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真実・篠田博之の部屋12 [2000年11月22日]
真実・篠田博之の部屋12  私が書き直した投稿に対し、11月20日、篠田氏から[お断りします]との回答がありました。理由は何も書かれていません。なんだ、やっぱり表向き謝ったように見せておいただけで、実際に篠田氏がやったことを正確に読者に知られるのはイヤだったんですね。
 さて、これについては10日で回答を寄越したわけですが、篠田氏が、訴訟を匂わせつつの不当な要求をしてきてから一カ月以上になり、その申し入れを公開するように篠田氏に要求しているのに、こちらは全くの無視が続いてます。
「お詫び」を今になって出してきたことと、私の指摘を受けてすぐに「お詫び」を出すこととは意味合いが違うと前回説明しました。今回の文書の公開についても同様で、今から公開する場合は、一時間もあればできるのに、どうして一カ月以上もかかったか、度々の公開要求を出さなければなぜ公開しなかったのかの弁明をしていただくしかない。なにしろこちらには一週間の期限での回答を高圧的に求めてきた人なのです。老婆心ながら、弁明を添えた上で、一刻も早く公開することをアドバイスしておきます。まっ、聞く耳もたないでしょうけど。
「噂の真相」12月号の編集後記で、岡留編集長が、公開の対談で篠田氏を批判したことに触れ、こうまとめています。
[『創』が雑誌経営では致命傷になりかねない赤字路線から一刻も早く脱却すべく、アドバイスしたつもりだったが、彼のキャラクターもあって通じたかどうか心もとない]
 なにしろ大変仲がよろしいらしい岡留氏がアドバイスしたところで、篠田氏は受け入れられるほどの度量がないキャラクターということなんで、まして権威の有無で人を判断する篠田氏は、私が何言っても無駄でしょう。
 このまま篠田氏が公開しないのであれば、あの愚劣極まりない文書は、私の方から公開させていただきます。著作権をロクに知らずに編集長をおやりになって恥じない篠田氏は、さんざん自分では著作権侵害をやっておきながら、無知のあまり私には文句をつけてくるかもしれません。予め反論しておきましょう。「これまで私が公開でやることを繰り返し申し入れ、篠田氏自身、過去の文書を出していることからもそれを受け入れていることが明白で、その合意があった上で出してきた文書であり、公開前提の文章であると推認できること」「篠田氏が指定してきた一週間を遥かに越えて1カ月経っても、公開要求を拒絶する旨の連絡もなく、公開を了承していると思われること」「市販されている雑誌の編集長がその立場で出し、その内容も公開された文書についてのものであり、その内容は広く知らしめる意義があること」、以上の3点につき、私が公開することに十分な合理性も正当性もあると考えます。しかし、篠田氏がギリキリのメンツを守れるように、もうしばらく待ってあげましょうかね。
 沢辺さんも篠田氏に提案をしているのに、回答は未だありません。因に、沢辺さんには、公開論争をやってもかまわないと私は申し入れてます。あんだけロフトプラスワンに出たり、カルチャーセンターで講師をしたりしている篠田氏ですから、対面での論争はさぞかしお強いのではないでしょうか。私、負けちゃうかも。
 篠田氏は、これまで言ってきたことからしても、また、沢辺さんに申し入れの仲介を頼んだ経緯からしても、沢辺さんの提案を受けるしかないでしょうよ。このような提案、つまり議論の継続と整理が可能になる提案を蹴ったまま、訴訟を起こす選択もいいですよ、そりゃ。誰だって裁判を起こす権利があるんだから。しかし、それならメディアを上での議論、他者への批評といったもののほとんどは裁判に委ねればいいのであり、雑誌なんてさっさとやめるべきでは? これまた誌面で言っていることとやっていることが大違いの篠田氏という人間がよーくわかる行動ですから、読者の離反を招くだけでしょう。どうぞやったんさい。
 こうまで黙りこくって、よく恥ずかしくないなあ。それとも、訴訟準備で忙しいのでしょうか。裁判になれば、今回の文書を私の方が提示して、どっちみち公開になるんだから、さっさとやった方が読者の失望は少しは避けられるかもしれないのに。
 そりゃ、読まれたくないでしょうよ。議論を放棄して、自分に都合の悪い言論を潰そうとした意図が見え見えの、あんな申し入れをよくもやらかしたものです。でも、現にやったことなんだから、出すしかないんじゃないの? こうやって無視している間にも、読者の皆さんの不信が高まるだけですよ。現に、「創」は廃刊にするしかないとの意見も届いていて、ジワジワと「創」読者にだってこの話は浸透してきているんですから、もうちょっと真面目に取り組んだ方かいいんじゃないのかなあ。
 まっ、このままじゃマズいと判断したからこそ、あんな姑息なことをしてきたんでしょうけど、あんなもんをどうして私が受け入れると思ったかな。訴訟を匂わせばビビると思うくらいに篠田氏は裁判所に絶対的な力があるって盲信しているのでしょう。そういう人なんですね。でも、そんなん通じない相手がいるくらいのこと、想像した方がええんでないの。
 篠田氏はたぶん「あれは脅しのつもりで書いたのではない」と言うでしょうね。篠田氏なりにはガードしていることがわかる文章ですから。しかし、「だとしたら、なんであんなことをわざわざ書かなければならなかったのか」という根本的な理由が説明できないことにはお気づきではないようです。これまた篠田氏の素晴らしい特徴で、木を充て森を見ない人なんですね。訴訟を脅しに使う意図がないのなら、それに触れる必要はなく、私が申し入れを受け入れようが拒絶しようが、それとは別に黙って訴訟を起こせばいいだけです。
 訴訟を匂わせて、交渉を進める方法が、無条件に批判されるわけではないと思いますよ。しかし、この一件では、半年ゴネ続けた篠田氏が、ようやっと過去の文書を出してきて、第三者が判断を下せる状況になり、これから本格的な議論に入れるわけじゃないですか。しかも、この人は、公刊された雑誌の編集長で、しばしばマスコミ批判をやっているんでずぜ。
 もちろん、実際に篠田氏が訴訟を起こす可能性はあるでしょう。だって、そうしないと、いよいよ単なる脅しだったことが明白になってしまいますから。あんな裏取引めいたことをやられるくらいなら、私としても、まだしも裁判にしてもらった方がいいし、裁判記録を出版することもできます。
「創」が私を訴えて、一体どこに勝算があるのか想像もつきませんけど、議論をやっても勝ち目がないと判断して、訴訟を起こす可能性もありましょうから、実は私も弁護士を誰にするか検討し始めています。どうせなら面白くやりたいですからね。
 これが法廷に持ち込まれた場合、長期化するのは必至です。というのも、こっちは情報が公開されればされるほど好ましいと思ってますから、すぐに裁判所が出すだろう和解勧告なんぞ受け付けることなく延々続く泥沼に突入です。貧乏出版社と貧乏ライターの、どっちが長く耐えられるかのみっともない戦いとなりましょう。経済的にはあちらが有利ですが、出版社がインターネットの原稿でライターを訴えたという前代未聞の事実が広く知られるようになると、「創」は非常にやりにくくなりますから、その点では長期化は私に有利と見ています。同じく笑いものだとしても、より笑われるのは篠田氏ですし、笑いものにされるのは得意ですからね、私の場合。
 あんまし支援とか求めるのは好まないのですが、徹底抗戦していくためには支援が不可欠のため、もし本当に裁判になったら、何卒ご支援のほどを。カンパじゃなくて(ゼニも欲しいけど)、この情報をあっちゃこっちゃに広げていただき(くっだらないお笑い裁判として広げていただければけっこう)、出版社が議論の場を提示されているにもかかわらずインターネットの文章で訴訟を起こすことの是非についての議論をもり立ててください。また、これについての原稿を書ける場を提供してください。
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 いつまでも黙っているわけにもいかないので、予告していたように、既に公開されている「松沢呉一さんの攻撃について」「松沢呉一さんとの件について・4」に反論するとします。公開された批判についてはいちいち反応するのが私のモットーであり、誰かさんのように、都合が悪い点を無視するようなやり方を好みませんので、
「創」誌上での「お詫び」が出ましたが、このふたつの文書はそれ以前に届いていたものであることを改めて確認しておきます。その前後関係を踏まえてお読みください。ちゅうか、「お詫び」が出る前に書いてあったものでありまして、いちいち直すのが面倒なんで、ちょっとだけ手を加えて、ほとんどそのまま出しておきます。まるで中身のない、このふたつの文書を篠田氏が出してきた意図は、今となっては非常によくわかります。これについては次回、まとめて解説しましょう。
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 まずは「松沢呉一さんの攻撃について」です。篠田氏はこう始めます。
[松沢さんが私怨に基づくと思われる攻撃をえんえんと続けているわけですが、相変わらず事実誤認だらけで、これは言論の域を越えた暴力そのものです。単行本「風俗バンザイ」に関する記述など、丸ごと事実無根です]
 これを読んで、改めて篠田氏に対する、恨み、憎しみ、憤り、嫌悪、軽蔑を強めました。私ははっきり篠田氏への攻撃が個人的感情に根差すものであることを自覚しています。そりゃ恨んでいるに決まっているじゃないですか。人の文章を無断で削り、写真を勝手に外し、篠田氏を批判的に書いただけで連載を打ち切り、反論も掲載せず、金を踏み倒し、自分勝手な弁明を言い続けているんですから、論理も根拠もなく恨んでいるわけでもありません。かつ、これは「創」という公刊されている雑誌を舞台に始まったことであって、公的に論じる価値が十分にある「私怨」です。
 その恨みを生起させた張本人が、この問題を「私怨」で済ませ、それらについてまともに答えることをしないのですから、この憤りを数倍、数十倍にも増幅させ、何年かけても何があろうとも、この恨み、必ずや晴らしてみせましょう。
 篠田裁判長は「松沢さんとの件について・2」で[「黒子の部屋」の記述は、かなりのの部分が名誉毀損に該当します(刑法にそある名誉毀損の免責条項、公共性・公益性・真実性を3つとも欠いています)]と書いてきました。篠田氏は、連載をめぐっておきた様々について私が論ずることには公的価値がないと思っているらしい。「私怨」と言ってきたことで、このことはいよいよはっきりしました。「創」という雑誌が公的に存在する価値などなく、単に生活のための手段でしかないとの本心を吐露するのはけっこうですけど、読者が金を出して購入している公刊された雑誌の編集長であることの責任を少しは感じておいた方がよろしいのではないでしょうか。この程度の雑誌としか思わず、この程度の責任感で雑誌を作っている人だから、平気で著作物の改竄ができるのでしょうね。でも、他人には通じませんぜ。
 それはそうと、篠田氏って、私を刑事告訴するつもりなの? すんごいです。「『創』篠田編集長が松沢呉一を刑事告訴するとほのめかす(爆笑)」と「噂の真相」の一行情報に書いた方がいいんじゃないかな。
 篠田氏は「松沢呉一さんの攻撃について」のラストでこう書いています。
[この間の誹謗中傷については、受忍の限度を越えていると申し上げておきます]
 自分がやった行為を他人は受忍しろ、しかし、それに対する自分への批判は受忍できないというわけです。あんたのゼニ儲けの手段でしかないにしても、そこで書いている物書きには、文章を勝手に書き換えられることを受忍できないのがいることくらい想像しておけ!! その偽善者ぶりを受忍できない人間がいることくらい知っておけ!! この身勝手な人間が、自分の行為に対する当然の批判を「私怨」で済ませようとするのなら、篠田氏がそれによってどんな不利益を被ろうとも、こちらは「報い」の一言で笑って済ませましょう。すべてはご自分がやったことから始まっているのですから、「報い」以外の何物でもありません。
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 篠田氏の「松沢呉一さんの攻撃について」は、事の重大さを如何に認識していないか、どこに論点があるのかを如何に理解できない人なのか、あるいは理解しながら如何にごまかそうとしているのか、如何に無責任な人間であるかを余すところなく見せてくれます。要するに辛うじて反論する余地のある部分のみ取り上げてみせただけですよね。
 例えば、このような議論をより多くの人らに知らしめるべきだとの提案についてさえ回答してこない。篠田氏が言ってきたことからすると「創」は延々私の写真を無断複製し続けてきたことにしかならないという私の指摘は、「創」という雑誌を存続する上で、無視することのできない問題でありましょう。どうして、これを「私怨」だとして黙っていられるかな。確信をもってやったことなら、どうして堂々議論し、それを広く知らしめようとしないのかな。仮に私の言い分に納得してたために黙っているのなら、どうして金払わないかな。
「松沢呉一さんの攻撃について」で篠田氏が書いていることが、百歩譲って、すべて正しいとしましょう。だからどうした。これらを指摘したところで、篠田氏がやった行為がどうして免責されると考えるかな。せめて本来論ずべきことに少しでも抵触するようなテーマについて反論すればいいものを、この程度しか答えられなかったんでしょうね、1カ月半もかけてさ。皮肉でも何でもなく、ホントにそうだったんだと思いますよ。実際にはさしたる時間をかけたものではないでしょうけどね、その内容からして。こんなん2、3時間あれば書けるでしょうよ。
 都合の悪い点は無視し、論点をズラし、揚げ足取りをやったことで反論したかのようなポーズを取る卑怯極まりない無責任野郎が時々いるものですから、そういうことのないように、わざわざ回答していただきたい箇所にマークまでつけたのに、何の意味もありませんでした。
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●回答1について(原文には番号がついてませんが、●の順に1から6までの数字をつけておきます)
 ここでは、私が[篠田氏は、これまで自分が書いた文書の確認作業を一切しないで、「松沢呉一さんとの件」の1・2を書いたことを告白してしまっているのです]と書いた文章に篠田氏は反論しております。正確には反論したように見せかけています。
 篠田氏は意図してごまかそうとしているのか、本当にこう思っているのか、どうも判然としないのですけど(おそらくどっちもが混在しているのではないか)、もともとの問題がまるで見えず、枝葉を辛うじていじってみているだけです。その結果、前に篠田氏が自分で主張した言葉を否定するというお粗末な結果になっています。
 では、具体的に見ていきましょう。
 5月5日に出した文書で、私はこれまで互いが出した文書の公開を提案しました。対して篠田氏は、2カ月半後に送ってきた「松沢呉一さんとの件について・2」で、この提案を飲まなかった理由として、[5月4日付で送った文書を始め、私が伝えた説明がひどくアンフェアな扱いを受けているから][どんな方法をとっても、全文公開することで、私がアンフェアな使用をする]などと書いてきました。この時も、2カ月半かけてこの程度でした。
 私は、これらが公開しないことの理由にはまるでならないばかりか、こう言ってしまったことによっていよいよ公開するしかないことを念入りに説明した上で、それが公開しない理由になると考えた事情を改めて説明することを篠田氏に求めました。しかし、これについては、ここまで何ら反論も釈明もありません。
 さらに、「松沢呉一さんとの件について・2」で、篠田氏はそれらの文書が[どこに保存されているのかわからない]とも書いてきたわけです。私は過去の文書の公開を求めた文書の中で[書き直すのは面倒ですし、間違いが出る可能性があるので、今までの文書をポット出版にメールで出しておいていただけると助かります]と書いています。つまり、メールで出しておいてもらえると「助かる」というだけのことで、私の要求はあくまで「文書の公開」です。フロッピーに保存していないのであれば、「すぐにメールで送ることはできないので、こちらで打ち直すのを待つか、そっちで打ち直して欲しい」と回答すればいいだけのことではないですか。文書の公開に同意しないことの理由としてこのようなことを言ってきたのですから、私としては「どんな形であっても、文書は、篠田氏が容易には取り出せない状況にある」と推測したわけです。私の推測には、何の破綻もございませんね。このことから、それらの文書を読まずに、篠田氏は「松沢呉一さんとの件について」1・2どを書いてきたと想像してもいいでしょう。
「文書を公開して欲しい、と私は申し入れた」→「文書がどこに保存されているのかわからない、と篠田氏は回答」→「ということは篠田氏はこれまで、それらの文書を読み直すことなく回答してきたと推測」→「驚愕するに足る、と篠田氏は否定」という流れです。
「松沢呉一さんの攻撃について」で、篠田氏が私の指摘を否定した根拠は[これまでの文書は紙のコピーで保存しています]というものです、それと同時に[公表を前提とした原稿でなく私信として送ったFAXなのですから、フロッピーに整理して記録していないことなど当たり前ではないですか]と非難。
 管理がいい加減で、うっかり消してしまったりもしますし、掲載誌は保存しませんが、私信であろとなんであろうと、私のように、自分が書いたものをフロッピーで記録している人間に、「当たり前」と言われても困ってしまいます。自分が世界の基準と思わない方がよろしいかと。ともあれ、現に篠田氏は過去の文書を記録しておらず、記録していないのが当たり前と思っていることは了解しました。なのに、紙では保存しているってさ。なんだ保存してんじゃねえか。言っていることがバラバラ。
 こうなると、文書の公開の申し入れに対して、[どこに保存されているのかわからない]と言ってのけた理由がさっぱりわからなくなる。保存していたにもかかわらず、出したくないのでウソを言ったと考えてよろしいのでしょうか。私の指摘を否定するのはけっこうですけど、そのために自分の言ったことも否定し、言い逃れのウソを言ったことを自らバラしてしまっていることに気づいてくださいよ。
 もし本当に篠田氏が過去の文章を読み直しながら書いたというのであれば、ああもデタラメばっかり書いてきたことについても、こちらは改めて問うだけのことです。何カ所も指摘しているように、篠田氏は自分がやっていないことをやったとし、私が言っていないことを言ったとしています。これについての回答をいただいていないため、「手元にあって確認しながら書いたのに、どうしてこうもウソを並べたのか」と改めて問うしかない。
 以上のことから、私が[篠田氏は、これまで自分が書いた文書の確認作業を一切しないで、「松沢呉一さんとの件」の1・2を書いたことを告白してしまっているのです]と判断するに十分な根拠があると今も思っています。今後、もしこれらについて納得できる回答が得られたのなら、この部分については撤回することをお約束します。
 なお、今回の文書では、原文通りの引用を心掛けていただいているようです。ありがたいのですが、だったら今までこの作業をやってこなかったのはどうしてなのでしょう。ここからも、篠田氏のウソが透けて見えます。いや、篠田氏のことですから、引用は原文通りにやらなければならないことを初めて知ったのかもしれませんけどね。あとで説明するように、ホントに篠田氏は著作権についてまるっきりご存じないようですから。
●回答2
 これについては、「篠田博之の部屋9」で既に謝罪と訂正をしていますが、篠田氏が「風俗ユニオン」について私に書いたのがいつだったにせよ、こちらの趣旨はさして変わりません。
 篠田氏としては、「性労働というテーマには以前から関心があったのであり、私の連載を否定していない」と言いたいがために、「風俗ユニオン」について持ち出してきたわけですが、篠田氏が「風俗ユニオン」に興味を抱いたのは、私の連載を終了することを決定してからということになります(篠田氏の論理で言うと、です)。「風俗ユニオン」の話を篠田氏が知ったのは、既に篠田氏と私の間にトラブルが発生し、私の連載を否定する内容の文書を送り付けて以降のことなのですから、これをもって私の連載を否定していない根拠にはなり得ず、それ以前に篠田氏が性労働の問題に積極的関心を抱いていた根拠にもなりません(繰り返しますが、あくまでも篠田氏の論理で言うと、ですよ)。
 篠田氏が最初に「風俗ユニオン」のことを知ったのは、「篠田博之の部屋9」にあるように、10月16日に送った文書です。
 しかし、その文書に対する返事はなく、私は「創」に完全に失望して、こんな編集長のもとで、これまで同様に力を入れた原稿を書く気が失せ、楽にできる連載にスライドしていくことに決めたわけです。
 一方篠田氏は、これに対する回答をしないまま、その文書にあった「青山のシンポ」についての問い合わせをしてきます。
 考えてみると、これもひどい話です。私は、それらを私自身が取り上げたいネタとして提示したつもりもあって、それを匂わせつつ、連載続行の可能性を模索している文書を送っているのに、篠田氏は、それに対する回答をしないまま、自分個人の興味としてしまったわけです。
 事実、私の連載は打ち切りになり、篠田氏は、厚顔にも「風俗ユニオン」のことを記事にしたいと言ってきます。ひどい話じゃないですか。私の連載は切っておきながら、その書き手から知ったネタもっていくことをわざわざ宣言するんですから。
 つまり、「おまえの連載で書いてもオヤジの居直りとしか読者には思われないが、オレにとっては興味深い問題」って話でしょ。だからこその連載終了ってことなのだから(私が篠田氏を批判したことでの連載打ち切りだったことを篠田氏自身が書いてきたわけですが、当時はそんなこととは露知らず)、私としてはそのようにしか受け取れず、カチンと来るのは当然です。篠田氏も、この矛盾には気づいていて、だからこそ[これをも「込み入った話」として私が退けたように言われるとだいぶ違うのですが]なんて書いているわけです。そう書きつつ、その根拠は挙げられない。だって、なんも違わないんですもの。
 なお、篠田氏のような人にまで興味をもたれるような出方をしたのが「風俗ユニオン」の失敗であったと私は思っています。遠藤誠弁護士のパーティで売春婦の組合の話をしたところ、「意義なし」との声が出たとの話を「黒子の部屋」で書きましたが、「か弱き女たちが、悪辣な経営者に立ち向かう」といういう構造でこれをとらえ、労使強調路線の時代に、懐かしき左翼的な労働運動のありかたをここに見いだして郷愁に浸られてはたまったもんではないと私は思っています。過渡的なものとして、そういった支持をもとりつけていくことも必要でしょうが、そのような手垢のついた構造で性労働の問題はをとらえきれず、時に問題の在りかを見誤ります。
 篠田氏が私の原稿を苦々しく感じていたのは、まさに既存の左翼の文脈から大きく外れていたからだろうと感じています。フェミニストやら、お左翼な人たちをも「差別者・抑圧者」として敵対視することが耐えられなかったんでしょう。対して、「風俗ユニオン」は、自己の立場を揺るがすことなく、わかりやすい構造に押し込めることができる(本人たちの意図とは別に)。「風俗ユニオン」を「朝日新聞」が取り上げたのもそういうところがあって、だからこそ旧来のイメージで彼らを描こうとしたと推測できます。
 私にとって篠田氏の対応は豹変と言ってもいいものでしたが、その豹変ぶりは、このような「誤解」によるものであり、それまで私の連載内容には批判的だった篠田氏が、無理解であるがために興味をもち始めたということと思われます。
●回答3
 そうだったんですか、[単行本にする際の構成をどうするかなど、私も担当者も「ショー松」の原稿は当時、何度読み直したかわからぬくらい]だったんですか。大変な誤解をしてました。ここも訂正しましょう。あれほどまでに要求したにもかかわらず、著者の要求を完全に無視し、内容についてのサジェスチョンはおろか枚数の指定さえできないのは怠惰さのためだったと信じて疑ってませんでしたが、何度読み直してもどうしたらいいか結局わからなかったくらいに無能な人達だったのだと考えを改めます。まさか、そこまで無能な人達とは想像もつかず、単に怠惰な人たちだと過大評価して本当に申し訳ありませんでした。
「無能」といった言葉遣いでいちいち篠田氏は誹謗中傷だの名誉毀損だのと言うのでしょうが、篠田氏が言う通りだとすると、一体、無能以外にどんな言葉を使用すればいいんでしょう。何度も読んだのに、私にはその努力は何ひとつ伝えられなかったわけです。これが怠惰のためではないというのなら、読み込んで内容を把握し、何を残し、何枚くらいにしていいのかを決定する能力がなかったわけですよね。「無能」というのは、篠田氏が言ってきたことを忠実に私が受け入れた結果の言葉でしかないのです。
 何が事実無根だ。聞いて呆れるぜよ。篠田氏も久保田氏も、最後まで枚数指定さえしてくれなかったわけですよね。私の度重なる要求を完全に無視したわけですよね。その上で私がやった作業を否定してみせたわけですよね。これらのどこか事実無根なのか。つまり、編集者がやるべきことをやらず、書き手にすべて押し付けた現実は確固としてあるわけじゃないか。今回の篠田氏の弁明は、このこと自体の弁明には何らなっていないことがどうしてわからないのかな。さすが無能編集長は言うことが一味違う。
 何度催促しても原稿を送ってこず、やむなく編集部で代用の原稿を入れ、その代用原稿に文句をつけたライターがいたとします。これ自体呆れた話です。編集部が、ライターが原稿を落としたことを「怠惰」として批判したら、「事実無根です。どうしてそんなことを言われるのか哀しくなります。僕はどんな原稿にするか、徹夜で考えたんですよ」と言い訳するわけです。私は、こいつを無能呼ばわりし、「哀しくなる前に、どうして原稿を入れなかったのか。いくら考えたところで、原稿を書けなかったこと自体、ライター失格だろうが。せめて、原稿が書けないと、電話一本入れるべきだろうがよ。なに甘えているんだ、このクソ野郎」と非難もしましょう。でも、「創」では、これが通用するらしいですよ。ライターの皆さん、よかったですね。
 それが無能さのためであったとしても、私の腹立ちは何ら変わりません。現に私は繰り返しの要求を無視されて、やむなく自分の判断で作業をし、その作業に文句をつけられたわけです。このようや仕事のやり方のどこが「二人三脚」なのでしょうか。無能で悪いと言っているのではないのですよ。無能なりの仕事のやり方をちゃんとやったらどうなのか、ということです。「我々は、何度読み直しても、枚数指定すらできないくらいのどうにもならん無能集団なので、すべてそちらに任せる」と言えばよかっただけじゃないですか。こちらはいくら読んでも枚数指定さえできない編集者たちとうまく付き合う方法を模索するだけです。
 篠田氏がいくら一所懸命に原稿を読んだことを強調したところで、枚数指定さえできないことを私に通告してくれなかったのですから、篠田氏や久保田氏が怠惰であることが否定されるわけでもない。つまりは、無能の上に怠惰であるということにしかならず、さらには傲慢が加わるから私は腹を立てているのです。それを[丸ごと事実無根]で済ませるのですから、さらに一層腹を立てるしかない。恨みポイント10点加算です。
 言葉の使い方をよくわかっていないらしき篠田氏に確認しておきますが、[丸ごと事実無根]と言ってのけたからには、私があなた方に繰り返し「枚数指定してくれ」と要求した事実は存在せず、あなた方は私に枚数指定をし、削除箇所を指定したと言い張るのですね。ポット出版からの本にしたいという申し入れは存在せず、あるいは私にその事実を伝えていたというわけですよね。本を出すことを早く決定して欲しく、打ち合わせをしたいと私が申し入れた事実もなかったんですね。では、ぜひともそれらを証明していただきましょう。既に私はこれらの経緯を十分に読み取れる文書を公開しています。これらもすべて私の捏造だということでしょうから、どうかそちらのもっている根拠を公開してくださいな。
 無能が無能なりに、とにかく揚げ足をとれるところを探した努力したのでしょうが、そこのみに腐心したため、肝心の問題について見えなくなりすぎですよ。
 なお、この『風俗バンザイ』を出す過程のことについては、篠田氏がそれまで性風俗産業に、あるいは私の連載に、さしたる興味などありはしなかったということの一例として私は挙げています。篠田氏自身、「風俗ユニオン」のことを持ち出したように、著者に意思を伝えることによって、興味があったことの例となると認識しておられます。現に私はそれまで、私の連載について、何らコメントをしてもらったことはなく、『風俗バンザイ』については枚数指定さえなかったのですから、何度も読んだことをいまさら主張されたところで、何度読んでも興味が抱けなかったと思うしかありません。
 また篠田氏がここで自分の正当性を主張してきた以上、何度も読んでさえいれば、枚数指定さえしなくていいと考え、書き手が自分の判断でやらざるを得なくなったことにイチャモンだけつける一編集長の仕事のやり方、考え方が適切か否かについても、今後は別途論じていくことにしましょう。
●回答4について
 すごいですよ、ここ。
「回答1」「回答3」においても共通している傾向ですが、篠田氏は論点がどこにあるのか把握しないまま、否定できるところを見いだして、その部分を否定することで、すべて反論できたと思い込む癖があり、その言葉が他にどう影響するのかの想像が見事に欠如していると見受けられます。
 以前から私は論点と関係のないところで相手を批判してごまかそうとするやり方を「デベソ批判」と称してきました。
「おまえの言っていることは間違っているぞ」
「でも、おまえのかあちゃんはデベソじゃないか」
 という具合で、なんら反論になっていないわけですが、篠田氏の場合は、もっとワケがわかりません。論点と関係のないところに議論をもっていこうとして自分の首を締める荒業です。「自縛批判」とでも呼びましょうか。
 篠田氏が過去の文書を見ずに反論してきていたことを私が指摘したら、紙で保存していたと言い出して、どこに保存しているかわからないと言った自分の言葉を否定してしまう。「風俗バンザイ」を読んでもいなかったらしいとの私の指摘を否定するために、篠田氏は何度も読んだと言い、この時に、そもそも枚数指定さえしなかった自分の怠惰さを忘れているために、怠惰だけじゃなく無能であったことまでが露呈する。
 一事が万事この調子です。普通に考えれば、枚数指定さえしなかった事実は歴然としているのだから、それを認めて謝罪するなりなんなりした上で、「読んでいなかったわけではないのだ。どこをどうするか検討しているうちに〜といったいろいろな事情があって、つい時間が過ぎてしまい、結果として、編集者としての仕事が何もできなかったのだ」とついでに弁明をして、せめて同情のひとつも得て、ダメージを少なくしようとするってもんでしょう。
 ところが、篠田氏は、このついでの弁明がすべての反論になるとなぜか思うみたいで、[丸ごと事実無根]とまで言ってしまって、自分の首を締めます。
 で、そのもっとも典型的な例が、この「回答4」です。要するに篠田氏は、私が[「噂の真相」を快く思っていないライターの取材]と書いたことについて、正式取材ではなかったと言いたいようで、このことを私が宅八郎に確認していないことを非難しているようです。なんだ、こりゃ。ホントに何言いたいか、何度読んでもわからんのです。無能か、オレも。だって、私が「ライターの取材」の部分を「ライターの正式ではない取材」と直すと、篠田氏に不利な話になってきます。
「BUBKA」の記事の該当箇所を参考までに引用しておきましょう。この原稿は、宅八郎が「噂の真相」編集部で起きた右翼による暴力事件について事件の経緯を小説仕立てて書いたものです。
[事件から二週間ほど経った六月十九日に、『創』編集長の篠田博之が『噂真』を取材している。その数日前に、キツネ目の男として知られる宮崎学と話していた篠田は宮崎の言葉を思い出していた。
「一一○番通報したのは、どうにも納得いかない。それが頭にくるね……」そんな宮崎の言葉に触発され、マスコミ事情に精通した篠田は、一時期の『週刊新潮』だったら、きっと「反権力雑誌が一一○通報とはとんだお笑い草!」というような記事タイトルにしたんだろうな、と心の片隅で思った。
 八九年に篠田自身、昭和天皇崩御関係の報道にからんで、総勢四十人の右翼に囲まれ一時間にもわたる猛烈な抗議を受ける“恐怖体験”を経験しているが、その時にも警察に連絡するようなことはしていない]
 因に宅八郎とは、この記事に関して話をしておりますし、「篠田博之の部屋」に書いた原稿についても話をしており、その話を踏まえても、篠田氏の指摘の意味が理解できません。
 宮崎学氏の言葉や右翼に囲まれた時の話を宅八郎に話したのは篠田氏自身であり、それが正式取材であろうと、そうでなかろうと、読者にとっては何の違いもない。ことによると、「正式取材じゃなくて話したことが記事にされてしまった」と怒っているのかもしれませんが、それは私に言ったってしょうがない話で、どうぞ宅八郎に言ってください。うちのかあちゃんのデベソを指摘するならまだしも、宅八郎のかあちゃんのデベソを指摘されたような話で、キツネにつままれた気分。
 篠田氏の言う通りだとして、私の文章を書き直してみます。まず原文です。
[そうでしたか。「BUBKA」8月号掲載・宅八郎「やっちゃえ!OK」特別編における篠田氏のコメントを見ると、篠田氏は「噂の真相」に、醜いと言えるほどの相当の悪意を抱いているのだと感じてましたが、誤解だったようです。/読んでない方に説明します。「噂の真相」編集部で、右翼が暴れた事件について、「噂の真相」が警察に通報したことについて批判的な宮崎学氏の言葉を篠田氏は宅八郎に語っています。さらには、四十人の右翼に囲まれた時に警察を呼ばなかった自分の体験をも篠田氏は宅八郎に語り、直接ではないにしても、「噂の真相」を結果批判してます。/そういう考えをもつのはけっこうですが、「噂の真相」では暴力事件が起きたのであり、ケガ人も複数出たのですから、何十人であろうと右翼に囲まれても通報しなかった自分をここで例に出すのは何の意味もなく、悪意や自慢以外の何物でもないと私は感じたわけです。だって、四十人の右翼が囲むこと自体は違法行為じゃないですから、警察を呼んでどうなることじゃないですもん。/悪意や自慢以外の何がこのような意味のない言葉を言わせたのか私には想像がつかず、こんなことを、「噂の真相」を快く思っていないライターの取材で堂々述べる篠田氏が、「噂の真相」の人間に私について問い合わせたところで本当のことを語るはずもないと思うのですが、篠田氏は私が思っているような関係ではないと言うので、ああそうですか、というしかないですね。/建前上は友好関係にあると見せながら、本心では互いに快くは思っていない関係だと私は感じていたのですが、この部分については撤回します]
 以下、訂正済みの文章。
[そうでしたか。「BUBKA」8月号掲載・宅八郎「やっちゃえ!OK」特別編における篠田氏のコメントを見ると、篠田氏は「噂の真相」に、醜いと言えるほどの相当の悪意を抱いているのだと感じてましたが、その通りだったと本人が証言してくれました。/(二段落省略)/悪意や自慢以外の何がこのような意味のない言葉を言わせたのか私には想像がつかず、こんなことを、「噂の真相」を快く思っていないライターの取材で堂々述べる篠田氏が、「噂の真相」の人間に私について問い合わせたところで本当のことを語るはずもないと思うのですが、篠田氏は私が思っているような関係ではないと言うので、ああそうですか、というしかない。建前上は友好関係にあると見せながら、本心では互いに快くは思っていない関係だと私は感じていて、この部分については撤回しようとも思ったのですが、撤回する必要はありませんでした。/というのも、篠田氏本人の証言によると、やはり宅八郎の意図を知っていたそうです。その宅八郎が事実確認の質問をしただけなのに、わざわざ「噂の真相」を批判するようなコメントを篠田氏はしてみせたのです。/本人によると、正式取材ではなかったためにうつかり本音を語ったということらしい。公的には、篠田氏は「噂の真相」が警察に通報したことを支持しながら、正式取材ではないと、それとは違う考えを披露しているのですから、やっぱり建前上は友好関係にあると見せながら、本心では快く思っていない関係だったのです]
 これでいいですか、篠田さん。私が言うのもヘンですけど、違うんじゃないかなあ。でも、言葉どおりに受け取るなら、こう解釈する以外ないんですが。例えば、「宅氏には、宮崎学氏の意見を紹介して、“自分はそれとは全く違う意見をもつ”とはっきり言ったのに記事に反映されていない」とか「右翼に囲まれた話は、自分が話したのでなく、宅氏が独自に取材して、ここに書いただけだ」と言ってくるのなら、まだわかるんですけど、現実にそうじゃないのですし、篠田氏もそんなことを言ってきていません。
 そもそもこの話は、「噂の真相」と「創」は決して友好関係にはないと私が感じていたことに対して、篠田氏が「創」で岡留編集長のインタビューを掲載したことを根拠にして、そうではないとの主張をしてきて、それに対して私が訂正を入れたという流れです。
 このことからすると、篠田氏は、もし「噂の真相」と「創」が友好関係にないのだとしたら、インタビューを掲載しなかったということになります。つまり、友好関係にあるから、「噂の真相」の擁護をしているに過ぎないってことを自ら主張してきたのです。となると、篠田氏が委員会の副委員長をやっているペンクラブの声明は、やっぱりこういうことからなされているのだと思うしかないじゃないですか。
 実際にどういう関係にあるかは別にして、こんな主張をしてきたこと自体は重大な問題を含んでいると思っていて、ペンクラブの声明を批判する本多勝一さんにも是非教えてあげなくちゃ。
 しかし、私と篠田氏とのやりとりにおいてはさしたる問題ではありません。事実、このことは、[瑣末なことも入ってます]と書いた「篠田博之の部屋5」に入れた話であり、まさに私は瑣末的なものと感じてます。その話の中でも、正式取材だったかどうかなんてことはいよいよどうでもいい枝葉末節です。だから触れてはいけないというのでなく、その前に、もっと大事なことを論じなければいけないんじゃないのか。その上で、こういう瑣末な部分に触れるならともかく、大事な論点はネグッておいて、こんなところだけ反論(になってないけど、全然)するのがよくわからんです、ホントに。
●回答5
[別件で篠田編集長に電話したところ]という私の文章が間違いだというのですが、その根拠は書かれてませんので、どうしようもありません。
「篠田博之の部屋9」をご覧になっていただけるとおわかりのように、昨年の7月14日に送ったFAXで、私はこのように書いております。
[テーマやコンセプトに関わることについて、編集部として感想を言ったり、口出しすることに問題があるわけがないのですが、果たして、こちらからかけた電話のついでに言うべきことなんでしょうか]
 同様のことは他でも書いてますが、ここでの別件の内容は、「創」の連載をポット出版から出すという話であり、これが間違いだと言い出したのは今回が初めてです。どうか、何がどう間違っているのか教えてくださいな。
 また、その電話で私が[次号からインタビューを出すと久保田さんに伝えてあるんですよ]という話はなかったと言います。私は言ったと記憶してます。篠田氏は、最初の電話で、私のその言葉の意味をわかっているのかわかっていないのかもわからないような反応しかせず。担当編集者に確認もせずに私の原稿内容に介入しようとしたことを認めるのはみっともないために篠田氏はすっとぼけているのだろうとの感触もあったのですが、それについて追及するような後追いはしてないことは既に書いた通り。ここでそのことを追及するのは、相手の恥をえぐるみたいになりますから。思い切り、えぐってやればよかったですね。こういうことを指摘されたところで、篠田氏がその「キャラクター」から、素直に認めて謝るはずがあると思いますか、皆さん。岡留編集長もたぶん否定するでしょう。
 篠田氏に言われたことを担当編集者に伝えたところ、納得しがたい内容のFAXをしてきたために、既に久保田氏にリニューアルの件を伝えていたことを7月14日のFAXではっきり書いて、そもそもやるべきことをやらずに原稿内容に介入してきたのは篠田氏であることを明確にしました。
 ここはもう互いに確認がとれないことですから、「松沢は言ったが、篠田は理解してなかった」「松沢は、自分がそんなことを言っていないことをわかっていながらウソをついている」「松沢が言ったと思っただけで、本当は言ってなかった」「松沢が言ったことを篠田はわかっているが、知らないフリをしている」「松沢が言ったことを篠田はその時点ではわかっていながら、いつの間にか忘れてしまった」のどれなのか、あるいはそれ以外なのかを客観的に判断することは不能です。これが重大なことと篠田氏は感じているようですけど、私にとっては、たいした問題ではありません。互いの解釈が出揃ったのですから、あとは読者に判断してもらうだけですし、判断する必要さえないでしょう。
 だって、どれが正しかったのだとしても、そのことは、それ以降のトラブルにおいて、影響はありませんから。この話がどうであれ、現に篠田氏がそのあとFAXで書いてきたことを私は問題にしています。いい加減に理解してくんねえかな。
 これまでの文書を読んでいただければおわかりのように、私は何度も何度も、篠田氏が送ってきたFAXの内容が問題なのだと説明しているのに、篠田氏は私の指摘を何ら聞こうとせず、編集部内の伝達がされていなかったことに問題があったのだとするばかりなのです。篠田氏が「深い考えもなく思いつきでデタラメを書いてみただけなので、すべて撤回する」とでも言うなら、「ああ、そうですか、今後は気をつけてください」というだけですが、現にそうではありません。
「篠田博之の部屋3」でもまたまたこのことを説明しているにもかかわらず、今もなおこれを理解してくれません。というよりも、ここははっきり意図的なズラシでしょう。「ちょっとした行き違い」としてすべてをなかったことにしたいのでしょうが、原稿を否定され、連載の続行を不能にされた側としては、その真意を問い続けるしかないのです。
 篠田氏は徹頭徹尾、問題の本質をはぐらかそうとしていることが、今回の指摘からもよくわかります。私が既にリニューアルする旨を担当編集者に伝えていたことをいつの段階で篠田氏が知ったかがどうしてそんなに問題になるのでしょうか。なんで[これは単なる思い違いといったレベルでなく、この対立の根幹に関わること]になり得るのでしょう。対立の根幹がこんなとこにあるとしか理解できていない編集長の無能さに問題の根幹があるのです。
 私のFAXで知ったのだとしても、担当編集者に伝えていたことが編集長に何ら伝わっておらず、にもかかわらず連載内容に介入してきた杜撰な編集部という事実は翻りません(これ自体、たいしたことではないことを前提にしてのことですよ)。その後も、ワケのわからない論理で私の連載を否定し、その意味を問うても納得できる返事をせず、メシに誘ってなんとかなると考える、どうにもならん無責任編集者である事実は何ら変わらないでしょうが。それとも、篠田氏が私のFAXでそのことを知ったということになったら、文章を勝手に書き換えていいことになるんかよ、金を踏み倒していいことになるんかよ。
 執筆者にとっては、編集部内で情報が伝達されないことは困ったものですけど、こんなことでいちいち公然と非難しませんよ。「あの編集部は、担当者に言ったことが編集長に伝わらないし、いくら言っても金を払わない。何から何までだらしがないので、気をつけた方がいいよ」と同業者にアドバイスくらいはしますけど、そこ止まりです。
 なんでこうまで私が延々と篠田批判をし、「死ね」との怨念を送り続けているのか、いい加減わかったらどうなのでしょうか。なんだったら、私は私の記憶を否定して、この部分を謝罪とともに訂正したっていいですよ。でも、投稿は載せろよな。人にメシおごる金あるんだったら、払うべき金を払えよな。
 前に、あれだけわかりやすい例を挙げたのに、まだわからないようなので、もうひとつ挙げてみましょう(こういう例を書くのが好きなんです、私)。
 むかしむかしあるところに、シノダーという長老がおりました。自ら認めるくらいに大変無能な人なのですが、先代の長老一族がソウカイヤーという森の魔物と手を組んでいて、たまたまの経緯で長老になった人です。村人マッツは、村会費を収めていたにもかかわらず、長老一族は無能なため、そのことがシノダーに伝わっておらず、怒ったシノダーは、マッツに関するデマを流すわ、村祭りに参加させないわ、うちに火をつけるわ、家の前にウンコするわ、原稿を勝手に書き換えるわ、写真を外すわ、投稿を載せないわ、金払わないわと、権力をかさにきた狼藉三昧をやらかします。
 これに対して、マッツは「村会費を払ってますよ。そのことをクボッターに言っていたんですよ」と言い、シノダーは誤解していたことを認めます。いくら認めてもらっても、それ以降のシノダーの行為がなかったことにはならないため、マッツはその責任を追及するのですが、シノダーは、問題の根幹はすべてこの誤解にあって、それは解決済みであると言い張ります。しかし、その後の行為こそが問題なのであり、マッツは「せめてうちの前のクソを片付けろ」と追及し、その中でマッツは「最初の電話で村会費を払ったと言った」と話したところ、シノダーは逆ぎれします。
「こんな事実は全くない。もし本当にその電話でその話が伝えられていたら、その後の誤解に基づくトラブルはいっさいなかったし、誤解も即座に氷解していたはず。これは単なる思い違いといったレベルでなく、この対立の根幹に関わることで、無茶苦茶な事実の改ザンというほかない」
 無茶苦茶なのはシノダーの頭の中ですね。そもそも、その電話で事実を知って誠意ある対応ができるような人なら、それ以降の自分の言動にも責任ある対応をするはずでしょう。「もし〜なら」という仮想の状況においてのみ責任ある対応ができると主張したって聞く耳もたないって。それに、どうあれ、現実に自分らの無能さのせいでトラブルは発生してしまっているのです。
 シノダーがいつそのことを知ったのかに関する齟齬は、「シノダーがいつそのことを知ったのか」という事実においてのみ問題の根幹と言い得るだけです。例えば、交通事故の加害者が「あの時、あと1時間早く家を出ていれば、事故は起こさなくて済んだのに」といくら言ったところで、人をひき殺した責任はとらなければならない。その原因がどこにあるにしても、自分がやった行為の責任は個別にとらなくてはならないのだということさえも理解できない無能な長老一族は間もなく滅び、村には平和が訪れたとさ。
            *
 では、最後の段落。
[松沢さんが一方的にこれを答えろと言っている事柄と、昨年来こちらから送ったFAX内容をUPせよとこれまた一方的に言っていることについては、必要かつ可能な範囲で(昨年来のFAXは公開可能ですが、私信であり、第三者の個人名などを含めて当然検討が必要です)近々対応するつもりです]
 篠田氏は、ここでも自分が言ったことを無視しておられます。既に述べたように、[どこに保存されているのかわからないし、それをやることにどれほど意味があるのかという思いもしますので、みつかった段階で対応する]として、公開の提案をここまで受諾してなかったわけですよね。
 それが急に公開可能になったと言われても、「今までのことはなんだったの?」と問うしかない。もちろん、ここに至って文書が見つかったということならそれでいいのですが、だったら、やっぱり文書を見ないで、「松沢呉一さんとの件について」1・2を書いていたってことじゃないですか。
 これ以外にも公開しない理由を縷々述べていましたが、これもどうなったのでしょうか。人を「アンフェア」だのなんだのって非難していた話をなかったことにするつもりでしょうか。ここまで毎回一貫性のないことを言い続けて、一体、どうやってすべてをまとめ上げるつもりなのかな。
 過去の篠田氏の文章は何ら根拠がないものでしかないと認めていただかない限り、私はいつまでもいつまでもこのことにこだわるしかない。それを誹謗中傷という言葉で表現するならすればよろしい。これまたどっちに整合性があるのか、読者が判断してくれることでしょう。
 しかも、今回の文書はそれ自体またも意味が不明です。「私信は公開してはいけない」というお題目を内容を検討することなく根拠としているだけですね。「私信を公開してはいけない」というのは、書いた本人ではない第三者が無断で公開することはできないという意味であり、その意味でしかありません。つまり、著作権の問題です。単なる事務的な文書ではなく、そこに思想、感情がこめられた著作物は第三者が公開してはならず、これは私信か否か、手紙か否かを問いません。
 したがって、著作権者である書き手が公開することには何ら問題はありません。当たり前じゃないですか。私のこの文書だって、篠田氏に向けた手紙という解釈もできますが、これを公開することに、篠田氏の許可がいるんですか。著作物を公表するもしないも、どこで公表するも、著作権者の自由に決まっていて、こんなん著作権のイロハじゃないですか。著作権者であろうとも、遺族が手紙の類いを公開することにはまた別の要素がからんできますが(人格権に関わってきますから)、書いた本人である限り、問題が生ずるわけがない。
 公開するには篠田氏自身の判断があればよく、私信である点につき、何を今更検討するのですか。相変わらず著作権について何もわおわかりになっていない編集者です。「私信として書いたのに、こんなのを発表したらマズいよな」という検討はあるかもしれませんが、これは私信の問題とすべきではないでしょう。
 だいたい、そうも私信であることが大事なら、読者からの私信を半年も放置したり、読者からの私信を勝手に開封したことに対して、謝罪の一言くらいあっていいんじゃないですか。公開の申し入れをしてから半年にならんとしている時期になんで突然これが問題として浮上してきたのでしょう。
 第三者の個人名が入っているとしても、伏せ字にしてさえ公開できないようなことを書いたわけじゃないでしょうが。どうしてこんなことの検討に半年もかけてんのさ。
            *
「松沢呉一さんとの件について・4」に移ります。冒頭の段落にこうあります。
[第三者の名前が出てくる部分は、その人に了解をとらない限り当然公開はできないので削除します]
 意味不明です。第三者の名前を出す時に、篠田氏はいちいち了解をとっているのでしょうか。「創」では、政治家でも芸能人でも了解をとっているんですか。ビックリしました。私信のために気が緩み、本人あるいは第三者に知られてはまずいことを書いてしまうことはありましょうから、その部分を伏せるのはいいとして、それならそう言えばいいだけで、了解をとるとらないとは何の関係もないでしょうに。あくまで了解の問題だというんだったら、こっちから連絡とりましょうか。
[10月15日付文書の永江さんに関する部分は、本来は公開する必要がないんですが、松沢さんが一方的にその話を公開しているので、敢えて説明するために公開します。別に後ろめたいことはない話ですから。実は「お部屋111」の長江さんに関わる松沢さんの説明はこれ自体勘違いなのですが、まあそのことはいいことにしましょう]
 これはもちろん永江氏の了承をとったんでしょうねえ。
 篠田氏は大変正直な方です。つまり、後ろめたいことがなければ公開する、後ろめたいところがあると公開しないことをここで認めておられます。なんだ、名前を伏せた箇所は後ろめたいからなんですね。
 それにしても、ホントにこの人って、自分の書いたことの責任をとる気がないらしい。かつ人の文章をまともに読む能力がないらしい。もともとこの一件を私が公開したのは、篠田氏が「松沢さんとの件について・2」において、3月号の削除問題に触れた箇所で[全然関係のない話の中に突然、対立しているらしきライターへの悪口を書いてきたことが複数回ありました]と書いたところから始まっているのです。対して私は、一体こんな事実がどこにあるのかを篠田氏に問い、永江氏の名前を出したわけです。なのに、これを「一方的」と記述する。呆れたもんだよなあ、自分がやったこと、全部忘れてやがる。篠田氏が私に対する事実無根の非難をしてきたのですから(篠田氏だったら、名誉毀損と大騒ぎして、裁判をほのめかす格好の材料にするところですね)、具体例を出すのは当然じゃないですか。
 そのきっかけを作った当事者が[まあそのことはいいことにしましょう]って、どのツラ下げて言えるのでしょう。「都合が悪いからなかったことにして欲しい」という話を、[まあそのことはいいことにしましょう]なんて言い換えるなよ。こんなごまかしをやり続ける限り、私は絶対になかったことになんてしません。とことん追及させていただきます。
 私が永江氏の名前を出したことの、どこがどうして全然関係がない話なのですか? どこがどうして永江氏と私は敵対しているのですか? どうして意見の相違を表明すると、悪口になるのですか? 永江氏の名前の削除を求めてきた時に、「同じ号で原稿を頼んでいる人を批判するのは申し訳がない」なんて言ってきたのに、なんで今になってやれ無関係だの、悪口だのといった理由で削除を申し入れたようなウソを言うのですか? それ以前に、永江氏の名前を削るように申し入れてきたことと、私の文章を無断で削ったこととどう関係しているのですか? 永江氏が、この「複数回」に入らないとすると、一体誰と誰のことですか? 私が永江氏の具体名を出したことがどうして一方的なのですか?
[全然関係のない話の中に突然、対立しているらしきライターへの悪口を書いてきたことが複数回ありました]と、全然関係のない話の中に突然書いたのはそっちだだろうがよ。すっとぼけてんじゃねえぞ。
 篠田氏の代わりに、この唐突な文章の意図を説明しましょう。3月号で篠田氏が削除した私の文章も、単なる悪口であり、私がいつもやっていることであって、今まで削除を申し入れたのと同様、削除をしてしかるべきものだとの印象を持たせたかったのでしょう。
 しかし、同じ号で書いている書き手の批判をすると原稿を依頼しにくくなるという篠田氏なりの計算によって削除を申し入れたことと、編集部を批判した文章を編集部が削除することとは相当の違いがあって、この両者を同じレベルに考えていること自体がとんでもない話です。
 なお、このように、何か言い分がありそうで、しかし、そのことを具体的には説明しようとしないですっとぼけるのは、篠田氏特有の小賢しい逃げであり、ロフトプラスワンでもよく使用しておられました。こんなこと言ったって、「説明すると都合悪いことが何かあるんだろうな」「本当は説明できないんだろうな」って見抜かれるだけでしょうに。そうじゃないというのなら、ぜひとも以上の質問をきれいに説明してくださいな。できるもんならね。
            *
 すっとぼけはまだまだ続きます。
[この間のやりとりの中で、幾つかわかったこともありました。『創』5月号の連載最終回に掲載した編集部よりの謝罪文について、松沢さんに理解してもらえず、松沢さんが『創』誌面での謝罪がまだなされていなかったと思っていたらしいこと。この点については、次号『創』12月号で改めて謝罪することにします。謝罪することは最初から拒否してませんので]
 これではまるで私の理解力がなかっただけで、自分はなーんも悪くないみたい。どうして、篠田氏が「創」誌面に出した[手続き的なことで迷惑をかけた]で、削除についての謝罪だと理解できるはずがあるのでしょうか。自分自身これでは意味がわからないことを十分に知っていたから、「松沢呉一さんとの件について・2」では、わざわざ[つまり削除のことですが]という注釈までつけたわけですよね。文章を改竄したことを読者に知られたくなかったから誌面ではごまかしておいたくせに、今頃になってよくも[謝罪することは最初から拒否してません]なんて書くものです。
[あわせて3月号の一部削除についても同誌上で謝罪します。これは5月号とは全く違うケースで、私の方では事前に連絡し、発売後も含めて松沢さんから何も言ってこなかったので、了解してくれたものと思っていたものです]
 これでは私が事前に了解していた可能性があったようですけど、篠田氏は私に情報が伝わっていない可能性を十分に知っていました。私は東京にいないことを留守電にも入れていて、久保田氏から「ゲラをどうしましょう」とのメッセージが何度か入っていたことから(さすがにこのメッセージを記録はしてません)、彼らは私が東京にいないことをわかっていたのです。こういう場合、これまではホテルにゲラを送ってもらっていましたから、私からの連絡がないということは、私が久保田氏のメッセージを聞いていないことも推測できたはずです。だからこそ、久保田氏は何度もメッセージを入れていて、FAXも何度か入れていたわけです。もし返事がないことで承諾されたと思うんだったら、一回やればいいことじゃないですか。
「松沢呉一さんとの件・2」で、この場合、三つの選択肢があったと篠田氏は言ってますが、これがまた篠田氏の正直さがよく出ています。
[ひとつはそのまま掲載したうえで編集部としてこの記述には同意できないというコメントをつける、2つめはその部分の削除、そして3つめは原稿そのまのの掲載をお断りすること、その3つです。実際に選択したりは2番目ですが、当該部分を削除することで文脈に変更が出る場合は、1番目の方法をとったでしょう]
 この程度の問題で、第三点目を選択肢に入れること自体、連載というもの、あるいは著作物というものに対して、如何に浅薄な考えしかもたずに雑誌をやっているかがわかります。契約書がないにしても、連載することが合意されているというのは、その期間中、著作物を一回こっきり独占的に複製・頒布するとの約束がなされているということであり、それについては互いにさまざまな義務があります。
 例えば、『ワタ決め』の原稿のように、あるいは雑誌の読者欄のように、掲載するかどうか確定していないものは別にして、また、社員による法人著作物は別にして、連載原稿を掲載しないのは、その約束事を反故にする行為です。原稿に決定的な欠陥があったというならいくらか話は幾分違ってきますけど、3月号に関しては、互いの解釈の相違に過ぎず、世界中で篠田氏のみが納得していない事項であり、事実関係の決定的な間違いがあったわけではない。その一点で、原稿すべてをボツにして、編集部と書き手、あるいは書き手と読者の関係を反故にすることを選択肢に入れる編集部って相当怖いです。
 また、[当該部分を削除することで文脈に変更が出る場合]でなければ削除していいと判断したこともとんでもない話です。著作権上、文脈に変更が出るかどうかは何の意味もなく、文脈に変更が出ようと出まいと、無断で削除したり、書き換えたりしてはいけないのです。そんくらい知っておいてもらわないと困るんですけど。
 ここは本当のことを書いて欲しいものです。「文脈に変更がなければ、読者に削除した事実を気づかれないで済む」ということだけでしょうが。それ以外に、篠田氏の言葉を解釈することは私にはできません。
 ある信頼できる編集者は、これについて、「本人の承諾がとれなかったら、そのまま出すしかない。特にこの場合は、第三者のことが書かれているわけじゃなく、反論するなら次号でやればいい。一カ月、篠田氏が耐えればいいだけなのだから、それ以外の選択肢はない」と言っていました。その通りだと思います。そのまま出すのが原則であり、三つの選択肢を想定した時点で、篠田氏は間違っているのです。
 連絡がとれない状況にあった私も悪いという見方もありましょうが、おそらく私に伝わっていないことが推測できる以上、ましてそのまま出すしかない。また、繰り返しているように、そういう事態を避けるように編集部には申し入れていて、にもかかわらずあちらは実行していなかったのです。そのミスがあったのですから、いよいよ普通なら、そのまま出すという判断をするところでしょう。
 以上のように、返事がないから削除していいと判断したこと自体が大問題であって、[5月号とは全く違うケース]なんて言えるはずがない(なお、ここにある「5月号」というのは5月号で謝罪したように見せかけた4月号の改竄についてのことでしょう)。
 また、著者があとになって文句をつけなければセーフ、なんて話でもないのです。しかも、私は、これを知った直後の1月27日に、篠田氏にFAXをしており、[発売後も含めて松沢さんから何も言ってこなかった]というのはウソです。該当部分を抜き出します。
[今回の原稿は十日以上前に送っていたはずです。どっちみちもう直しは間に合わないかと思いますが、入稿ギリギリになって、そちらの一方的な都合で原稿内容を変えて欲しいというのはいくらなんでもという話でしょう]
 篠田氏お得意の「もし〜だったら、自分はこうしてしたのに、そうではなかったので、実践できなかった」というズルい言い訳はここでは成立せず、私がこのような異議申し立てをしたのですから、次号で謝罪すべきでした。
 さらに、「黒子の部屋87」および掲載されなかった投稿でもこのことに触れています。いずれも5月のことであり、どうして、その段階で謝罪をしなかったのでしょうか。半年もたって、[謝罪することは最初から拒否してません]なんて言ったって、何ら説得力はないでずぜ。たったこれだけのことをわかっていただくのに、こうも繰り返し指摘をしてあげなければならないんですよ。どうしたらいいの、私。
 また篠田氏は「松沢呉一さんとの件・2」で、こう書いていました。
[これも松沢さんには説明してあるのですが、全く無視されている]
 これが何のことなのか説明して欲しいとああもはっきり突き付けたのに、これまた無視です。頼むから、何のことかはっきり示してくれないでしょうか。ウソにウソを積み重ねるのはもうおやめなさいよ。
            *
 これ以降、過去の文章のいくつかがようやく公開されますが、文書の公開について、もう一回、改めて問題点を整理して、篠田氏に問います。
1)たまたま万が一の偶然で残っていたものだとしても、現にこうして記録はあったわけです。このように保存されていた文書を半年間も探そうとしないで、たった5日前には、[公表を前提とした原稿でなく私信として送ったFAXなのですから、フロッピーに整理して記録していないことなど当たり前ではないですか]と私を非難したことの意味を説明してください。だって、当たり前じゃないことを篠田氏もやっていたんですよね。
2)[5月4日付で送った文書を始め、私が伝えた説明がひどくアンフェアな扱いを受けているから][どんな方法をとっても、全文公開することで、私がアンフェアな使用をする]として公開しなかった理由はどこにいったのか説明してください。
3)篠田氏は、文書を見ながら、私への反論を書いたんですよね。だったら、最初からそれを打ち直して、このように公表すればよかったのに、あるいは私が打ち直せばよかったのに、なぜ半年間も承諾しなかったのか説明してください。
4)私信ということの一体何が問題だったのか教えてください。
 2に関しては、ことによると篠田氏は、公開された文章じゃなければ引用することはできないとの著作権の基本ルールを知らなかったのではないかと疑っています。自分が書いた私信は公開できないとし、そのくせ他人の未公開文書を引用することができると思い込んでいたとしたら、デタラメすぎますよ。
 私に指摘されて初めてそのことを知り、自分の書いたことが、著作権に無知であることをさらけ出したものに過ぎず、なんら理由になっていなかったことに気づいたのではないか。それならそれで、編集者を何十年もやってきて、ようやく初歩の著作権知識を得られてよかったですね、という話でしかありません。議論はやってみるものです。恥ずかしい話だとは思いますよ。しかし、現にそうだったのなら、そうと認めていただくしかなく、私はそれ以上どうこうしませんよ(ここではどうこう言ってますけど、それは篠田氏がこの経緯をまるで無視し、過去の発言を撤回するでなく弁明するでなく、ここまでの私の質問を無視しているためです)。
 そうではないというなら、ぜひとも以上をすっきり説明してください。
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