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真実・篠田博之の部屋[番外1] [2000年08月29日]
真実・篠田博之の部屋[番外1]  今回から、「篠田博之の部屋」は独立し、「真実・篠田博之の部屋」となります。力点はこっちに移動し、「黒子の部屋」は再び死に体化します。
 既にお知らせしたように、「篠田博之の部屋6」以降は、回答期限が来るまで公開を延期しましたが、「早く次を読みたい」という要望をいただいております。「ボツ劇場」「黒子の部屋」を通して、これほど熱い要望を複数いただいたのは初めてかもしれません。性労働云々、売春云々ということを書いているより、どうも皆さん、篠田氏のことをもっと知りたいようですね。ご期待に沿うべく、間もなく再開します。
 9月3日で期限となり、それまでに回答を寄越した場合、寄越さなかった場合、それぞれに対応するシナリオを準備しております。篠田氏にとっては最悪のシナリオが作動した場合、インターネット如きで収まるような話ではなくなって、読者の皆さんも、篠田氏も、そして私自身も、何が起きているのかよくわからない状態になっていくはずです。怖いですねえ。伊東潤二のマンガより怖いです。
 先日、篠田氏もご存じの某評論家とバッタリ会い、「『創』とトラブっているんだって? 何があったのか教えてよ」と言われたので、一通り説明しておきました。インターネットを見ていない人でも、「トラブッているらしい」ということは相当浸透してきているようで、しかし、その内容までは正確に知られていないわけです。「創」は投稿さえ掲載してくれないですからね。あちらさんは、できるだけ人に知られたくないらしいのでしょうが、こちらはできるだけ人に知らしめたいので、これまでのまとめめいたものと今後の展開についての原稿を某誌に書くつもりです。
 残念ながら、私は、偏執性が強いにもかかわらず他者を不幸にすることを自己目的化することができず(であるが故にストーカーにはなりにくい)、したがって篠田氏が不幸のどん底に陥ろうとも、そのことでスッキリとすることはあり得ません。スッキリするのは問題が解決した時でしかないのですが、解決できるような相手ではないこともほぼわかってきていますから、今回のことから教訓なり何なりの収穫を得ることで、些かなりとも、「ああ、篠田氏みたいな人間でも、私にとって存在したことにはちょっとの意味があった」と納得したい。
 そこで、「真実・篠田博之の部屋」では、「番外」として、篠田氏との一件を契機に、表現、言論、マスコミについて、さまざまなことを考えていきます。
            *
 ある出版関係者に、「篠田氏には松沢の言うような悪意なんてないと思う。何も考えてない人だよ。書き手の権利がどうなっているか、何をどうしてはいけないのか、今自分がやっていることにどういう意味があるのか、といったことを立ち止まって考える人なんて、編集者全体の2割か3割しかいない」という指摘をされました。たしかにそうなんだと思います。
 篠田氏が7割か8割に属する凡庸な編集者の一人でしかないことは間違いなく、私の原稿を無断で削ったり、直したりすることにも特に深い考えなどありはしなかったのでしょう。篠田氏も久保田氏も、どうして私の連載の写真を掲載できていたのかを著作権に基づいて考えたことなど一度もないからこそ、言い逃れのために合意がなかったなど目先のことを言ってしまえたってことですし、そう言ってしまうことで何が起きるのかの想像すらできなかったのでしょう。この程度の認識しかない人達が編集者の多数派であることは残念ながら事実です。
 公開された著作物しか引用することができない、引用は原文通りにやらなければならない、出所(出典)を明示しなければならない、という引用の基本もわかっていない編集者やライターがザラにいて、小林よしのりと上杉聰の裁判があるまで、マンガや写真の引用はできないと信じていた出版人が多数派だったのです(今もあの裁判の意味をよく分かっていない人が大半でしょうし)
 それが多数派だからといって篠田氏のやったことを私が受け入れなければならない理由は何ひとつなく、ここでは無知は悪意とすべきであり、ひたすら言い訳する行為もまた悪意と罵倒してしかるべきかと。もちろん、私もまた篠田氏に対しては悪意たっぷりですよ。悪意を向けられた人間が悪意でお返しして何が悪いって話です。
 篠田氏に会った時も、皆さん、「松沢の野郎と大変ですね」「これからどうするんですか」などといちいち言ってくれるとありがたい。あとに引けないところに踏み込んでいることをよーくわかっておいていただきたいですから。
 で、もうひとつ、ありがたい言葉をいただきました。「どっちが書いていることも意味がよくわからない」(笑)。この大河ドラマは、第1回からオンエアされているのでなく、第34回放送分から突然始まったので、錯綜したそれまでの経緯がよくわからんのは当然です。そこで、私と篠田氏がそれぞれに勝手に編集した総集編を見せるのでなく、私は1回目から放送し直そうと申し入れているのです。だって篠田氏は、1回目からのVTRを見直さないで、「こういう話もあった」「あんなこともあった」とウソばっかり言っているんですもん。
 それと、このドラマを楽しむための基本知識がないと、どっちが正しいのかの判断がつきにくいかと思います。犯罪ドラマを見る際に、何がどう犯罪なのかの知識がないとどうにもならない。したがって、「番宣女王」「今日のみどころ」みたいな番組が別途必要かなとも思い直しました。
 本当は客観的な第三者がこれをやってくれるといいのですが、そんな酔狂な人はいないでしょうから、登場人物の私自身がやることにします。もちろん私自身のバイアスがかかってしまうでしょうけど、極力、普遍的なものを見せられるようにしていきます。
            *
 篠田氏は日本ペンクラブの「言論表現委員会」とかいうところの副委員長をやっておられます。人の文章を勝手に書き換えたり削除したり、平然と金を踏み倒したりして、その上反論を封殺するような悪辣な人が、表現がどうあるべきかを考える立場にいるというのですから、質の悪いギャグでしかありません。
 「噂の真相」編集部で右翼が暴れた事件に対して、日本ペンクラブが声明を出したことについても、私は何か気持ちの悪いものを感じます。
 反権力であろうとなんであろうと、警察を呼んでいいと思いますよ。私も警察は嫌いですけど、交番で道を聞きますもん。税金、払っているんですから。したがって、私が気持ちの悪さを感じるのは、「噂の真相」が警察を呼んだことではなく、あるいは岡留氏が刃物で刺されたかのような誤報を流し、それを訂正しなかったことでもなく、金科玉条の如く、あるいは水戸黄門の印籠の如くに、表現の自由を掲げればいいと思っている人々や、それに平気で乗っかっている「噂の真相」自体かな。右翼の暴力行為を肯定する気はなく、右翼の主張に賛同する気は微塵もないけど、皆さん、思い上がっていやしないか。
 だってさ、自分の書いたことによって、人に殴られたり、蹴られたり、灰皿投げられた人って、これまでにいくらでもいると思うんですよ。そのたびにペンクラブは声明を出してきたか。右翼がそれをやったら途端に声明を出すのか。三和出版にどこぞの宗教団体がやってきて、「こんなエロ本を出すな」と編集部で暴れたとしたら、ペンクラブは声明を出す覚悟があるのか。
 ペンクラブがこういった事件にいちいちアピールするのが好ましいと言っているのではない。マスメディア自身が表現の自由を死守すべく、また他者の権利を尊重すべく不断の努力を怠らない姿勢があって初めて表現の自由を掲げる正当性があるのであって、篠田氏のような自己保身のみしか考えていない人物が副委員長を務めているような団体が何をもって、表現の自由なんてことを恥ずかしげもなく云々できるのか。
 今回の声明って、もしかすっと、仲のいいらしい「噂の真相」をヨイショするために、篠田氏がペンクラブの権威を利用したっちゅう話なんじゃないの? そりゃ暴力はいかんですよ。そんなこたぁ小学生に聞いたってわかる。その範囲で、暴れた右翼は批判されていい。でも、表現の自由だのなんだのを安直に掲げる姿は、マスコミのうさん臭さを如実に表していて、私に言わせれば、篠田氏がやっていることの方が右翼より遥かに表現の自由を踏みにじり、愚弄する行為です。おい、オレの表現の自由はどうして潰すんだよ。ペンクラブは声明出してくれよ。
 要するに、日常的な場では、表現の自由はどうあるべきかなんて考え、実践する気もないくせに、自分らの商売に都合の悪いことが起きたら、途端に持ち出すのが「表現の自由」というお題目であって、その意味では、自分に都合の悪い文章は削り、連載を打ち切る篠田氏の行為と、表現の自由を掲げることに矛盾はない。そうとしか私には思えません。
 私だって自分を押さえられず、篠田氏を殴ることがあるかもしれんです。それで警察を呼ばれて、2、3日、ブタ箱に入れられるのはしょうがないです。しかし、篠田氏が「表現の自由を守れ」なんて言い出したら、もう一回殴ります。
            *
 以前、私は「創」に接待をどう考えるかという原稿を書きました。読んでいない人も多いでしょうけど、本多勝一氏、疋田桂一郎氏ら、朝日新聞の記者がリクルートからの接待旅行を受けたのではないかとの疑惑について、私は、接待がいいのか悪いのか、どこから接待とすべきなのかといった基準など出版界一般にありはせず、にもかかわらず、朝日の記者が接待を受けたなどと非難することへの疑問を提示した原稿でありました。
 私はいわゆるお車代というものを受け取ったことがありません。風俗店の取材においても、プレイ料金はいつも払ってますし、プライベートで遊ぶ時もタダにしてもらうことはなく、タダ券をもらっても使ったことはありません。しかし、取材でもプライベートでも、マケてもらうことはよくありますし、メシをおごってもらったことも、店のTシャツやテレカをもらったこともあります。タダはダメで、これらはいいと私が判断している基準が自分でもよくわかりません。また、インタビューでは金を払わないことが多いのですが、この場合でも、店が女の子に取材費を出すことがあるため、金銭的な便宜を図ってもらっていることになります。ここに若干の躊躇はあります。しかし、映画の試写会に行ったり、贈呈本をもらったり、タダでコンサートに行って原稿を書くことがよくて、風俗取材はタダじゃいけないというのもヘンな話です。
 以前音楽関係の仕事をしている時に、告知記事を出してくれた新聞の音楽担当から、招待状を送らなかったことについて文句を言われたことがあります。風俗店を紹介しておいて、そのあとタダにしてくれなかったらかといって文句をつけるような真似を私は決してしませんけど、コンサートの場合は、招待状を送るのが当然という感覚が私にもあります。値段の違いなのでしょうか。自分でも、どう考えていいのかよくわからんのです。
 これについて、宮台真司と話した時に、「その旨を読者にわかるようにすればいい」と言っていて、なるほどこれは合理的です。書評であれば「この本は出版社からタダでもらいました」「この本は編集部が買いました」「この本は評者が買いました」と明示するわけです。私もこれに大賛成。風俗店であれば「指名料2千円はまけてもらいました」「無料で遊びました」「お車代を2万円もらいました」と書けば接待してもらおうが、ゼニをもらおうがいいってわけです。あとはその記事の信憑性を読者がどう考えるかです。
 しかし、現にそういうルールが確立しているわけじゃない今現在、岩瀬氏や「噂の真相」が騒ぎ立てたような接待の事実があったのだとしたって、夫がリクルートの社員である人物が入っているスキー愛好者のグループが、ナンボか料金まけてもらってもいいんじゃねえのと私は思ったりもします。それを非難する人たちは清廉潔白でなければならないはずですが、宅八郎によると、岩瀬達哉氏って、サラリーマンがどう接待すべきかについての原稿を平気で書いているそうですよ。
 岩瀬氏にせよ、篠田氏にせよ、首尾一貫しないことを平気でやる傾向がマスコミ関係者にはあります(人間一般にあるのかな)。これについては宅八郎の『処刑宣告』(太田出版)を読んでいただきたいのですが、普段は平然とプライバシー暴きをやっているマスコミの連中が、自分らがやっている手法を自分らに向けられた途端に動揺するわけです。
 その拙稿を、身の回りで面白がってくれた人はいたのですが、残念ながら、反論が来るわけでもなく、議論がどこかで起きたということも聞かない。厚顔にも「トゥナイト2」がクレームをつけてきたくらい(この問題についてもいずれ決着をつけたい)。小林よしのりを筆頭に、他者を非難することは得意でも、自分の足元が揺さぶられるようなことは不得意。
 私の中にもそういう自分勝手なところがないとは言えません。しかしながら、一貫した何らかのルールを持ちたいとは常日頃思っています。答えが出なくても、私はこういう問題をもっと論じておきたい。そうすることで、他人はどうあれ、自分がどうするのかの指針がもっと見えやすくなるからです。
 接待の問題同様、論じ切られていないテーマがたくさんあって、篠田氏との一件でも、両者の認識のズレが問題を拡大した側面があります。「創」はどうやら掲載確認もとらずに著作物を掲載したり、それに手を加えたりしてもいいと思っているらしいのに対して、私はそういうことをしてはならないと思っていたようにです。
 たいていの書き手は、自分が下請けの業者でしかないと思っているようで、理不尽なことをやられても、文句をつけずに編集者にらヘイコラして、飲み屋で憂さを晴らすしかない。そのために、増長する人が出て来て、編集長権限をふりかざすようになります。私は編集者と書き手は対等の関係にあると思ってますから(この根拠についてもいずれ詳しく論じます)、納得できないことには文句をつけますが、そういう人間の連載は一方的に打ち切ってしまえばいいと篠田氏みたいな低劣な権威主義者はたぶん考えるのでしょう。労働者の権利や生活など知ったことじゃない、どっかの中小企業のワンマン経営者と一緒です。あるいは店のやり方に文句をつけたら、「明日から来なくていい」と言う風俗店の経営者と一緒です。
 意見をはっきりさせないのは、よく日本人の特性だなんてことを言いますけど、日本人の特性であろうとなかろうと、意見を表明しないで、裏でグチグチ言うようなのがどうも性に合わないし、篠田氏みたいに、自らの権力で都合の悪いことは封殺してしまおうとする人間には唾を吐きかけたくなります。
            *
 他者からの攻撃に対しては、すぐに「表現の自由」なんてものを持ち出すくせに、他者の権利に対しては無頓着であり、自らのルールについてもロクに論じようとしないことが私は気持ちが悪いのであります。
 どうせ人間みんなバラバラなんだから、バラバラであることを表明して、そのバラバラさを認め合ってバラバラでい続ければいいだけのことであり、そのためには人が何を考えているのかを知らなければどうしようもない。そういうことが苦手な人が多いようですけど、皆が黙りこくっているなら、こっちはひたすら自分の主張をしていくしかない。で、主張をしていくと、今度はまた裏で「なんであいつが偉そうなことを言って」だの「活躍しやがって」だのって言われる。だったら、「おめえも意見言え」ってことざんす。私のような三流ライターに出版界のルールなんて語らせんなよ、ホントに。
 例えばメディアで誰かが間違ったことを言うと、あっちゃこっちゃからボロクソに批判されるような時代になるといいと私は前々から言っていました。それを言っていた頃はインターネットがこうも普及するなんてことは想像できなかったのですが、今や誰だって広く意見を表明することができるのですから、どんどんやればいいんですよ。もちろん、そうすることで、その意見にも責任が生じ、第三者からボロクソに言われるかもしれない。そんくらいは覚悟するしかない。
 皆さん、どうして意見を堂々言い、ぶつけ合うことにそうも臆病になるんでしょう。いいじゃないですかね、ある意見が叩かれたところで、人格を否定されるわけでも、人間としての存在を否定されるわけでもないんだし、間違ったら謝ればいいだけじゃん。逆に、唐沢俊一のように、コソコソやる方がはるかに人格を否定されていいのではないか。
 「風俗ユニオン」もそうでしたけど、「風俗ユニオン」のメンバーと彼らが属する店の経営者と、私らような外部の人間と、それぞれの利害や考えがあるはずで、それがまったく見えないために混乱が生じているのだから、互いに意見をぶつけ合って確認する場を設け、それぞれにメリットのある方向で着地点を見いだそうと申し入れたのに拒否されてしまったしなあ。なんでああなるのか、私はわからんです。だったら、こっちは自分の利害を守るために、彼らと何ら関係のないことを表明し、外向けに彼らの問題点を批判していくしかない。大きな敵がいる時に、こういうやり方は得策ではないと思うなあ。ところで、「風俗ユニオン」は今何をやっているんでしょうね。先日、「黒子の部屋」の古い原稿を読み直したところだったので、ちょっと「風俗ユニオン」のことを思い出してみました。
 今後、この「番外」では、時に篠田氏に直接関係することを、時に直接関係しないことを取り上げていきます。次回は風俗取材のルールについて論じます。
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