スタジオ・ポット
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真実・篠田博之の部屋[番外3] [2000年10月04日]
真実・篠田博之の部屋[番外3]  9月26日、ポット出版に以下のFAXが篠田氏から届きました。

[先日、松沢さんが書き込んだ文書内容受け取っています。こちらも文書を作ろうと思ったのですが時間がとれずにいます。来週には送れると思うので、その旨、松沢さんにもお伝えください。

創出版 篠田博之]

 過去の文書をちゃんと保存していないらしき篠田氏が、私の反論に回答するのは容易ではないでしょうが、この一文は期限前に送るべきものでは? それと、なんでポット出版が、メッセンジャーをやらなければならないのでしょうか。連絡先がわからないならともかく、どうして私に直接送らないのかな。
 まあいいや、ともかく回答を待つとして、番外編を出しておくとします。
            *
 その前にひとつ。前に触れたように、DSJの拙稿の前に、唯一、『東電OL殺人事件』に対して批判的な書評を書いていた人は、どうやらルポライターの吉田司氏のようです。人づてに聞いたところ、編集部(たしか「ダ・カーポ」)が「面白いですよ」とあの本の書評を頼んできたそうですけど、佐野氏と知人であるにもかかわらず、吉田氏は批判しないではいられなかったと言っていたそうです。
            *
 では、本題。「創」がよく取り上げている「報道被害」というものがあります。テレビや雑誌の報道によって、名誉棄損やプライバシー侵害が生じることがよくあって、この被害はどう救済されるべきでしょうか。
 そもそもこういうことが起きないようにするために、ある特定の人物や集団を批判する内容の記事を出す場合には、相手の意見を聞いてから記事を掲載するというルールがあります。事件を報道する場合、「当のA氏はどう考えているのだろうか」としてコメントをもらうということがよく週刊誌の記事でなされているようにです。
 この時にわざわざ「本人の確認をとろうとしたが、ノーコメントだった」「A氏の所在は事務所でもわからないということで、締切までにコメントをもらうことができなかった」といった記述をしますが、単に「反論しないってことは、たぶん本当なのだろう」と読者に思わせるだけではなく、メディアが反論の場を提供する意思があるのに、反論してもらうことができなかった、あるいは本人が拒絶したと確認している点に意義があるのです。
 本人に確認をすることで、メディア側に誤解があったことがわかるケースもあるのですから、記事の内容が変わる、記事が出なくなるということもあり得、いわば事前救済が可能になりますから、本人への確認作業は、ないよりもあった方が望ましいとは言えます。
 実際には、本人のコメントがメディア側の思い込みを支えるのに利用されるだけで、その言葉が誌面に十分に反映されないことも多いので、必ずしもその機能は果たされていません。また、「本人はそう否定しているが、このままでは疑惑が広がるばかりである」などと、そのコメントを否定するまとめをつけることもあります。本来は、批判部分と同等の反論を同時にさせるべきであり、それに対しての否定をさらにやるべきではない。こういったズルいコメント利用しかしないメディアを信用しないがためにノーコメントということもあるわけですから、そもそもこういった事前救済のシステム自体十分ではなく、こういった措置をするだけでメディアが責任をまっとうしていると考えるのは傲慢でしょう。
 よくワイドショーでも、ノーコメントの人に「釈明をすべき」なんてことを偉そうに言ってのけるテレビ屋どもがいますが、その前に、対等に論じる場を提供するのがスジであり、何を言おうが都合よく編集して、「あんな言い分は通用しませんよ」などどスタジオで勝手に断罪するようなやり方をしておいて、よくそんなことを言えるものです。まさにメディアの暴力であり、ヤツら、世の中で最も卑しい人々であると言っていいでしょう。そんな人達に釈明する義務など一切ありません。
 もうひとつ、事前救済の方法として、発行差し止め請求というものがあります。メディア自身が信用できない場合、裁定を第三者に委ねるのは当然のことですが、法律知識のない人にとっては実質不能であり、弁護士に相談するのも容易ではない人がほとんどです。また、差し止めはそう簡単には認められません。日本は非常に中途半端な国で、事前救済が認められにくいのに、事後救済もこれまで認められにくかったため、どちらでも救済されにくかったのが実情です。
 私は事前救済よりも事後救済が十分になされるようにすべきという考えをもっています。その内容を読者が目にすることができないまま、差し止められることがいいとは思えず、これを徹底した時には国家の検閲にさえつながっていくからです。差し止め請求を一切認めなくてもいいので、その後の処理をスムーズに行い、かつ十二分な賠償を支払うようにすべきということです。裁判で認められる損害賠償金額が上がっているように、日本も事後救済を認める方向にはあるようですが、アメリカなど事後救済重視の国に比べると、まだまだ十分ではありません。
 しかし、事後救済は、メディアが対応できる範囲で、ある程度は実行可能ですから、法の整備を待つ必要はありません。つまり、必ずしも最初から相手の反論を出さなくてもいい代わりに、事後の反論権を認めるということです。私がコメント取材を嫌うように、記事の中でコメントを数行出されたところで、どうにだって料理できるのですし、コメントの事前チェックさえさせない雑誌がある現状では(それどころか、「週刊実話」のように、取材であることの説明、掲載確認さえせずに、人の言葉を利用する雑誌があるくらいで)、その方が合理的であり、救済がまだしも可能だと考えます。
 反論が認められているのに一足飛びに訴訟という手段をとることは好ましくないわけですけど、現に反論権が確立していない現状では、そういう手段をとることもやむをえず、そのこと自体を批判しにくいところがあります。たとえば反論の場を断固提供しようとしない「創」という雑誌に対して訴訟を起こしたところで、そのこと自体、非難されるべきではないようにです。したがって、反論権が認められていないが故に国家の裁定に委ねて事が大きくなったり、裁判が公開であるにもかかわらず読者にはその議論が伝わりにくくなったりもするのです。
            *
 例えば、これを読んでいるあなたが、やってもいないのに「殺人をやった」と報道されるとします。そのために近所から白い目で見られ、仕事をクビになり、人間関係が断たれ、引っ越しを余儀なくされた場合、この救済措置として、刑事告訴するなり、民事で損害賠償請求する方法があります。しかし、必ずしも裁判になじまないテーマもあり、国家の裁定に委ねること自体、慎重になるべきとの考え方もあるでしょう。
 そこで、そのことを報道したメディアが反論する場を提供することが望まれるわけです。反論権が相当範囲まで認められている国はいくつもあって、報道被害にあった人々に対して、意見広告という形で反論をさせることになっている国もあります。メディアによる報道の誤りを指摘して、それを読んだ人々の誤解を本人が直接解くことができるのですから、十分ではないにしても、一定の効果があると期待できるわけです。
 このような反論権を確立することによって、メディアは安直な報道ができにくくなって、自然と取材も念入りになり、相手の意見にも耳を傾ける姿勢が促進されるはずですから、メディアの暴走を防ぐ意味でも反論権の確立は望ましい。つまり、メディア自身が報道被害を避ける環境が生まれることまでが期待されることにもなり、海外の匿名報道もこのような反論権という救済の考えと無関係ではないでしょう。
 こういった議論はかつて日本でもなされていたものですが、法律上はもちろんのこと、メディアの倫理としても、決して浸透しているとは言えず、書いたら書きっぱなしというのが現状です。このことが、メディアの特権意識にもつながっていると考えます。
 その意味で、メディアでバッシングされた人々の意見を積極的に取り上げることになっている「創」は評価されていい。部数増大につながり得る芸能人や大事件の被告などのみを対象にするものでしかないようですが、それでも反論の場が与えられるに越したことはない。ただし、数百万人が見るワイドショーや30万部の週刊誌で報道されたことを、おそらくは1万部程度の「創」で反論したところで、圧倒的な数字の差はいかんともしがたく、ほとんどの人はその反論を目にすることはできません。
 したがって本来は、報道したメディア自身が反論の場を与えるべきであり、この際、同じ分量を反論の場として提供することが望ましい。「Aは保険殺人をした」という報道が延々何ページにもわたってなされているのに、Aの反論は3行では話にならない。また、元の報道を見た人すべてに反論を見せることは難しく、電車や新聞の広告に出た見出しによって報道の表層を知った人もいますから、そのメディアに同分量の反論を出すのは必要最低限の措置でしかなく、広告も同じ扱いで出すということまでが求められるかもしれません。
 また、どこまで反論する資格を認めるかという問題もあります。個人の場合は、その対象となった個人のみということでいいでしょうし、匿名にしていても、それが特定できるのであれば、その人物が反論できるということになりましょう。会社の場合は、社員の誰でもが反論できるというのではなく、会社を代表する存在ということになります。この辺りは被害の当事者のみが訴えることができる親告罪と同様に考えていいでしょう。
 難しいのは個人や法人ではない集団です。「埼玉県人」を批判した場合は、特定性も薄くなるので、そもそもある個人に反論させてまで救済する必要がなく、反論権を認めないということもあっていいかもしれませんし、その集団を代表する存在、例えば県知事といった人のみが反論権をもつということになるかもしれません。
 反論内容に、メディア側が介入できないというのも重要なルールです。「Aさんは保険殺人をした」という報道がなされた時に、Aさんは「私は断じてやっていない」と反論するわけですが、「Aさんの言うことは事実誤認だ」として反論を掲載しないということがあってはならないのです。これでは実質反論ができない「創」と一緒になってしまいます。事実誤認があるか否かは読者の判断に委ねるべきであり、それが事実誤認だというのなら、反論を出した上で、さらにメディア側がその旨をのちに指摘すればいい。「のちに」というのも重要な点で、反論のすぐ後ろに、その内容をさらに批判して、その効力を殺ぐようなことを掲載したら、読者の冷静な判断を妨害することになり、対等な議論が成立しません。これも「創」がいい例です。
 誰がどう見てもデタラメな内容であっても、当事者の反論である限り、なお反論は無条件に掲載されるべきです。それが雑誌に対する名誉棄損に相当するようなものであれば、訴訟を起こして、裁判所に裁定を委ねるということもあるでしょうけど、読者の誰がどう見てもデタラメだと判断でき、メディアの報道が正しかったのだとわかるんですから、それでもなお出す意義はあり、ここでも事後救済が望まれます。その意味で、オウム事件の際にオウム側の意見を紹介することは何も間違っていなかったと私は今でも思っています。
 ここはメディアが読者を信ずるかどうかにもかかってきます。「自分にはわかるが、読者は騙されるだろう」と編集者が判断するのは、読者の判断力を信じていないということでしかなく、読者を愚弄する話でしょう。事実、そういうことはあると思うのですけど、その意見を批判するメディアの力不足であり、読者を説得するだけの根拠や論理がないということに他ならず、また、正しく判断できる読者を育てる作業を怠ってきたということなのですから、メディア自身の責任も問われるだけのことです。
 反論権はどこまで認めるかという回数の問題もあります。上の例で、Aさんが「私がやっていない」と反論して、雑誌側が翌号で「Aさんの言っていることをくつがえす証拠がある」と再反論したら、Aさんには再度反論権が与えられるとすべきです。野球同様、先攻があれば後攻が必ずあるのです。それを繰り返したくないのなら、雑誌が黙ればいいってことになります。だって、編集者や書き手はそれでメシを食っているのですから、時間的な余裕はあり、文章の技術もあります。複数のスタッフもいて、読者はしばしば心情として雑誌側に立つものですから、それでもなお雑誌側が有利なのです。
 この場合、Aさんが反論の中で新たな論点を持ち出して、「実は犯人は私ではなく、Bさんだ」なんてことを書いてきたら、今度はBさんに反論権が生じます。論点の拡大を避けるために、雑誌側がそれを書かないで欲しいと申し入れることはあってもいいかもしれませんが、それを書くことによってこそ有効な反論ができるというのであれば、やはり載せるしかない。ここでAさんに実名を書かないで欲しいと申し入れるのであれば、最初から自分のところもAさんの実名を書くべきではなかったということにもなります。そのBさんが今度は「真犯人はCさんだ」なんて書いてきて、泥沼になることも想定できますが、現実にはそういうことはあまりないでしょうから、そこまで想像して頭を悩ませることはないかと。
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 ちゅうのがおおまかな反論権の考え方と言っていいでしょう。
 反論権といったものを考えるまでもなく、常に私は反論がくることを前提に原稿を書いているつもりです。ちゅうか個人を名指しで批判する時は、その対象からの反論を待望しているとさえ言っていい。だって面白いじゃん。『売る売ら』だって全員から反論が来たら、ものすごく面白いじゃないですか。それをまとめてまた本を出せるし、売買春論争はもっともっと盛り上がったことでしょう。こっちだって間違っている部分があるに決まっているのですから、その部分は知っておきたい。
 DSJの久田君とは、「早く佐野眞一や堀越日出夫から反論がこねえかなあ」と何度も話しています。世間一般、他人のケンカが好きですから、反論権を認めることは商売としても正しい。前にも書きましたが、DSJの誌面で論争が起きると、絶対に部数が伸びますし、活気づきます。私に確認するまでもなく、反論が来たら、久田君は掲載することでしょう。なんでメディアも書き手も、反論を歓迎しない人がいるのかよくわからんです。
 このような反論権の考えは、報道被害の救済という視点だけではなく、議論がどうなされるべきかというルールの確立にもつながります。議論は対等になされるべきという当たり前の考えを推し進めていくなら、必然的に反論権が導き出されることになります。小林よしのりのように相手の反論を認めないような人間は、そもそも議論をする気がないということにもなりますね。
 さらに、メディアと書き手の関係がどうあるべきかという問題にも触れてきてしまいます。ポット出版と私は本を出しているという利害関係にありますし、その範囲でも、その範囲外でも信頼関係がある程度は成立しています。私と篠田氏との対立において、ポット出版の沢辺社長は、ある判断をしているかもしれませんけど、ウェブ上においてはその管理者でしかありません。「松沢が有利になるように、篠田氏の文章を改竄してやれ」「事前に篠田氏の反論内容を教えて、それに対する批判を同時にUPできるようにしてやれ」なんて工作は一切していません。これによって、私という書き手が潰れるとしたって、そんなもんの責任をポット出版がとる必要はない。メディアはそこに徹していいのです。私が何を書こうがそのまま出して、それに対する篠田氏の反論をそのまま出すこと自体でポット出版の掲載責任は十分果たしている。
 ここでポット出版が「松沢の味方だから、篠田氏の意見は掲載しない」という判断をした時に初めてポット出版は私が書いた原稿の内容に対する責任までを負わなければならなくなるのです。
 というような、文章の責任は誰がどこまでどう持つのかについては、別途論じることにして、残念ながら現状では、反論権を認めないメディアや個人があったところで、ことさらそのことが非難されることはないのですけど、報道被害なんちゅうものを取り上げる「創」のような雑誌では、徹底して反論権が認められるべきと私は考えます。さもなければ、「創」は他のメディアを批判することはできなくなってしまいましょう。
 ここまでの経緯からして、こういった考えは篠田氏と共有できていないようで、篠田氏が認める反論権というのは、「他メディアがバッシングした対象のうち、商売になりそうなものを自分の雑誌に出す」というものでしかなく、自分が批判した相手の報道被害を救済するための反論権など認める気は微塵たりともありません。そういう姿勢自体もまたあっていいのですけど、これでは他メディアを批判することなどできるはずがない。だって、私を救済してくれたのは、インターネットであり、DSJといった他メディアであって、「創」じゃないですもん。
 反論権は該当のメディア自身が、場を提供するか否かの問題です。純粋にそのことだけを反論権と呼ぶべきであり、他メディアが反論の場を提供することを反論権と呼んで混同すべきではありません。反論権を認めない雑誌が、報道被害、反論権などを論ずるのは愚の骨頂ということになります。
 反論権に限らず、事後救済を重視するのは現状では必ずしも一般的ではないので、それ以外の適切な対応の可能性をも考慮しつつ、篠田氏と私はどう互いに対処すべきだったかを今後見ていこうと思うのですが、あんまり私が答えを押し付けるのは好ましくないでしょうから、しばらく皆さん、ご自分で考えておいてください。

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