2005-03-14

【Gay @ Paris】用原稿 ……パリのマザー・テレサと呼ばれた女性…… 〜トランスジェンダーのパリ市議・Camille Cabralさんに会いに行く〜

写真を新たにつけました。写真をクリックすれば、特大なのがみられます。比較的長い文章ですので、興味のある方は御覧ください。

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メトロの最寄り駅から歩いて30秒ばかりのところに事務所はあった。

いつものように空は一面、鈍色の雲で覆われていた。しかし、息を吐いても白くならない程度にまで気温が上がっており、春の到来を感じさせた。

時計に目をやると、待ち合わせの時間まで30分以上ある。あまり早く着きすぎては礼を失すると思い、カフェに入った。

その日の取材には、私と同じ大学から交換留学制度をつかってパリに留学中の女性が付き添ってくれた。自分のつたないフランス語のために、取材相手と意志疎通が図れなかったら困る。そんなときに手助けしてもらおうと思い、同行してくれるよう頼んだら、快諾してくれた。わたしは事前にいくつもフランス語で質問を用意した。自分の手に余った質問を日本語で彼女にメールしたら、それをフランス語になおし、用意してきてくれた。

わたしはエスプレッソを、彼女はオムレツとクリーム入りの珈琲を頼んだのだが、店員があやまってオムレツを二個もってきた。湯気がたつ作りたての健康そうな黄色をしたオムレツはとても美味しそうに見えたけれど、昼食をすませてきた私は一つ食べきるほど、お腹が空いていない。それにいくばくかの緊張を覚えていたから、コレステロールの高そうなものがとても喉を通りそうになかった。彼女が「一つしか注文していないけど」といって、引き取ってもらった。

その日、取材することになっていたカミーユ・カブラル(Camille Cabral)さんとは以前に一度、顔をあわし挨拶も交わしていたのだけれど、フランス語で改まってインタビューするというのは、これが初体験であった。それまでも何度か何人かの人にインタビューをしようと思ったことがあったのだが、自らの語学力に自信がなく、ついぞインタビューする機会をもたなかった。

待ち合わせ時間の一〇分前になってから、私たちは店を出た。

目的の住所にたどり着くと、大きな門がある。鍵がかかっておらず、開いていたので中にはいると、アパートメント(appartement)の棟が四つたっている。事務所が入っているA棟に入ると、絨毯の敷かれた木造の階段があった。人が三人入れば一杯になる小さなエレベーターをつかい目的の階に行き事務所の呼び鈴を鳴らすと、パーマのかかった長いブロンドヘアの女性が中から扉を開けた。

「こんにちは。何のご用ですか」
「本日、カブラルさんへの取材で来ました。四時に会う約束になっています」
「そうですか、わかりました。では、どうぞお入りください」

といって案内された部屋の中はまるで、病院の待合室のようだった。玄関の扉を入ってすぐのところにドアがもう一つあり、そこの横にいくつもの椅子が並べられていた。
黒人の男性が一人、腰掛け自分の番になるのを待っている様子だった。

「どうぞおかけください。いま、緊急の打ち合わせが入っていて、カブラルさんにはまだ会えませんので、少しお待ちください」

 女性は私たちを椅子に座らせた後で、簡単な自己紹介を始めた。彼女はコロンビア国籍のトランスジェンダーで、ここの事務所で働いているという。事務所には常勤/非常勤/ボランティアのスタッフをあわせると18人の人々が働いているという。国籍もさまざまで、エチオピア人や、アラブの国からきた人、ラテンアメリカ出身の人、ポルトガル人などがいるそうだ。
「この事務所では、国籍も人種も問われません。HIVに感染しているとか、同性愛であるとか、トランスジェンダーであるということで差別はされません」

 待合室の奥には廊下があり仕事場があるようだったが、黒人のトランスジェンダー女性や白人の男性が行き来したり、何やら議論しているのが見えた。

「社会で生活する上で、ゲイやレズビアンよりも、トランスジェンダーのほうが困難な点があります。一つは容姿の問題です。女性として生きたいのに、周りからは女性として認められないということがある。一般企業でなかなか働けないから、少なからぬトランスジェンダーが『セックスの御仕事』に従事しています。団体の目的の一つに、トランスジェンダーの性労働者の支援があります」

 コロンビア人の彼女は私たちの顔をしっかりと見つめながら、ゆっくりと説明を続けた。
 そこの団体は『P.A.S.T.T.』(パスト)という。「予防、行動、健康、トランスジェンダーの仕事」(Prevention, Action, SantxJ卯 Travail pour les Transgenres)の頭文字をとって、名付けられた。

 扉の近くに何枚の紙やポスターが張り出されていた。彼女が話しているとき気になって何度か眺めたのだが、HIVの啓蒙ポスターやイベント告知のチラシに混じって、興味深いものがまじっていた。

「ここは社会の中にある場所です。
トランスジェンダーにたいする警察の弾圧をとめましょう」

と書かれていた。

「ところで、カブラルさんは昨日、アメリカから帰国されたんですよね。それなのに、今日から働いているのですか?」

 私がそう尋ねると、

「そう、朝から事務所に来て働いていますよ。彼女は本当に精力的(xJ猿ergique)です」
 という。アメリカに飛ぶ前はフランス全土をまわり、性労働者の声を聞き、交流してきた。パリ市議だというのに、まるで国政の議員のような活動ぶりだ。
私たちが話している最中に、子犬を連れた眼鏡の黒人女性(私にはトランスジェンダーの女性に見えたが)が入ってきた。そして、私たちから少し離れたところに座っている黒人女性たちと話を始めた。

「かわいいー」

 といいながら、犬とじゃれる人もいた。

 彼女たちの何人か(ほとんどかもしれない)は移民なのだろう。トランスジェンダーに対する差別と同時に、移民に対する差別をも受けている。私たちが話し合っているとき、何度も笑い声が聞こえてきた。この場は彼女らにとって安心して話せる数少ない憩いの場なのかもしれない。そして、パリ市議として、アクティビストとして、精力的に働き続けるカブラルさんは間違いなく、唯一といっていいほどの頼りになる協力者にちがいない。

 はじめてカブラルさんに会った日のことを思い出した。

 フランス下院議事堂前で開かれたトランスフォビア、ホモ・フォビアに反対する集会の先頭にたって、横断幕を手にし、彼女はたっていた。口には警笛(ホイッスル)をくわえ、シュプレヒ・コールにあわせて何度も吹く。人通りの少ない広場のあたりに笛の音が繰り返し響き渡った。威圧のためか警備のためか、警官が10人以上、集会会場の前に立っている。日本に比べて暴力的な警察官を目の前にし、多少の恐怖を覚える参加者も少なくなかったであろう。パリ市議という公職の地位にあるカブラルさんが、性的少数者やHIV感染者の権利保護のために世界中をかけまわり、持てる力のほとんどすべてを彼/彼女らのための活動に費やしているカブラルさんがその場にいることを、多くの人が励みに思っているに違いないと、力強く笛を吹き続ける彼女の姿を見つめ、私は感じた。

 集会が終わった後、私が話しかけるとカブラルさんは優しい眼差しで、

「あなたが日本から来られた方ね。よく御出になりました。はじめまして」

といって右手をさしだし、握手をした。

「はじめまして。機会があれば、カブラルさんには一度、会ってお話ししたいです。でも、まだフランス語が上手に話せません」

というと、

「いいのよ、徐々に勉強していけば……。これが私の政見を書いた文章です。ぜひ、お知り合いに配って。事務所の電話番号・住所も書いてあるから、ここにコンタクトしてください。ぜひまた、お会いしましょう」

といって、三頁の紙(A4)を五冊、手渡された。

そこには、彼女がブラジルで生まれたこと、環境破壊を目の当たりにしてエコロジストになったことが綴られ、ブラジルでの売春について次のように書かれている(及川が要訳)。

「商才のある私の母は地域社会で様々な活動に携わっていた。彼女は売春婦の面倒を見ていた。その頃まだ医学生だった母と一緒に、彼女たちの性病治療に私は付き添ったものだ。多くの売春婦が疥癬や梅毒にかかっていた。彼女たちはとても貧しかった。そして、
『社会的権利がなく排除され差別されることを、 あなたは理解することも、経験することもないでしょう』
 と、責めるのだった。
彼女たちの多くが我が子を捨てざるをえない状況に置かれていたから、私の母は売春婦を母に持つ孤児(みなしご)同然の子どもたちを保護施設に連れて行った。子どもたちは一〇歳までしか、そこにはいられなかった。一〇歳を過ぎれば、彼らは養子に行く運命にあった。
母が私に人助けの何たるかを教えてくれたこの活動を、社会から触れてはならない(アンタッチャブル)なものと考えられていた女性たちを、私は決して忘れることはできない。
権利のない状況で生きるこの種の女性たちが人間らしく扱われるために、私は自分の持ちうる力をすべて捧げるつもりだ。もちろん、フランス人であるか、移民であるかにかかわらず、である。」

このフレーズを読んで、私は感動を覚えた。カブラルさんは自らの体験に立脚し、セックスワーカーの権利保護の運動を始めたわけだ。

少なからぬ人々が売春の悲惨さで以て、売買春(買売春)を否定しようと試みる。カブラルさんは売春の悲惨さを目の当たりにしたからこそ、「性労働者に権利を!」と言い始めた。
その言葉にはある種のすごみがある。

「売春婦を排除することで、より劣悪な状況に彼/彼女らを置いてしまう」

と常日頃、口にする思想の原点は、ここにあるのかもしれない。取材に来た理由の一つは、その点について問いただすことでもあった。

事務所の椅子に座りながら、カブラルさんのことにふれこれ考えを巡しめていると、「いいのよ、徐々に勉強していけば」と微笑んだカブラルさんの言葉を思い出した。ここで働くスタッフのほとんどがフランス語を母国語としない人たちだ。カブラルさん自体、ブラジル育ちの移民だから、フランス語が母国語ではない。たどたどしいフランス語で話す私に対して、嫌な顔一つせず、一語一語、聞き漏らさないように真摯な対応で耳を傾けてくれた姿勢は、御自身の経歴や周りのスタッフの影響もあるだろう。

待ち合わせ時間から1時間ほどたった頃に、会議室のドアが開いてカブラルさんが出てきた。

「お待たせしました。久しぶり。彼に捕まっちゃって」

 部屋の真ん中には会議用のテーブルが置かれていて、20代前半の白人男性がたって微笑んでいた。カブラルさんは部屋の外に出ていき、働いているスタッフらに声をかけていった。明るい声が彼女を迎えているのが、部屋の中にも聞こえてきた。
 部屋にもどるとカブラルさんは、

「どうぞ、おかけになって。では始めましょうか」

 といい、席に着いた。
そして、インタビューは始まった。

(インタビュー原稿は未完成。『Gay @ Paris』に収録予定)

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