
真夜中、の。
と、本当に「おなかがかゆく」なってきたので、席を立った。デリケートで分かりやすいカラダだ。俺って。
とうに食事を終えている家族は、子どもたちのデザート・タイムが始まっていた。
ケーキ、アイスクリーム、甘いソース。

前日。クリスマス・イブは、恵比寿のガーデン・プレイスにいた。
イルミネーションを眺めて、麦酒博物館で250円のギネスを呑んだ。ほろ酔いになってから、また寒い風の中に出ていく。たくさん歩いて。たくさん話した。

いつの間にか日付も変わって、12月26日になっている。
と、また、かゆくなってきた。じわりと、身体の奥のあたりが。