2009-12-19

お部屋1996/出版とインターネットの関係

連日更新する予定でしたが、締切をクリアしても、年末はやることが多くて、さっそく一日空いてしまいました。

昨日から『クズが世界を豊かにする』が全国の主要書店の店頭に並んでいるはずで、「サイン本でも作るか」とタコシェに行ったのですが、まだ入荷しておらず。おかしいな、通常、ポット出版は、直販店には発売日前に送っているはずなんだけどな。

まっ、この本はトラブル続きなので、この程度のことではいまさら驚かないです。

タコシェの伊東店長がこう聞いてきました。

「予約の調子はどうですか」

聞かれたくないです。書店の注文や直販の予約は順調だったのですが、アマゾンは絶望的です。

「表紙のせいでしょう。あれじゃあ、お笑いの本ですよ」

痛いところを突かれました。

「本当はああいう表紙になるはずじゃなかったんだよ」と私はそこにあった言語学の本を取りあげました。

「この本のような雰囲気で、ここにさりげなく写真が入って、よく見るとヘンというものを狙っていたんだよ」
「それならわかりますけど、どんなにいいことが書いてあっても、あれでは買わないですよ。松沢さんの本ではサイテーの表紙でしょ」

返す言葉がない。

表紙のデザインができたのは、入稿前日みたいなタイミングで、その段階ではもっとお笑いの本らしい表紙でした。

こっちが想定していたイメージに合わせ、すべて写真は横で撮っていたのに、なぜか縦にして表紙の全面に使い、内容と掛け離れた表紙になっています。

「話が違うだろ」というので、一からやり直しさせて、翌日、今の表紙に近いものに。なんで、著者がそこまでやらなきゃいけないんだって話だったりするわけですが、とてもじゃないですが、そのままにするわけにはいきません。

その段階でも納得してなかったのですが、時間的にあきらめるしかなく、写真を差し替えたり、細かな直しを入れるのが精一杯。せっかく表紙に出てくれた方々には申し訳ないですが、完全に失敗こきました、この表紙。

これで消耗して、すっかりやる気をなくし、見本ができても見る気にならず、一昨日やっと現物を見ました。お笑いの本だと思えば、そうは悪くないか。お笑いの本じゃないけど。

内輪の事情を晒すのはみっともないので黙っていようと思ったのですが、「サイテーの表紙」とまで言われてしまったので、「オレだって、いいとは思ってねえよ」とご理解いただくために説明してみました。

数字が伸びないのが表紙のせいなのかどうか、よくわからないのですが、発売日の昨日、アマゾンでは10万位台という自分の本では体験したことのないひどい数字にさらに絶望。これで、来年はどんな本を出したらいいのか、さっぱりわからなくなって、暗い年越しになりそうです。

どうしても熱が入らないので、あと3回くらい書いたら宣伝は終了して、この本についてはとっとと忘れることにします。

YouTubeが切り口にはなってますが、この本のテーマのひとつは、「既存メディアとインターネットの関係をどうとらえるか」ってことだったりします。

この本はメルマガ「マッツ・ザ・ワールド」でずっと書いていた内容をまとめ直したものです。「マツワル」は有料ですから、雑誌の原稿料とは比較にならないにしても、なにがしかの金にはなっているわけですが、少数の人たちが面白がってくれても、雑誌には相手にされない内容です。

そりゃエロライターが書いたインターネット論なんてものを掲載する雑誌などありはせず、読みたがる読者も少ない。つまり、商業出版で言えば、「ゼニにならないクズ原稿」です。

それをポット出版の沢辺さんが読んで、「これは面白い」と判断して、本になった次第。出るや否や赤字決定みたいなことになってしまいましたが、沢辺さんとしては「利益を出せるかもしれない」と判断したってことであり、「マツワル」をやっていたからこそ、成立した話です。メルマガはありがたい。それに金を払ってくれている購読者もありがたい。

最近は休んでますが、長らく提灯や暖簾の話を「マツワル」では書いていて、これはどんな出版社も利益になるとは判断しない。それでも、私にとっては意義のある内容であって、その意義を理解できる人が一定数いないと商業出版のルートには乗らないわけです。

つまりは、「ゼニにならないものを出版界は扱わない」ってことです。もちろん例外はあって、「赤字でも出す」と判断をすることもありますが、そんなものばかり出している出版社はとっくに潰れています。

ライターも同じで、自分がネタを選択していい連載で、読者受けを無視して、あるテーマを取りあげることはできますが、そのような連載をもっていなければ、取りあげることはできない。うまいこと需要があるように見せかけて、やりたいテーマを雑誌で成立させるというテクもあったりするし、書くことによって需要が生まれるということもあるわけですが、それとて限界はあります。

どんなテーマでも名前で売ることのできる書き手は、「やりたいことが売れること」ってことだったりするわけですが、そんな書き手はほんの一部です。

しかし、今の時代は、誰しもそれをインターネットで書けるのですから、つくづくいい時代です。

商業出版がクズとして捨ててきたものがインターネットでは存在していい。それこそがインターネットを豊かにしているし、インターネットの存在が世界をも豊かにしている。というのが『クズが世界を豊かにする』というタイトルの意味です。

現実には「ゼニのため」と割り切っているライターや編集者が多いのも事実です。金にならないことはやらないし、興味も持たない。そういう生き方もありだと思うのですが、困ったことに、「ゼニのため」でしかないくせに、それを自覚できておらず、「ゼニになることは社会にとって価値のあること」と信じて疑わない人たちがいることです。これについては、私が書いたことを受けて橋本玉泉さんが嘆いている通り

本人に面と向かって言う人たちはそうはいないにしても、橋本さんに対して「何をバカなことをやっているのか」と軽蔑する出版人がいるのは容易に想像できます。現に橋本さんのような人がいるように、すべてがそうではないですが、金にならないことをコツコツやることを軽蔑するような人たちが重用されているのが出版界ですわね。

「価値がない」として既存メディアが切り捨ててきたものの中にも、価値のあるものがいくらでもあって、私自身、既存メディアでは見られなかったもの、教えられなかったものを見て、時に笑い、時に感心し、時に涙まで流しているわけです。

誤解されないように繰り返しておきますが、だからと言って私は「出版に価値はない」なんてちいとも思っていない。そうであることを前提にしてなお出版界には価値があり、存在理由もあって、私自身、「本を出すのはゼニのため。読まなくていいから買ってくれ」とよく言っているように、それによって生活できているから、無駄なこともやっていられていますし、取材費をかけられるからできることがあります。ゼニを生む安定した仕組みとして、今のところ、インターネットはテレビや出版にはかなわないのです。どっちも崩壊寸前ですけど。

どっちにもいい点があって、どっちにも悪い点があって、両者は補完し合えるのですから、二者択一をしなければならないわけはない。しかし、一方にはインターネットを軽視したがる人たちがいて、一方には既存のメディアを否定したがる人たちがいて、「なんだかなあ」という思いがあります。

続きます。