2012-09-10

お部屋2450/左褄はしきたりに非ず—古い絵葉書シリーズ附録【追記ありあり】

ひさびさにブログを大量更新したら癖になりました。今日も更新。今回書いているような話は何も世間様に大声でお知らせするようなものでなく、そもそも興味を抱く人なんてほとんどいないでしょうけど、どうも誤解が広がっているようなので、修正しておきます。

土日を潰して「古い絵葉書シリーズ」を書いたわけですけど、内容が重複していたり、面倒になったりして、出さなかった図版があって、それを今朝方メルマガ用に解説をして配信しました。

そこにこんな写真がありました。
IMG_1749.jpg

笑顔の舞妓です。笑顔の芸者写真は2点出したのでもういいかと思って使わなかったのですが、これを見て「あれ?」と訝しく思った人もいるかもしれない。右手で裾をもってますね。「芸者は左褄(ひだりづま)ではないのか」と。

芸者は遊女と違って左手で左褄をもつことで、体を売らないことを矜持としたという話から、「左褄」は芸者の異名ともなっています(※ほぼ間違いのようです。追記参照)。しかし、「遊女は右褄、芸者は左褄」はルールというわけでも作法というわけでもなくて、純粋に言語的な表現、あるいは文学的な表現だと私は見ています。

江戸時代のことまでは調べてないですが、芸者が遊女に対抗して自己主張するようになるのは近代のことですから(したがって、ここは「遊女」というより「娼妓」)、おそらくこの話自体明治以降のものではなかろうか(※目の付け所は正しいのですが、江戸の言葉でした。追記参照)。大正以降、平山蘆江あたりが広げた話かもしれん。

これについては以前メルマガで図版を多数使って詳しく見ていったことがあります。たしかにこちらの写真では左手ですけど、上のように右手でもっている写真もナンボでもあります。

そうも裾から手を入れられるのがイヤなら、右手でも左手でも、両方の褄をつまめばいいだけです。事実、そうしていることもあります。

たとえば左に人がいるとしたら、腕が邪魔にならないように右手を使った方が礼儀作法に則っていましょう。

以下がまさにそういう状況。

IMG_2075.jpg

写真の構図としてこの方がいいということもあったかもしれないですが、それにしても、厳密なしきたりだったら、こんな写真は撮らせないはず。

以下は美人の宝庫、新潟芸者です。顔まではよくわからんですけど。

IMG_6858.jpg

室内なので、裾を持つ必要はないのですが、全員右手のようです。

戦後も同様。

IMG_6855.jpg

これは昭和30年代のものかと思います。

もっとあとの「京をどり」のパンフレットに芸者が一同に介した写真が出ていて、左右どちらもいました。状況次第でどっちだっていいのです。

こんなもんだったはずなのですが、ネットで検索すると、あたかもそれが従わなければならないルールのように書いている人がたくさんいて、「これは訂正しておこう」と思った次第。

トンチンカンな記述も多数あり。

たとえば

裾を引く女の場合でも左褄をとるか右で取るかで、その女の属性がすぐわかるようになってるわけです。

左褄か右褄かは、裾引き(「引きずり」「お引き」「裾長」など名称さまざま)だからこその話で、遊女や娼妓が裾引きで町中を歩いていたはずがなかろうに。廓内を正装で歩いていたら、着物でも簪でも一瞥してそうとわかったわけですし。

芸者も同様で、元はと言えば、置屋からお座敷への移動の間、お座敷からお座敷への移動の間、紐でたくしあげるのは優雅ではなく、帯をいちいち締め直すわけにもいかないため、裾引きのままにしていたのであって、それを見れば、あるいは髪型、着物を見ればアホでも芸者とわかる。なんで右か左かを見ないと属性を判断できないのかって話。ここに出した絵葉書を見て、娼妓に見えましょうか。両者の区別がついていない人にはそう見えるのかもしれないけど、区別ができなくなってしまったのは、それらの存在が身近ではなくなった今の時代だからです。

もともとルールでもなんでもなかったものが、生半可な雑学を振り回す人が多いためかなんなのか、花柳界でも、これが「そうすべきしきたり」かのように思い込んでいる人が出てきているフシがあります。ことによると、古くから、これをしきたりとしている地域があるかもしれないですが、上の写真でわかるように、京都だって新潟だってそんなことにはなっていない。また、ある時代にはこれが作法とされていたことがあったかもしれないですが、私は確認できてません。

おはしょりで引っ張りあげた短い裾の着物でも、雨の日や車に乗る時などに裾を上げることはあるでしょうけど、京都の舞妓は別として、今の時代の芸者が裾引きの着物を着るのは、踊りの会と正月くらいですから、普段は左褄をやろうとしても難しく、やったところで本来の意味がない。車であれば右から乗るか左から乗るかでも違ってくるわけで、右か左かなんてことは言ってられない。

そう考えると、芸者にとっても、裾引きが日常ではなくなったがために徹底することができ、ルール化が可能になってきたとの事情もあるのかも。

ルールなんてものは時に誤解や思い込みから生ずるものですから、これを花柳界のルールとすることに別に反対はしないですが、芸者衆の行動を薄っぺらな知識で規定していくのは感心しませんし、事実として、多くの花街では少なくとも大正から戦後まで左褄はしきたりでもなんでもなかったことを確認しておきます。

絵葉書って役に立ちますでしょ。こんなことがわかったところで、なんの得にもならないですけど。
 
 
追記:今現在の舞妓さんを検索してみたところ、きれいに左褄になってます。歴史を無視して、すでにルール化しているのかもしれない。生半可な雑学に現実が引っ張られた例なんじゃなかろうか。「隣にいる人に配慮して、迷惑をかけない方の手で持つ」ってことの方が大事だと思うけど、そんな心遣いより、見た目をきれいに揃えて、昨日今日覚えた知識をひけらかしたい人たちに協力することの方が大事な時代なのでありましょう。

追記2:藤井宗哲編『花柳風俗語辞典』(東京堂出版/昭和57)によると、小杉天外『初すがた』に「柳橋で左褄を取った梅吉と言う者」という文章があるらしい。「芸者になった」という意味ですが、これは明治33年の小説。「大正以降、平山蘆江あたりが広げた話かもしれん」という部分は消しました。

追記3:どうもこの言葉の由来自体が臭いと思って、あれこれ調べてみたら、中野栄三著『性風俗事典』(雄山閣/昭和38)に解答らしきものが出ていました。
この言葉は江戸時代に生まれたもので、芸者は銭湯に行く際に、左褄をしながら、湯文字(銭湯に行く時の下着で、そのまま中に入る。腰巻の前身)としての緋縮緬を見せて艶姿を作っていたことからついた名称とあります。宝暦以降、一般には湯文字を見せないようにしていたのに対して、芸者はこれを見せ歩いていたため、緋縮緬もまた芸者の異名になっているのですが、これによると、「商売女」の意味でもあるそうです。ここでは売春をしているという意味ではなく(それは遊女の仕事なので)、玄人ってことでしょうけど(追記4に続く)。
遊女との比較なんて一言も出ておらず。江戸時代の芸者の地位や立場から考えて、「体は売らない」なんてことをそうも主張するとは思いにくくて、遊女との比較で言うなら、廓の高みにいて姿を見せない遊女に対して、芸者は人の目につくところで色気を振りまいていたことからついた名称と言えそう。芸者がそんな格好で歩いていたということは自分たちの存在に誇りをもっていた証左でしょうけど、その誇りの方向は「売春をしない」ということではなくて、「花魁と同じ座敷に出ている」ということだったはずで、まさに玄人であることの自負です(追記4に続く)。
なぜその時代に左褄だったのかについての説明はないですが、利き手である右手には風呂の道具を持っていたからでは? 一般の女たちは裾引きではないので、左手が空いていたのに対して芸者は左で褄を持っていたと。この本を見る限り、左褄は「左手で左の褄を持つこと」ではなく、「左手で褄を持つこと」のようですし。
江戸時代からあった言葉なら、この説明の方が正しいでしょう。江戸風俗については信頼できる中野栄三だし。そうだとすると、「左褄」と言われながら、それをしきたりにしてこなかった理由も納得です。近代の芸者観とは相容れないですから。
どうやら明治半ば以降の芸妓と娼妓の地位逆転の中で美化された言葉の可能性がありそうです。中野栄三の著書にたぶん詳しく書かれていると思うので探してみます。すぐには出てこないので、この続きはうんとあとになると思います。

追記4:と言いながら、中野栄三著『性風俗事典』の別項を読んでいたら、緋縮緬が意味する「商売女」は売色芸者を含むものだったよう。ここでの「売色芸者」は今の不見転とは違う意味かもしれず、座敷外で客をとっていたって意味ではなかろうか。だとすっと、自負でそんな格好をしていたわけではなくて、客探しのために色気を振りまいていたってことか。
なんにせよ、時に「緋縮緬」は売春をする芸者を意味していて、左褄もそれに連なる言葉だったのですから、180度違う話になってきました。さらに確認は必要ですけど、それをルール化しようとしているらしき現在の一部花柳界は何を考えているのかと。言葉の意味は時代とともに変わるので、左褄の意味も変えていいわけですが、あたかも昔っからそうであったかのように、花魁だの、太夫だの、遊女だのを持ち出すのは歴史の改竄であります。雑学野郎たちが許しても、ワシは許さん。
まっ、ウィキペディアでも指摘されているように、「芸は売っても体は売らぬ」は建前でしかありませんので、左褄で本音を表現していると考えれば間違ってはいないですけど。

追記5:こんな話はとっとと終わらせて現実に戻らなければならないのですが、ついつい気になってしまいまして。
田辺貞之助『古川柳風俗事典』(青蛙房/昭和37)を見たところ、左褄の項はなかったのですが、こんな古川柳が出てました。

——ふんどしは残してつまむ左褄

ふんどしというのは湯文字のことです。すでに書いたように、一般女性は湯文字を見せないのが礼儀となっていたのですが、芸者だけはあえて湯文字を見せた。左褄というのはそういうものだったわけです。その時に赤いふんどしが見えると、男はクラッとする。

——女の金ぐらふんどしへ金をかけ

緋縮緬は値段が高かったのであります。

追記6:左褄は男にアピールする芸者の様を意味するものであったことはほぼ確定と言ってよさそう。すべて右で揃えている例があるのは左褄を忌避することさえあったためではないか。たまたまかもしれないですけど、「体を売らない」という主張をするのであれば、かつての芸者のありようを否定して、そうした方が筋が通ります。
続いての問題は、「この話がいつ今のような内容に改竄されたのか」です。それこそ平山蘆江の左褄ものを読めば、なんか出てくる可能性もありますけど、そんな説明をしていたのかどうか記憶にない。気にして読まないとそんなもんでしょう。本が出てきたらまた調べるとして、戦前戦後の花柳辞典、俗語辞典の類を片っ端から調べてみたら、どれも「芸者は左手で褄をとることから」「芸者は左の褄をとることから」といった説明になっているだけで、「芸は売っても体は売らない」という説明がなされたものが見当たらない。これ、案外最近のことかもしれない。「最近」というのは戦後ってことですが、昭和20年代後半、当時の花柳界のドン、阪口祐三郎を中心に、「芸者は芸を売るのであって、体を売るのではない」キャンペーンがなされているので、その時だったりするかも。辞書編纂者としては、歴史的裏付けのない話であることを知ってますから、辞書には採用しないってことは十分考えられます。なんて推測を繰り広げると、またあとで消さなきゃいけないので、この辺にしておきます。

追記7:雑誌「ギャング」をずっと読み続けているのですけど、小指のない芸妓、照葉が本名の高岡辰子名で「照葉ざんげ貼」という手記を連載しています。1回目はつまらなかったんですけど、2回目(昭和7年8月号)はムチャオモロい。
照葉が芸者をやめて、アメリカ旅行に行く時に、船上でアメリカ人に声をかけられます。彼は日本で上流階級の令嬢や奥様方と遊びまくったのですが、芸者だけは仲良くなってもセックスまでは至れなかった。このアメリカ人は日本に来る前はヨシワラの女たちとゲイシャガールしか簡単にセックスはできないのだと思っていたのですが、全然違っていたと。これはどうしてなのかを聞かれた照葉はこう答えます。
「芸者が貞操を許すのはふた通りあって、ひとつは満足できるだけの物質が与えられる時。もうひとつは恋をした時。それ以外には貞操の鍵は封印されている」(原文はもっと長いのですが、趣旨としてはこの通り)
遊びでセックスをする素人さんとは違うのだと。ここは芸妓や娼妓、あるいは今の風俗嬢やホステスたちにも通じる感覚かと思います。芸者の生活もわからなければ、金のためにセックスをしたところで貞操は守れるという感覚もわからない人たちが増えて、「芸者は必ず左褄なのだ」などと言い出しているんじゃなかろうか。
ちなみに戦前の女たちは結婚まで処女を守ったし、浮気なんてそうそうしなかったと思っている人たちがいるようですが、んなことないです。そういう人たちもいた一方で、今と同じように遊んでいる人たちはたくさんいました。田舎は田舎の流儀で、都会は都会の流儀で。こういう話は当時の雑誌を読むとよくわかります。

追記8:勘違いしてました。戦前までは裾引きの芸者は少なからずいたと思っていたのですが、昭和初期の段階ですでに日常的に裾引きにしていたのは京都の舞妓だけだったと書いてある本がありました。その時代に芸者自身が書いているものなので間違いないでしょう。この本は左褄の無意味さを徹底的に書いているのですけど、内容が濃すぎて追記では書ききれそうにないので、改めてエントリーを上げようかと思います。

追記9:まとめておきました。2451「左褄とは変態的服装のことである」

このエントリへの反応

  1. こんにちは。着物や日本髪を愛好する者です。(こちらの続きの記事も拝見いたしました。)
    素晴らしい記事ありがとうございます!

    今の京都花街では「左褄」は常識化されていますね。右で取っているのは一度たりとも見たことがありません。
    ネットで調べれば必ず「芸は売っても」の文句が出てくるので、最近の芸妓さんや舞妓ちゃんもそういう知識を持ちながら左で取っていたりするのかな?おかあさん方にはまだまだ右でも左でもの世代の方が多いと思うのですが。
    今は、一般人や海外の方へのわかりやすいアピールというのもあるかもしれませんね。戦後、日本人の認識の中で芸者という職の地位はかなり向上してきましたが、海外ではまだまだゲイシャガールは娼婦という認識もありますし、彼女たちの尊厳の保護というのか。それで「一般人や花嫁は右で取るから云々」と続くのは不快ですが。

    長いことモノクロ写真の芸妓・舞妓さんが右でも左でも褄を取っているのと、「左褄」の定説との相違に疑問を抱いておりました。此度、検証記事を読ませていただき感謝しております。

    ごく近年のものを「古来の決まり」と多くの人が思いこんでいる例は調べると多いのかもしれませんね。着物の世界も息苦しく、面白みがなくなってしまいました(少し前までは、当然ながら一人一人の好みの着方がありました)。
    芸者の「左褄」は芸者の美化に一役買っていますが、着物のルール化は着物人口の最低限の保持に一役買っているいっぽう、それ以上に着物離れに一役買っているから困ったものです。

  2. ご理解いただけで嬉しいです。

    こういうことを時間をかけて調べても、俗流の知識には勝てないところがあります。本当のところを知りたいのではなく、飲み屋話として「へえ」と言われたいだけの人たちが多いのだと思います。ネットもそういう情報ばかりで、検索して見つけただけの話が、さも真実であるかのように記述されていく。古い写真や絵葉書を数点調べればおかしいことに気づけるはずなんですけどね。

    おっしゃるように、着物については戦前の方が自由度が高くて、流行り廃りもあります。固定された伝統ではなく、生きたファッションでしたから。