2010-11-21

お部屋2132/ひさびさに「メタ視力」

一ヶ月前のことです。新宿ロフトプラスワンで行われた毒蟲presents「SM解体新書」のあと、「毒蟲」主宰の月花さん、この日のメインゲストであるカウンセラーの尾谷幸治さん、大学時代に尾谷さんともに心理学をやっていた大学教員らとともに朝までダベっていました。

このイベント自体、非常に刺激的な内容でしたが、打ち上げでも興味深い話が次々と出てきました。

その時のキーになる言葉を列挙すると、「人格が自立できない人たち」「客観のない人たち」「文章を正確に読めない人たち」「パクリをする人たち」といったところになりましょうか。

どうやら文脈や論理をうまく受け取れない人たちがいるらしい。文字が読めないわけではないので、難読症とは違います。

わかりやすい例を出しましょう。私の知人で、ストーリーが追えない女性がいます。だから、小説を読んでもすぐに理解できなくなる。子ども向けのものならともかく、ちょっと複雑になると楽しめない。

文章の読解力とはまた別で、人間関係が錯綜すると、映画やテレビドラマさえも筋が追えない。まったく理解できないってわけではないらしいんですけど、正しく理解できない。すぐに混乱して筋がズレるのです。

彼女は頭が悪いわけではなくて、日常生活にはなんら支障がない。彼女はその欠点を自覚できていますから、自覚できていない人たちよりはるかにマシです。

多くの物語はいくつもの視点が交錯して進行していきます。どうやらこれが原因になっていそうです。つまり、複数の視点を同時に理解することができない。私が言うところの「メタ弱視」「メタバカ」です。

当然、「私」という視点はわかる。「私とあなた」も「あなたから見た私」もだいたいわかる。これにさらに視点が増えていくとわからなくなって、俯瞰して物語を整理することができない。どうもそういうことのようです。

「メタ視力」という考え方は、野間易通@kdxnさんの発案を私が発展させたもので、『クズが世界を豊かにする』で簡単に触れてますので、参照してください。

こういったタイプの人たちを見抜くには、意見を言わせることです。自分一人の意見を言わせるだけならおかしさは出にくい。続いて、「私とあなた」の対話でも、さほどはおかしくない。ところが、これが3人、4人と人がいる場で意見を言わせると、ズレが明らかになってきます。

一般に「空気が読めない」と言いますが、この場合に読めないのは空気ではなく、論点が読めない。また、他者がどこから発言しているのかを見極められず、よって、その意味を正しく受け取れない。俯瞰がないため、話を自分の中で整理できない。

当然のことながら、議論は議論に参加する人たちが、その場で何が論じられているのかを理解しないと成立しない。ところが、それが理解できずに別の話を持ち出す。

そこで、「おいおい、今はその話じゃないぞ」とか「ここでメタ議論は必要ないだろ」ということになってくる。もちろん、メタ議論が有意義な局面もありますが、そうではないのに、それがメタであることが理解できずに別の論点の話をし出して議論を混乱させる。

この打ち上げでの話で、「メタ視力」についてさらに考えることがさまざまあって、「なんかヘンだな」と思っていた人々の行動がかなり理解できたように思えます。これらについてさらに私なり発展させたことを「マツワル」で延々書いていましたが、一段落したことでもあるので、これ以降、その一部をこちらでも出していこうと思います

すぐに飽きるので、続くかどうかわからんけど。