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真実・篠田博之の部屋[番外17] [2001年2月16日]
真実・篠田博之の部屋
[番外17]
 前回に続き、「番外」にからめた近況みたいな話から始めます。
 このところの私のハイテンションを支えているのは、文庫の印税ですけど、よーく考えたら、42歳のオヤジが、百万円台の残高があることで、こうも大転換するのって、情けないですよね、やっぱり。もうじきパソコンを買って、税金を払って、このあと長めの旅行に出たら、ほとんど残らないし。
 だってさ、『魔羅の肖像』の印税2百万のうち、70万円は先払いしてもらっていたので、残りは140万円でしょ。と、今こうやって書いただけで、私の頬が少し緩んだんですけど、同年代のテレビ局員は、毎月こういうサラリーを手にしているんですよ。こちとら、ものすごい時間と手間と金を使って、人々の好意もあってようやくまとめることができ、それが単行本になり、文庫になったわけです。これは形になったからいいようなもんで、本にさえならない原稿も多々あって、そういう蓄積をタダでかっぱらって、高給を確保しているんだから、これって逆なんじゃないの? 高給もらっているヤツらが、せめて私くらいの苦労しているんだったらいいですよ。それをパクるしかないようなヤツが四苦八苦するのが本来は当然の報いなのでは。
           *
 しかし、前回書いたように、テレビだけじゃないですからね。間もなく、ある地方新聞の呆れた体質をボロクソに批判するつもりなんですけど、これってその新聞だけの問題じゃない。
 新聞のコメントってあるじゃないですか。事件に対する識者の声みたいなコメントです。全部が全部そうなのかどうか知りませんけど、あれってタダだって知ってました? つまり、報道のための取材なのだから、タダでいいということです。言ってみれば、[被害者の隣人は「恨まれるような人ではない」と語っており…]といったコメントと同じ扱いということなのです。
 でも、ヘンですよね。隣人のコメントは、事件にまつわる情報そのものであり、隣人も参考人として当事者ですけど、心理学者だったり、小説家だったり、大学教授だったりのコメントって、これとは意味合いが違い、本来は、記者自身の言葉でまとめればいいだけのことです。それを代行してもらっている以上、ギャラを払ってしかるべきです。さもなければ、新聞記者はノーギャラでいいはずです。実際のところ、新聞は警察情報垂れ流しの警察広報紙なんですから、警察から給料をもらえばいい。
 まとめる能力がないんじゃなくて、新聞が社の立場を鮮明にして、責任を負うのがイヤだということかもしれません。だったら、やっぱりギャラを払うべきです。
 現に事件報道であっても、雑誌ではコメント料を出しますし、テレビでさえ出します。新聞だけが何か特別な社会的使命を負っているかのような妙な思い上がりがあるのではないでしょうか。
 これと同じようなことなんですけど、今まで二度ほど、見ず知らずの新聞記者から電話があって、「会ってもらえないか」と言われ、会いに行ったことがあります。どっちも何年も前のことで、内容はよく覚えてないのですけど、ひとつは、「自分は性のテーマに取り組みたいと思っているので、参考に意見を聞きたい」といったような話だったと思います。請われるままにいろんな話をしたのですけど、それでおしまいです。コーヒー代は出してもらいましたが、コーヒーを飲みたいんだったら、うちで飲めばよく、何も交通費をかけて遠くまで行っておごってもらうようなことではない。
 もうひとつも似たようなもんで、確か朝日新聞か毎日新聞の大阪本社の記者だったように記憶していますが、私の原稿をよく読んでいるそうで、「つきましては東京に行く時に、一度お会いしたい」といったことを言い、この時も東京駅のホテルまで会いに行って、ダベッておしまい。コーヒー飲むためにまたも交通費を千円くらいかけてみました。
 意味が全然わからんのです。まだはっきり仕事になるかどうかわからないまま、私があるテーマ取り組みたいと思ったら、本を買ってきて調べ、自腹切って体験し、そうやって全体像をつかんでから、どこかの雑誌に企画を持ち込み、コメントが必要になれば、ようやっと話を聞きに行きます。
 つまり新聞記者は、本を買ってきて調べ、自腹切って体験してようやく他人がつかんだ全体像を横からタダでもっていって恥じない人達ということなのでしょうか。タダじゃなくて、コーヒー一杯か。
 実は、この話は、これまであんまし気にしてはいなかったのです。なんか新聞記者って、そういうことをしていい人たちという思いが私の中にもあったんですね。
 ところが、その某地方新聞を調べていくうちに、あまりにひどい警察信奉と、それに無自覚である記者の実態を知るにつけ、警察広報紙以外の何物でもないと判断するしかなくなりました。その新聞だけではないのだろうとの想像もでき、だとするなら、警察広報紙記者に、なんで私がコーヒー一杯で協力しなければならなかったのかとムカついてきたのであります。
 よく元新聞記者が、退社してフリーになって、看板を使えないことに戸惑ったという話を書いていますけど、最初からフリーの私には、実感としてよくわかりません。だって、「SPA!」でさえ、地方都市に行くと、まるで知名度がなく、「元『週刊サンケイ』が新雑誌になりしまして」なんてことを説明しなければならなかったりしたものですけど、役所であろうが、病院であろうが、大学であろうが、どこにでも行ってました。取材を断られることがなかったわけではありませんが、私の記憶する限り、雑誌を知らないからと言って、断られるケースは皆無です。
 事実、「SPA!」以上に、誰も知らない雑誌の取材で、ズケズケとどこにでも取材に行っていて、記者クラブのあるところでは取材しにくかったりしますけど(要するに、あれが新聞を広報紙にしていて、言いなりになるメディアしか、情報を渡したがらないわけです)、あんましこういうところに取材に行くことがないので、そうは困らない。
 でも、ようやくわかりました。新聞に対する幻想があるために、記者が他者の蓄積をかっぱらうことを社会全般許していて、フリーになった途端に、これができにくくなるのです。新聞記者が「ちょっとお会いできませんか」というと、何やら重大なことを私が握ってしまっているのかと思ったりして、「それはお会いしてから」と言われたらノコノコと出かけていくでしょうが(バカです)、同業者であるフリーライターが「それはお会いしてから」と言ってきたら、「今忙しいので、用件を言っていただけないと」ということになるでしょう。
 事実、新人のライターが「ライターの手ほどきをして欲しい」みたいな手紙を送ってきたことがありましたが、なんでそんなことしなくちゃいけねえんだと無視しました。私が同じ立場なら、どこかの雑誌でインタビューをとりつけて、謝礼を払うなり、本の宣伝をするなりして、相手にメリットのある形で会うことを考えます。いそのえいたろう氏や吉村平吉氏には現にそうやって会って、手ほどきを受けてます。
 こういう当たり前のことをやればいいだけで、当たり前じゃない盗っ人行為において、新聞記者がフリーになると困り果てるだけでしょう。で、新聞記者のほとんどは、その行為が、当たり前ではないこと、盗っ人行為であることを自覚していないと思いますよ。見事な思い上がりです。
『売る売らないはワタシが決める』の広告を毎日新聞が掲載拒否したように、新聞社は隅から隅まで思考停止に陥っていて、プライドのみを温存させた思い上がり集団と言っていいでしょう。
「週刊文春」の連載コラム「新聞不信」の執筆者に加えてくんないかな。あっ、ダメだ、もう十年以上、オレっち、新聞をとってないんだ。
 再販制度の問題においても、新聞の言い分を見ると、宅配制度がなくなるだの何だのって言っていて、「宅配されないと困るだろ」って脅しているつもりなんでしょうけど、新聞って、宅配なんてしてもらわなくても何も困らないんですよ。駅で買えばいいんだもん。困るのは読者じゃなくて新聞社です。そのことを新聞社自身がよく知っているから、洗剤やタオル、野球のタダ券やビール券を餌にして、チンピラまがいの拡販員を使って、辛うじて契約を確保しているくせに、よく言いますよ。
「最近の若いヤツらは新聞もとらない」なんて嘆くバカな大人がいます。「大人は、警察広報紙を金払って毎日配達してもらってやがる」と嗤うのが正しい。
 日本のみの制度であることを新聞社は強調するわけですけど、そんなんもんなくても海外では新聞を出しているってわけです。物で釣って契約させて、あるいは脅して契約させて、クセで延々買わせ、自分らの高給を保証させている。悪徳商売の最たるものじゃないの?
           *
 読者って、なかなか、著者の思いを理解してくれないものです。例えば著者が執筆に一年かけた本でも、読者は三時間四時間で読んでしまい、著者は都合数十回、数百回と読んでいるのに対し、通常読者は一回しか読まないのですから、著者の思いの何割しか伝わらないのは当然ではあります。この度合いをどうやって上げるかが書き手の能力ということになるのですが、私はどうしても文字数を費やし過ぎて、結局、鈴木邦男の指摘じゃないけれど、「何言いたいかわからない」ということになってしまいがちです。難しいです。
 この難しさを『ワタ決め』でも実感しました。『ワタ決め』の読者カードが少しは届いていて、府川さんという方の読者カードには、以下の文章が書かれていました。
[松沢さんの著作は殆ど読んでいますが、「ワタ決め」に山口みずか嬢が登場しないのは画竜点睛を欠くそのものです。山口嬢こそは超ウルトラスーパー抜群猛烈ド級にOKなソープ嬢兼ライターです。次作では必ず載せてください]
 もし本当に、この人が、私の著作をほとんど読んでいるのだとすると、悲しいです。実際には、たぶん『売る売ら』は読んでおらず、インターネットの原稿も読んでいない人でしょう。
 私自身、売るために、もっと知名度のある人に書いてもらえばよかったと思うのですけど、これは原稿の内容を期待してのことではありません。「売る」という点においての戦略としてのみの話です。
『明るい谷間』や新吉原女子保健組合を私が評価するのは、そこに有名な人がいるためではないのと同じです。
『ワタ決め』の参加資格は「書きたい人」であることです。そのために、できるだけ催促をしないようにして、それが原稿を集める際の大きな困難となったことはあとがきに書いた通りです。
 そのため、今までさんざん私の本に登場していた南智子にも「暇があったら書いてよ」と言うに留め、それ以上、積極的には呼びかけていません。
 既にメディアによく登場している人は、そっちで自分の意見を表明しているのですから、それでいいとの思いもありますし、メディアで文章を発表する風俗嬢が一人しかいないよりは、十人いた方がいいじゃないですか。『ワタ決め』はそういう本です。今までさんざん語られてきた風俗嬢イメージを継承するのでなく、もっともっといろんな人がいるよ、もっともっといろんな考えがあるよ、ほら、こんなにみんなバラバラで、人それぞれなんですよ、「どいつもこいつも仕事をイヤイヤやっている」「どいつもこいつもセックスが好きでしょうがない」「どいつもこいつも借金を抱えている」と思い込むのは間違いですよ、ということを言うための本であり、できることなら、そこから別のメディアでも活躍するような人達を見いだしていきたいという思いもありました。
 というようなことって、やっぱり後書きにいちいち書かなければ、わかってもらえなかったのかなあ。
 例えば、あの本に、山口みずか、南智子、菜摘ひかる、酒井あゆみ、飯島愛、小林ひとみ、葵マリーといったメンツばかりが参加していたのであれば、そりゃ、もっと売れるでしょうし、そういう本の作り方もあるでしょうよ。人によっては事務所だってあるのですから、確実に原稿は書いてもらえたかもしれません。でも、そういう本じゃないんだからさ。
「書きたい人が書く」という本の作り方の困難さはイヤというほどわかりましたが、このような本の作り方が間違っていたとは今も思っていません。問題は書きたい人の絶対数が少なすぎたことにあったのです。
 でさ、あとがきにも、書きたい人が書くという趣旨を書いていて、どうして[次作では必ず載せてください]になるのかわかりません。山口みずかに「次作では必ず書いてください」と言うのならともかく、そんなことを私に言われたってねえ。やっぱりこの本の意図や意義って全く理解されてないんだろうなあ。
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