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真実・篠田博之の部屋[番外9] [2001年1月15日]
真実・篠田博之の部屋
[番外9]
 お車代をもらっている人はいくらでもいます。都内のヘルスやイメクラでは、お車代を出さない店がほとんどですけど、中には出す店があります。昨年始めて取材に行った某老舗風俗店では茶封筒が出てきて、二度目に行った時もやっぱり出てきて、二度とも断ったので、さすがに今は出してきません。
 仮に週に一回くらい取材があって、全員が全員断っていたら、さすがに店としても出さなくなると思うんですよ。2人に1人か、3人に1人知りませんけど、受け取るのがいるから、今も出し続けているのでしょう。
 東京のある店では「風俗誌は広告という形で金を出しているが、一般誌には出していないから」として、一般誌の取材のみお車代を出すという方針で、この店にはお車代を出したメディアの具体名を聞き、そのリストを見せてもらったこともあります。
 関西はお車代が出てくる店が東京よりもずっと多い印象もあって、お金を突き返したら、「こんな人は初めてです」と言ってきた店とか、「皆さん、もらっていますよ」と言ってきた店があります。本当かどうかはわからず、「みんなやってんだから、あんたも黙って受け取ってもいいんですよ」と、金を受け取るように仕向けただけの言葉かもしれませんけど、そう言うことで、現に受け取っている人がいるであろうことも想像できます。
 私には、車代をもらってはいけないという自分自身のポリシーがありますけど、前回書いたように、一般的にはどう考えていいのかよくわからず、「取材対象から金もらって何が悪い」という人がいた場合、対抗する言葉がありません。「取材対象から金をもらうと、客観的な判断が下せなくなり、読者を裏切ることになる」という意見は正しいと思いますよ。しかし、だとしたら、メディアが広告をもらうことは何故いいのかという話にもなってきます。風俗誌に限らず、現に広告をもらっているスポンサーの批判ができない雑誌はいくらでもあるじゃないですか。
 テレビの場合でも、コマーシャル以外の番組自体で金儲けにしてはならないことが法で定められているではずですが、タイアップという方法で、堂々と物を提供してもらったり、金を出してもらったりしています。あるいはテレ朝の「トゥナイト2」のように、番組のスタッフが風俗店に堂々金を要求している事実があります。
 これらが許されて、なんでライターが1万2万の金を受け取ってはいけないのか、という話です。ということからして、「お車代を受け取って何がいけない」という人がいたってよく、私はそれに反論しにくい。ところが、現実には、そう主張する人がいるという話を聞いたことがない。受け取ってはいけないと思うのなら受け取らなければよく、受け取っていいと思うなら、公然と、そう主張して受け取ればいい。受け取っていながら、そう主張しない人達って、なんなのかという気がします。
 私としては答えが出ないなら出ないなりに、こういった問題を論じておきたいのです。自分と違う考えの人の意見を聞きたいのであります(答えはだいたい出ていて、お車代を受け取ってはいけないのでなく、受け取っていることを黙っていることが悪いと言ってもいいのですけど。これについては前に書いているので割愛)。
           *
 アンチ読売巨人ネットワーク(AGN)の一員としては、あまり言ってはいけない話ですけど、巨人の選手の中で仁志だけは好きです(AGNが巨人を崩壊させるために送り込んだ秘密兵器である清原は別です)。でも、仁志って、ズケズケと意見を言うため、チーム内で嫌われているらしいですね。さすがです。
 もちろん言い方というものがあるわけで、なんでもかんでも、場をわきまえず、相手を選ばず、言い方を考えず、意見を言えばいいってもんではないのですけど、戦前のように、意見を言うだけでムショに入れられるわけでなく、せいぜい人に嫌われたり、仕事をちょっと失うくらいのものですから、もっともっと皆さん自分の意見を仁志みたいにズケズケ言えばいい。
 ことによると、お車代をもらっているライターや編集者、カメラマンこそが、私がもらっていないことを明言していることに対していい感情をもっておらず、デマを流しているのかもしれないと想像したりもします。情けない話ですけど、こういうことが実際あり得るのです。
 三和出版の内山が前にこんなことを言ってました。
「風俗嬢のインタビューや撮影でギャラをちゃんと払うと、それを批判する人がいるんだよ。ギャラを払う雑誌があると、払っていない雑誌がやりなくくなるからって」
 ホントにくだらない人間がいるものです。
 確かに「シリクラ」は、相手を問わずインタビューのギャラを払います。全部が全部そうなのかどうか知りませんが、私がやったインタビューに関してはそうです。
 街娼のように必ずと言っていいほどギャラを払わなければならない相手もいますが、風俗嬢のインタビューは、まずノーギャラで大丈夫で、私自身、編集部が払ってくれないからといって、インタビューで自腹を切ることはあまりありません。キリがないので、宣伝効果のないメディアを店が断ることもありますが、逆に言えば、宣伝効果さえあれば、金を出せと言われることはありません。
 つまり、どこかが金を出したからといって、取材がやりにくくなることは、現実にはまったくないと言ってよく、あるとすれば、宣伝効果がないくせに、タイアップと称してタダで裸を誌面に出したり、時には体験取材をやってタダで射精しようという雑誌でしょう。
 私自身、コメント取材やインタビューを受けるなら、「ギャラを出せ」と思いますが、間違いなく単行本の宣伝になるというのなら、タダで取材を受けます。あるいは、「この雑誌は面白いので、ギャラがなくてもいいや」とか「この人には世話になっているから、ギャラがなくてもいいや」「この記事にはタダで協力する意義あり」と判断することもあります。
 予算がなく、宣伝効果が薄いのだとしても、相手が乗ってくるような誌面作りをしたり、企画を考えればいいだけであって、自分の無能さを棚に上げて、ギャラを払う雑誌に文句を言うとは愚の骨頂です。
 こういう人たちは、売れている雑誌にも文句をつけるのでしょう。「あんたたちの雑誌に宣伝力があるため、うちらのような売れてない雑誌は取材がやりにくくなる」ってさ。あるいは、原稿料のいい雑誌には「あんたたちの雑誌で高いギャラを払うから、ギャラの安い雑誌は原稿依頼しにくくなる」と文句をつけるのでしょう。バッカみたいですね。
 このことを考えても、お車代をもらわない人達がいるせいで、自分たちまでもらえなくなるなんてさもしいことを考える輩が現にいるのではないかと想像できるわけです。
 既に書いたように、私は体験取材はもちろん風俗店で遊ぶ時は必ず金を払っています。これに対しても、「自分たちがタダで遊べなくなる」と文句をつけそうですけど、そんな文句をつける前に、こういった金を払わないことは許されるべきか否かを論ずるべきではないんでしょうか。払うこと自体になにがしかの問題があるというのであれば、私もそのご意見を拝聴し、納得すれば今後払わないようにしますけど、そんな意見は聞いたこともなく、「知るか、バカ」という話です。
           *
 かつての東ドイツやソ連では、為政者をおちょくる小話の類いがよく流通していました。あるいは、この日本でも、戦中は「ぜいたくは敵だ」というフレーズに「素」を加えて「ぜいたくは素敵だ」にし、「足りない足りないは工夫が足りない」の「工」を消して、「足りない足りないは夫が足りない」にして、ささやかな抵抗を試みたわけです。
 江戸時代の川柳や狂歌にもそういった要素がありますし、幕末に流行った落書(らくしょ)もまた堂々とは為政者を批判できない庶民の抵抗の意思の表れです。また、今現在も天皇家にまつわる噂話は絶えません。批判を封じることによって、こういった形で批判が表れるというわけです。
 このような構造は個人においても表れるのかもしれないと思います。正面から他者を批判できるような人は、何も裏で陰湿な噂話を流してウサを晴らす必要はない。しかし、そうはできない人達は、どこかでガス抜きが必要となる。インターネットもそういったガス抜きの場として多々利用されていて、そういったガス抜きがあること自体、悪いことではないでしょう。私自身、インターネットでの批判ができているから、「創」の篠田氏を闇討ちにしないで済んでいるのかもしれませんし。
 インターネット上では他者の批判なり誹謗中傷がそれなりにあったりしても、相変わらず、印刷媒体ではなかなか議論が起きませんね。決定的なのは、インターネットでは匿名で他者を批判できることでしょう。現にそうしなければ批判ができない人たちがいる以上、常に必ずどこの誰か特定できるようにしなければ他者を批判してはならないとは私は思いませんけど、匿名性が守られることはしばしば無責任さを招きます。
 だったら、今よりもずっとどこの誰かを明示しての批判が容易にできるようになれば、より責任ある言論も可能になるこそが想像できます。現にそうなっていないのは、何が原因なのでしょうか。以下、次回。
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