2005-06-14

第17回 「いい本」と「売れる本」

今回は本の告知、つまり、本の存在をどうやって世の中に知らしめるかについての予定でしたが、その前に、気軽に口にされる割にはきちんとした説明がなされることがほとんどない「いい本」や「売れる本」という言葉について、私なりの考えをまとめておこうと思います。良書悪書などという意味ではありません。あくまで出版営業をなりわいとする人間が「この本、いい本だよね」という時の「いい本」のことです。
今回も書店売りを中心とした書籍が対象となります。図書館などへの納入や直販を主体とする書籍、教科書や雑誌などは全く別の視点が必要だと思います。
今回は異論反論が多いのではないかと思います。ご意見のある方は是非お寄せ下さい。

「いい本」とは何か
「いい本」とは、「ある程度のボリュームを持った特定の読者層からの支持を得たうえで需要を喚起し続けられる本」のことであると私は考えています。文学だろうが実用書だろうが学術書だろうが味も素っ気も無いカタログのようなものであろうが、上記の定義に当てはまる本は「いい本」だと思えるのですが、皆さんはいかがでしょうか。

「売れる本」は「いい本」か。
「売れる本」は「いい本」だ、もしくは「いい本」というのは「売れる本」のことだ、という言い方をされる方は少なくありません。出版を営利事業として行なっている以上、お金を稼ぐ商品が悪い商品であるはずがありません。その意味において、この発言は全く正しいと私は思います。ですが、出版業界で働く人間だけでなく、読者も含め多くの方がこの発言に違和感を感じるのも事実です。なぜかと言うと出版業界の人間であれば「いい本」なのに売れていない、または「いい本」ではないのに売れている、と思える状況に頻繁に遭遇しているはずですし、読者の方にしても同様の思いがあるからです。「売れる本はいい本だ」という発言を聞いた際に「いい本」と「売れる本」が全く同じものであるかのように受け取りがちですが、「いい本」と「売れる本」は全くイコールではないと私は考えています。だからこそ、「売れる本」は「いい本」だという発言に共感できる部分と違和感を感じる分があるわけです。

「いい本」と「売れる本」はイコールか。
端的に言うと、「いい本」であることは「売れる本」であることの原因の一つに過ぎません。ですが、「いい本」と「売れる本」の要素がほとんど重なっていることも事実だと思います。「ある程度のボリュームを持った特定の読者層からの支持を得たうえで需要を喚起し続けられる本」、これは「売れる本」の定義と言い換えても通用しそうな気がします。ですが、実際に「いい本」でなくとも「売れる本」となることは可能です。一つの例として挙げられるのは、「本そのものではなく、別の要因が支持を集め、関連グッズに近いものとして本が売れる」ような場合です。この点については後ほど触れます。

「売れる本」は「くだらない本ばかり」なのか。
「くだらない本ばかり売れている」とか「いい本は売れない」などという発言もよく耳にします。本そのものの力だけではなく他の要因で売れることもあるということを考えるともっともな気もするかも知れませんが、もう少し仔細を伺ってみると、そうとも言えない場合が多いように思います。出版業界でこういう発言をされる方の多くは自社の本が売れないのに他社の本が売れている、ということからこういった意味の発言をされることが多いようです。が、もしそういう方の出版社からいわゆるベストセラーが出たとしたら、その本のことを悪く言うでしょうか。自社で売れている本を「くだらない本」と言い切ってしまう方はあまりいないはずです。全くいないわけではないところがこの業界の面白いところだとは思いますが。また、「いい本は売れない」的な発言は「(自分にとって)いい本が〜」と受け取るべきだろうと思います。でも、本当にその本は「いい本」なんでしょうか。これについてもまた後で述べますが、「いい本」であることを疑うというのはかなり困難な作業です。

「ある程度のボリュームの読者」
ここからは「いい本」の定義として挙げた各項目についてもう少し詳細に触れます。
まずは、「ある程度のボリュームの読者」です。書店売りをメインに考えると、ある程度の数の読者が存在しない本はやはり「いい本」ではないと私は思います。増刷が可能なボリューム、が理想です。出版社側の一方的な都合のように思われる方もあるかも知れませんが、そうではありません。本というのは個人的なメディアではありますが、共通の体験となりうるものでもあります。文学などはわかりやすいですが、学参などでも「同じのをやった」という体験は共有できる可能性がある。「需要を喚起し続ける」の項で触れますが、「いい本」は共通の体験としたくなるもの、です。ですので、「ある程度のボリュームの読者」が存在することは「いい本」の条件の一つであると考えます。

「特定の読者層」
万人受け、というのはありません。どんな本であっても核となる読者層は必ずあります。そして、特定の読者層で留まる本はロングセラーとなり、周辺の層にまで拡大していく本はベストセラーとなります。核となる読者層は拡大することもあれば衰退することもあります。核となる読者層が再生産され続けている間がその本の寿命です。

「読者の支持を得る」
他の項目に比べるとここは若干曖昧にならざるを得ませんが、「支持を得る」というのは、感動したでも、面白かったでも、ためになったでも、役に立ったでも、とにかく読み終えて何か(感動ということではなく、知識や技術についても)が残ったと思えるということだとご理解下さい。そうした本は多くの場合、再読したくなるか他人に薦めたくなるか、です。

「需要を喚起し続ける」
他人に薦めたくなる、同じ著者でも同じテーマでも関連書籍を読みたくなる、本そのものの力によって読者が再生産されていく。この項目はどちらかと言えば「売れる本」の条件のようにも思えます。ですが、「いい本」は他人に薦めたくなることが常ですし、「いい本」との出会いをきっかけとしてより多くの本に触れるということも良く聞く話です。逆に言えば他人に薦められなかったりその本だけで終わってしまう本は「いい本」ではない可能性が高いと考えて良いのかもしれません。

「読者の支持を得る」だけで「いい本」と考えないのはなぜか。
「読者の支持を得る」本が「いい本」なのではないのか、というご意見は多いと思います。それだけで十分「いい本」なのではないか、という方もいらっしゃるかと思います。確かにそれだけでも十分に「いい本」であるように思います。が、「読者の支持」というのは時代の空気、のようなものが必ず反映されています。「いい本」がその時代だけで成立するものであれば「読者の支持」だけで「いい本」とすることは問題ないと思いますが、もう少し長いスパンで考えるとそうとも言い切れないのではないでしょうか。つまり、簡単に消えていく本を「いい本」として捉えるべきなのか否か、私個人の考えですが、すぐに消えていく本を「いい本」として捉えることに抵抗があります。なので、「読者の支持を得る」だけで「いい本」とは考えていない、わけです。

書店で売れない本
「いい本」の定義として4つの項目を挙げました。それらについて主に販売面で考えてみると「売れない」理由がいくつか見えてきます。

1.読者数が少ない
対象となる読者が少ないことがわかっているのであれば最初から直販や図書館納入、外商での展開を考えるべきで、書店売りには向いていないのは間違いありません。売れない理由はつまり読者数が少ないことでなく、少ない読者数に合わせた販売方法なり価格なりが設定できていないということです。

2.核となる読者層が絞り込まれていない
万人受けを狙ったつもりで核となる読者層にきちんと届けられなくなる、のはありがちな話です。弊社の実例ですが、タイトルに「やさしい」とあるのにさっぱりやさしくない、という失敗がありました。この場合、やさしい内容を期待した読者は中を見てがっかりですし、内容的に合致している読者層は「やさしい」という文句がタイトルに入っているせいで手に取ることもない。より多くの読者に買ってもらいたいと思って媚びてしまうことはありがちです。逆に、読者が近寄りがたい状態を作ってしまうこともあります。どちらも結果的に「売れない」理由になります。

3.読者からの支持が得られない
読み終えた途端に内容を忘れてしまうような本、そんな本も存在します。何も残らない本です。一度読んだら十分、と思えてしまう本もそれに近いのかもしれません。支持を得られなければ他人に薦めることもありません。より多くの数を売るためには致命的な問題のようです。

4.需要を喚起してくれない
前項と重なりますが、他人に薦める気に全くならない本、関連書を読みたくならない本、本そのものが読者の再生産を行わない本。当然と言えば当然ですが、これではやはり売れません。

「いい本」でないのに「売れる本」
支持を得、需要を喚起し続けているのがその本そのものではない場合、例えば映画やドラマの関連本などの場合、「いい本」でなくとも「売れる」ことは十分に有り得ます。関連グッズの一つとして売れることはおかしい話ではありません。出版社がそれを狙うこと自体も恥ずかしい話でも何でもありません。権利関係の問題が解決するのであれば、そして企画として成立させることが可能であれば、多くの出版社がそれを望んでいるはずだと思います。
本そのものが結果的に関連グッズの域を脱していないものであれば、それは支持を集めた本体が終わった時点で終わります。
本そのものに力があれば映画やドラマの流行り廃りとは無関係に本だけが売れ続けることも多々あります。「いい本」だから、と言っても良いのだろうと思います。
文庫 新版 指輪物語 全9巻セット『指輪物語』(トールキン、評論社)は、もともと本好きの大人向けのファンタジー作品として非常に有名な作品でしたが、「不可能」と思われた映画化とその大ヒットによって新たな読者を多数獲得しました。この本をきっかけにマクドナルドやロード・ダンセイニ、E・R・エディスンなどを読み始めた読者もいるはずです。小説は映画と比してとっつきやすいものではないため、映画をきっかけに拡大した読者数は縮小しつつあるようです。しかし、特定の読者層からの支持が圧倒的なものであるため、ファンタジーの定番として今後も売れ続けていくはずです。
難解で高尚な学術書をきどっていてもその本そのものにオリジナリティのかけらもなく原典にぶらさがっているだけの本は流行りモノの関連グッズと同じです。「売れない」という点だけが違いますが。

「いい本」でないのに「売れる本」別パターン
特定のジャンルで定番化している競合のない本の場合、「いい本」でなくとも売れる場合もあるようです。選択肢がない、ということになるわけですが、実はこうしたジャンルは新規参入の狙い目のようです。現状売れている本が「いい本」であったとしても、競合のないジャンルの場合、定番化している本が古くなってしまっている場合も多々あります。その本を上回る「いい本」を作るのに新しさが重要な要素になるような場合、新規参入が定番をひっくり返すことは十分に可能であると思われます。

「いい本」は時代によって変わる
あまりに短期間しか売れなかった本を「いい本」と捉えることは自分には難しいのですが、時代の推移とともに「いい本」が変化するということは間違いありません。また、その時代だからこそ「いい本」となり得た本があることも事実だと思います。
昭和45年の大ベストセラーに『冠婚葬祭入門』(塩月弥栄子 光文社)という本があります。この本がベストセラーになった背景には、田舎から都会への人の移動と核家族化という要素があったようです。地縁の中ではルールは地域の中で維持されていますが、田舎から都会に移動した人々にとっては属すべき地域が曖昧です。そのため、田舎では一人で全部を負わなくても済んだ諸々のルールを一人(もしくは夫婦)で解決しなければならなくなりました。また、出身地の異なる人々が暮らす都会では地域に縛られない一般化されたルールが必要とされていました。そのため、この本はそうした新たに都会で暮らすことになった読者層から支持を集め、ベストセラーとなったのだと考えられます。ベストセラーとなった以降はこの本のルールがスタンダードとなり一般化されていく過程で、常に需要を喚起し続けることができたのだろうと思われます。

自費出版が売れない理由
「多くの人に読んでもらうのではなくほんの少しの読者でも良い」という発言をされる作家の方がいらっしゃいます。意識的か無意識かはわかりませんが「特定の読者から支持を得る」ことの重要性に気が付いているのだと思われます。逆にほとんどの自費出版が売れないのは自分が書きたいものを書いているにも関わらず万人に読んでもらいたいもしくは万人が読むべきだと思っているからではないでしょうか。自費出版の著者による書店営業が嫌われるのも多くの場合、売りたい欲求と内容のあまりのギャップを書店が感じ取るからのようです。
自費出版の著者が読者を意識した上でしっかりと絞りこめば状況は変わるかも知れませんが、絞り込むよりは「もっと売れるように」媚びることのほうが多いように見受けられます。自費出版が売れない理由は他にもあるとは思いますが、この「読者の不在(もしくは読者の絞込みの甘さ)」は一つ大きな問題だと思われます。

「いい本」を埋もれさせないために
営業の仕事は本を売ることです。プロとして仕事をする以上、「いい本」だろうがそうでなかろうがしっかり売るのが肝心です。「ウチの本、売れない本ばかりでさあ」と内容のことでグチを言う前にやるべきことは多数あります。特に、核となる読者層にきちんと本を知らしめること、読者が本と出会えるように必要十分な露出を確保すること、物流の迅速化と適正な在庫の確保。「いい本」を埋もらせないためには営業努力が必要不可欠ですが、そのためのノウハウは、PCやネットの急速な普及によって劇的に変化しています。過去の方法論にすがりついていてもトンネルから抜け出すことは難しいのが現状です。と、同時に、それと矛盾するように聞こえるかもしれませんが、急速に失われていく過去の方法論の中に、本当なら今での有効な方法論があるのではないかという思いも常にあります。特に地方の零細書店で本を扱ってもらうためのノウハウは、弊社のような中小出版社では全く不足しています。まだまだやるべきことはある、ということだと考えています。

実際に買って読んだ人の評価が重要
磁力と重力の発見〈1〉古代・中世『磁力と重力の発見』(全3巻、山本義隆、みすず書房)という値段もそこそこで気軽に読めるような内容ではない本が10万部以上も売れたそうです。この本について多くの方、特に団塊の世代を中心とした層が、著者の山本義隆氏の経歴について言及されました。「彼の名前の懐かしさに思わずこの本を手に取った」といった論調のようですが、この本が売れたのはそれだけの理由でしょうか。
この本は各方面から優れた著作と認められ「第1回パピルス賞」「第57回毎日出版文化賞」「第30回大仏次郎賞」といった賞を受賞しました。ノスタルジーだけではないことは多くの人が認めているわけです。この本についてノスタルジーを語る方は実際に読んでいないのではないかと思います。
読んでいない文化人の意見より、実際に読んだ人の評価の方が重要なのことは改めて言うまでもありません。
実際に読んでみるとこの本はすごく「面白い」です。特に2巻のルネッサンスから大航海時代にかけてのあたりは下手な冒険小説などを読むより手に汗握るような「面白さ」がありました。もちろん、学問に関する記述は読むのが大変ですが、そこを差し引いてもこの本は面白い。だからこそ決して少なくない数の方々から「いい本」だと推されているわけです。この本は例えば『物理の散歩道』や『ローソクの科学』といった本と同様、科学を志す多くの人々にこれからも読まれ続けていくはずですし、そうなることを目指すべきだと思います。
この本が売れた理由を「団塊世代のノスタルジー」としてしまうと、これから先の芽を摘んでしまうことになりかねません。売れた理由の判断を何に基づいて行なうか、分かりやすい好例のように私には思えます。

本当に売れていないのか。
売れる売れないは本のジャンルや読者のボリュームによって全く変わります。ですので、ベストセラーと比較して「売れない」と言う嘆きは本来おかしい話です。もしかしたらその本は十分に売れているのかもしれません。「もっと売れるかも」という期待と思い込みと皮算用が無理な増刷や無理な受注と返品を増やしているかもしれません。本当に売れているのか、販売の実態を把握せずに行う営業活動は危険です。

「いい本」を疑う
他社の本に対して「くだらない本が売れている」というのはやっかみが入っているということを理解して受け取らなければいけませんが、「(自社の)本はいい本なのに売れない」という発言はどう受けとめれば良いでしょうか。キツイ言い方かも知れませんが、本当にその本は「いい本」ですか? 読者はちゃんと存在しますか? 対象はしっかりと絞り込まれていますか? 読んだ人に何かが残りますか? (献本を送った知人などではなく本屋で買って)読んだ人が周りの人に薦めてくれるような本ですか? あなた自身は再読したいと思いましたか? どこかで何かに妥協していませんか?
他にもいくつも問いかけは可能です。売れない理由は営業力不足だけではありません。本が原因かも知れません。

自分を疑う
ここから先は本当に「いい本」か否かを疑う以上のさらなる難問です。全然売れていない本を「それでもこの本はいい本だ」と頑固に思い続けることは時に非常に重要なことでもあります。何かに迎合しない、ということの意味は時を経て初めて価値が分かることもあるからです。ですが、そこまで自分に確信を持つ前にこういう問いかけも有り得ます。
ズレちゃってませんか? 大丈夫ですか?

営業努力は必要
出版社が編集だけ営業だけで成立しないのは、その二つがどちらも出版という事業に必要なものだからです。もちろん、外注する場合もありますし、規模が大きくなってくれば他にも必要な業務は増えます。また、会社組織であれば経理なども不可欠です。そういう一般的な意味ではなく、出版業が成立するための特徴的な業務として編集と営業があるという意味です。営業は不要という方もいらっしゃいますが、結果的に取次が変わりに営業していたり代行業者が業務を請け負ったりしている例がほとんどです。ハリーポッターの静山社ですら営業は(外注ですが)行なっています。
つまり、作りっ放しで終わっては出版業として大事な何かが足りていない、ということです。核となる読者層に本の存在を知らしめ、買ってもらうまで、そこまでが出版社の仕事であることは今回の内容を読んでいただければご理解いただけると思います。

「いい本」は売れる
「いい本」だろうがそうでなかろうが売るための営業努力は必要です。思いもかけない読者層に売れ出したり、ちょっとしたことがきっかけで本の評価が上がったりすることはない話ではありません。いつ何が起こっても対応できるように、全ての本に対してしっかりと営業活動を積み重ねていくことは無意味ではありません。
ですが、営業努力はやはり「いい本」に対して行なった時により大きな効果が期待できます。「いい本」は読者だけでなく、それに関わった多くの人からも評価され、大事にされます。営業も全く同じです。「いい本」を売るときは力が入ります。書店も同様のはずです。「本屋が売りたい本が売れる本だ」という言葉はそこまでに至る諸々の過程を経ているわけです。単純に本屋に気に入られる努力をすれば済む話ではありません。「いい本」だと思ったらPOPにもつい思い入れがこめられます。そういう気持ちは店頭にやってくる読者にも伝わります。結果として、「いい本」は売れます、きちんと扱えば。きちんと扱う(作る・営業する)のが難しいんですが。

最後にもう一度言います。「いい本」はきちんと扱えば売れます。「いい本」が売れないのは営業努力が足りないか本当は「いい本」じゃないかそれとも「いい本」だと思ってる人がズレちゃってるか、のどれかです。