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ポット出版
書誌情報●可能性としての家族
[2003-07-30]
可能性としての家族

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可能性としての家族
[2003.07.30刊行]
著●小浜 逸郎

定価●2500円+税
ISBN4-939015-52-1 C0036
四六判/320ページ/上製
印刷・製本●株式会社シナノ
ブックデザイン●沢辺均

在庫有

【内容紹介】
結婚・夫婦関係・親子関係に悩む人に、家族という共同体の本質とは何か、それはどんな条件によって成り立つのかを解いた名著。一九八八年大和書房版を復刊しました。新規に索引をプラス。さらに復刊にあたって著者の書き下ろしもあり。晩婚化や少子化が進む今の私たちに必要な「家族論」です。


【目次】
復刊にあたって…小浜逸郎
序章●なぜ家族か
家族に視線が集中している…………11  
世界理念の崩壊…………15  
解体不安という関心のあり方…………19

第一章●解体不安の根拠
離婚・シングルは増加したか…………23  
子どもの数の減少と解体不安…………39  
女性の自立化と解体不安…………50  
機能喪失、制度崩壊と解体不安…………56

第二章●意識としての現代家族
家族についての思想的態度…………63  
解体不安の由来…………67  
〈学〉的記述と体験的記述…………69  
『積木くずし』の問題点…………72  
〈愛〉を超える概念としての〈エロス〉…………79 
「放蕩息子」は祝福されている?…………84

第三章●病理としての家族
不安は現代家族の糧である…………101  
病いと自由意志の間…………103  
関係的な生・無意識的な生…………110  
二つの事例・開成高生と金属バット…………112  
純化する親子関係…………119  
「分裂病」問題の切り取り方…………124  
精神病理学の思想的モチーフ…………130  
R・D・レインの家族論批判…………134  
精神病と夫婦げんか…………144  
共死としての家族…………150  
一家心中の系譜…………155

第四章●変身家族論
カフカ作『変身』の構成…………163  
自己存在としての変身…………166  
家族間交渉としての変身…………178
家族構造としての変身…………188  
運命としての変身…………196

第五章●家族の根拠
家族懐疑論者たち…………205  
家族概念の成立…………212  
社会学的家族の成立…………216  
家族の原理その1──近親相姦の禁止…………223  
家族の原理その2──分身─帰属としての血縁…………229  
家族の存在論的な根拠…………233  
家族否定の未来像…………236

第六章●家族と性差
差別の概念はどこで成立するか…………243  
男女差別と男女差異…………250  
性差論をめぐる状況…………253  
性差論の二つのパターン…………256  
〈性欲〉をめぐる男女差…………260
性差発生の三つの土台…………266

終章●可能性としての家族
「性」はどこまで明るくなれるか…………273  
人はなぜ結婚するのか…………284  
生殖はどこまで人工化しうるか…………300
あとがき…………311  
索引…………316


【復刊にあたって】
この本は、十五年前(一九八八年)に大和書房から刊行され、その後長い間、事実上絶版状態になっていたものである。このたび、ポット出版の沢辺均氏より復刊のお申し出があり、再び日の目を見ることになった。とてもうれしい。
 「家族」というテーマ領域は、思想的に扱うことが難しい。家族は、一人ひとりがそのなかで、あるいはそれとかかわりつつ生き死にする場所であるにもかかわらず、さてそこから生ずる実存的な問題をどのように普遍的な論理の網にかければよいのかと考えると、なかなかうまくいかない。その理由は、家族を生きることが、まさに私的な情緒を直接にかつ濃密に相渉らせることと等しいからである。そこで、家族を語る言葉は、たいてい、文学的な言語による無意識的な問題提起として現れるか、社会学や心理学などの記述形式に託して価値中立的な分析に徹するか、制度としての家族に対する個人的な肯定・否定の感情を素朴に表出するか、のいずれかに分裂することになる。私はそういう言説の分裂光景が不満だった。というのは、実存者というものは一般に、他者と交換不能なある個別的経験と、その個別的経験を貫く共同関係の原理とを、二つともども生きているからである。その「二つともども」を「二つともども」のままあらわしたいと私は思った。
 で、この本ではどうしたかというと、実はそれらの分裂光景をひとりで背負い込んでしまった。社会学、哲学、精神病理学、文学、文化人類学、フェミニズムなどへのアマチュア的なかかわりに徹することがここでの「作法」となっているが、結局私は、そのようにしか「家族」を語りえなかったということである。「仮想敵」に対するドン・キホーテ的な格闘のために、文体は統一を欠き、センテンスもやたら長く難解で、強い主張と遠慮がちな気配りとが混在する結果になっている。読者が果たしてこの一書に表された分裂光景の背後に、著者の変わらぬ思いを読み取ってくださるかどうか心配だが、すでにこの著作に対して幾分とも他者である現在の私が、いまさらあまり介入すべきではない。表記などにかかわる微細な訂正を除いて、ほとんどそのまま投げ出すことにした。
 家族を巡る日本の状況が、この十五年間に大きく変化したのかどうか、私にはよくわからない。晩婚化や少子化が進んでいることは統計が示す事実だから、個人の人生時間の中に占める「家族生活」の割合が量的に縮小しているのはたしかだろう。しかしこれは、必ずしも「家族関係」が人間に与える意味の希薄化をあらわすわけではない。そしてそのことは、本文の記述そのものがすでに射程に収めている。古びてしまった部分もないではないが、もともとこの本は、家族という共同性の本質とは何か、それはどんな条件によって成り立つのかを突き詰めようとした本である(特に第5章)。もし人が今、自分自身の生き方として性愛や結婚や夫婦関係や親子関係のあり方に深刻な疑問や迷いを抱いているのだったら、この読みづらい本を繙いて回り道をしてみるのも一興かもしれない。人は自由を求める存在だが、「家族」という制約が決して自由の単なる反対物ではなく、しかもそれが人類史のなかで重い意味をもってきた普遍的な理由が少しだけ納得できるはずである。
 なお、今回の復刊にあたって新たに巻末索引を設けることにした。
 面倒な本の復刊を申し出てくださった沢辺氏の志と情熱に、深い敬意と謝意を表する。
 二〇〇三年六月一三日
小浜逸郎


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