2005-10-19

極右との対話3……日本語を話すゴルニッシュさん……


ジャンマリ=ルペン『国民戦線』党首が話す集会に参加するたびに、党首に対する支持者の熱狂ぶりに圧倒される。

10月9日に行われた祭典『BBR』を締めくくるルペン氏の演説も大いに盛り上がった。ルペン党首が入場する際には、大げさなまでのオーケストラの音楽が会場に鳴り響き、支持者からは「President」「ジャンマリー」「ルペン」コールが起きる。青・白・赤のフランス国旗がそこかしこでふられる。

これまでにも数多くのフランス政治家の集会・大会に参加してきたけれど、ルペン氏より支持者を熱狂させる政治家を見たことがない。熱狂させる理由は幾つかあるだろう。

まず、話が実に上手い。煽動的な文句やユーモアを散りばめながら語られる言葉はルペン氏にとって最大の武器だ。聴衆を飽きさせないし、空虚な文言が並べられるのでなく、中身も充実している。ルペン党首が右手を振り上げ絶叫調になると、支持者は掌が痛むのではないかと思えるぐらいに激しく強く拍手をする。「フレー、フレー、プレジダン」とコールが起きると、それがやむまで間をおく。さすが『国民戦線』を30年以上ひきいていることだけはある、間の取り方も声の張り上げ方も熟知している。

次ぎに支持者に対して、実に親しげに振る舞う。「偉大な父」のように振る舞いながら、一方で「気さくな父」も演じる。支持者から求められ写真におさまるとき相好を崩して笑う。支持者から話しかけると、満面の笑みで接して耳を傾ける。女性から両頬にキスを受けることもあるし、女性にキスをすることもある。偉大な党首様から20代の女性が頬にキスを受けたら、感激のあまりだろう呆然と立ちつくしていた女性を私は見た。BBRではテーブルについて、食事を共にしながら同じ目線で支持者と語ることもあった。ルペン党首と以前撮った写真を党首に見せた男性がいる。

ルペン氏は「これはどこでとったんだっけ?」(C’est ou, ca?)と尋ねた。

男性はいつどこで撮ったものを説明したあと、隣にいた知人に党首の「これはどこでとったんだっけ?」(C’est ou, ca?)という返答を真似してみせて大いに喜んだ。いつも仏頂面をしているような感があった岡田克也・「民主党」前党首とはずいぶんな違いだ。

ルペン党首の娘で後継者と目されるマリーヌ=ルペン副党首/欧州議会議員はバーのテナントに立って、自ら生ビールをコップに注ぎ、支持者に振る舞った。そして、カウンターに腰掛けた人々と会話を楽しんだ。
ルペン・ファミリーの人心掌握術は田中角栄に通ずるものがあろう。

最後にルペン氏が聴衆を熱狂させる最大の要因は、ルペン党首と国民戦線が長年弾圧されてきた受難の歴史にあろう。弾圧されればされるほど、紐帯の気持ちは強まるというのは宗教と同じだ。国民戦線はつねに政治の主流勢力とメディアから厳しい批判を受け続け、為政者から弾圧されてきた。支持者にとってルペン党首はさながらイエス=キリストといったところか。

ルペン氏は近年 国民戦線を「弱者の味方」「労働者の政党」ということが多い。「移民排斥」が政策の柱であるからBBRの会場で中東系・黒人・東洋人の顔を見つけることはまず難しい。しかしながら、高齢者は多く、車椅子に乗った男女を見かけることもしばしばあった。失業者にもっとも支持されている政党が国民戦線である。与党UMPの集会は裕福と思われるような格好をした人が多いが、国民戦線の集会にくる人はくだけた格好をしている人が多い。彼ら/彼女らがルペン氏の受難に心を痛め、キリストのように崇敬していることは間違いあるまい。

さて、ルペン党首の演説が終わったあと、私は会場をまた散策し始めた。すると幸運なことに、ルペン氏にまた遭遇した。氏はイカツイ警護の男に囲まれながら会場の外に出て、駐車場の外にとめてあるキャンピング・カーのようなものに向かっていく。アイドルをおっかけるように支持者がそれを追う。警備は「こっちに来ないで、会場に戻れろ」と指示する。「ジャンマリーにあえないじゃない?!」と怒りの声があがる。「大丈夫、党首様は会場にあとで行くから」といって警備の人々は理解を求めた。みな、あきらめ、戻っていった。

会場をぶらついていると、国民戦線ナンバー2のブルノー=ゴルニッシュさんに遭遇した。
「ええと、国籍はどちらでしたっけ?」
私のところに近づくなり、彼はフランス語で尋ねた。
日本語で
「日本ですよ」
というと、
「そうでしたよね。ええと、こちらが私のワイフです」
といって、上下のスーツにピンク色のシャツを着た小柄のオツレアイを御紹介してくれた。彼女は日本人だ。
「どこに記事を書いているんですか。新聞ですか」
とブルノーさんは尋ねる。
「雑誌に書いたり、インターネット新聞に書いたりしています」
「そうですか。こんどぜひ、うちの本部に遊びに来てください。もし、時間があるならば一緒に回りましょう」
といった。スーツを着たまわりの男性何人かは、微笑みながらこちらを見ている。日本語で会話をしているのが物珍しいのだろうか。

ブルノーさんはカトリック系ロビーから出てきた人だからとても真面目だ。
カトリック的価値観を尊重するから、性指向の多様性については私とまったく見解が異なる。

ブルノーさんは2年に1回日本を訪れるという。欧州議会議員の一部は日本との交流のため、二年に一度外務省の招待で日本に来るのだという。

夫婦間ではフランス語を話すため、日本語を話すことはほとんどないだろうに、ブルノーさんは日本語を忘れずいまでも会話できる。日本人記者が相手の場合は日本語で応えるんだとか。たいしたものだ。

オツレアイと日本語でいろいろと話しながら、ブルノーさんについてテナントを回っていると、三人の老齢女性が私に話しかけてきた。ブルノーさんのオツレアイをゆびさし、

「彼女はゴルニッシュさんの妻ですよね」
「そうですよ」

と応えると、彼女らはオツレアイに近づき挨拶をしていった。
スーツを着た30代前半に見える白人の男性から
「日本人の記者ですか」
と日本語で話しかけられた。

「フランスの右翼に興味があるんですか」
「もちろん。国民戦線はおもしろいですね。いつ日本語を学んだのですか」

私がフランス語を話し、相手が日本語で応える……という奇妙な会話になった。

「私の妻は日本人です。だから、日本語、少し話せます」
「楽しんでいってください」

と訛りのないきれいな日本語で彼は応え、去っていった。

ブルノーさんは支持者との交流で忙しそうだったので、
「どうもありがとうございました。他のところにいってきます」

とオツレアイに話して私はその場を去った。

記者室に置いた荷物を手にとり、会場の外に出ると陽がずいぶんと傾いている。進行方向からオレンジ色の光がさしてきて眩しいかぎりだったので、右手で陽をさえぎり、私は進んだ。そして、バスに乗ることなく駅まで歩いた。

このエントリへの反応

  1. 現在のフランスの状況を考えれば、まさに「ルペンの
    時代が来た」と云えよう。フランスの移民開放政策は
    治安の悪化とスラム化を生み、その結果、移民のわが
    ままに対しても税金を使わざるを得なくなった。
    かつて誇り高い文化の国は、ごみと瓦礫と失業者に
    あふれる三等国に成り下がった。フランスは
    ヨーロッパに埋没し、イスラムやアフリカンに侵食
    され、途上国並みの人工爆発の危機を迎えている。
    ジャン・マリー・ルペンこそ、フランスをヨーロッパ
    より浮かび上がらせ、再び高潔なる文化国家にのし上
    げるべき人物である。
    フランス国民よ、今こそ立ち上がれ。全てをジャン・
    マリーの下に。