2009-10-27

お部屋1968/除籍予定本の大半は多摩の資料ではないのでは?【追記あり】

前回書いたことを踏まえて、地域資料についてもう少し書いておきます。

「市販されたものに比べて入手が難しい」という側面があるのは事実でしょう。図書館で地域資料の書架を眺めればわかるように、市販されているものも多いですから、あくまで「入手が難しいものもある」ってだけですが、一部を除いて、行政資料は販売されないですし、増刷されることもまずない。市史の類いは古本市場にナンボでも出ますが、会計報告書は売りに出ない。欲しがる人がおらず、値段がつかないためです。

同時に、行政の発行物は、黙っていても図書館に配布されるという側面もあります。『武蔵野市史』が、三市町の図書館を除いて、東京の全市立・町立・区立の図書館に収蔵されているのも、「購入するかどうか」の判断をするまでもなく配布されるからでしょう。これが地域資料が広く収蔵されている理由の第一点です。羽村市立図書館にないのは、その当時はまだ羽村町だったためでしょうか。

続いて、「地域資料は貴重」という意識が図書館側にあることが第二点目です。そのため、廃棄されない。40年近く前に出た『武蔵野市史』が今も残っているのはこのためです。

これが成文化されている自治体もあります。例えば厚木市図書館資料除籍基準志木市立図書館除籍基準など。どちらも郷土資料と行政資料に限って廃棄できないということなので、地域資料のすべてを捨ててはいけないというわけではないでしょうが。

もうひとつは、利用頻度が低いということです。利用する人が少ないので傷みにくい。よって捨てられない。これが第三点目。

地域資料のコーナーで、もっとも利用されるのはガイドブックの類いではないでしょうか。「三多摩の名刹」とか「八王子のおいしい店百選」とか。

こういうガイドブックは「読み捨て本」の典型で、個人で購入しても、すぐに捨てられます。エロ本と一緒です。こういうものこそ、あとになってから探せないもっともレアな資料だと言うこともできるのですが、「地域資料が貴重」という人たちは、おそらくこれらを指しているのではないでしょう。郷土資料を除籍できない自治体でも、こういうものは廃棄されているはずです。

まだあるかもしれませんが、この三点によって、都立図書館にあるものは、市立・区立図書館にもたいていあるという現実が生み出されています。

「貴重、だから捨てるな」ではなく、「貴重、だからいっぱいある。だったら、捨てていいべ」というのが私の立場です。

「地域資料は地域にあるべき」という意見を書いている方がけっこういらっしゃいます。こういう意見を読んで、はたと気づいたのですが、もしかすっと、こういう人たちは、7万冊のすべてが、多摩に関する資料だと思っているのではなかろうか。

すべて多摩の資料かもしれないので、ここは調べた方がいいですが、図書館で言う「地域資料」って、その図書館がある場所の最小行政単位に関する資料だけでなく、広くその図書館が存在する都道府県の資料を含めたものであって、多摩図書館もそうじゃないんですかね。

都立でありますから、純然たる多摩地区の資料より、広く東京都に関する資料の方がたぶん多いでしょう。雑誌で言えば「東京人」あたりも入っていそうです。

たった二館の都立図書館の中で、7万册も重複していたことの意味をもう少し皆さん考えた方がいいと思います。

したがって、こういう意見の人たちは、「多摩に関する資料だけ残せ」と正しく主張すべきです。確認してからでいいですが。

そもそも多摩という行政単位があるわけではないのですから(多摩市はあるけど)、行政資料については、発行した自治体の図書館や役所にぬかりなく保存されています。この段階ですでにして多摩図書館は、市立・町立の図書館に重なって存在しているわけです。都立中央図書館と重なり、市立・町立とも重なり。

仮にすべてが多摩の資料だとしても、ほとんどは近隣の図書館に収蔵されているはずですから、インターネットで、いながらにして「どこの図書館にあるのか」が調べられる時代、また、他の図書館からも取り寄せられる時代であることを考えれば、「うちから歩いて5分のところにないと許さん」みたいな意見に意味があるとは思えません。ベストセラーを借りる人たちと違って、こういう資料を必要とする人たちは、「電車賃を使いたくない」なんてこともまずないわけで。

当初は猶予がなかったためでもありましょうが、なんだか、今回の一件では、拙速な意見が多くないですか。私の方が拙速かもしれないですが。もしそうだったら謝ります。
 
 
追記:こちらに数字が出ていました。多摩の資料は33%。妥当な数字かと思います。結果はおおむね正しかったのですが、ちゃんと検索していなかった点につき、拙速でした。すいません。

「地域資料は地元にあるべき」と言っている方々は、残りの67%を廃棄することに異存はないはずです。また、このうち、多摩の市立・町立図書館にすでにあるものについても破棄することに異存はないはずです。コンピュータ管理になっているのですから、こんなん、すぐに調べられるはずです。「地域資料は貴重」「中央図書館に一冊あればいいのか」「災害で失われたらどうするのか」と言っている方々も同様です。

ここまで皆さんが言っていることからすると、99%は捨てていいという判断になると思うのですが、たぶん多くの人たちは納得しないのだろうと思います。つまり、「地域資料は地元にあるべき」「地域資料は貴重」「中央図書館に一冊あればいいのか」などといった論は内実をともなっておらず、端的に言えば、「本は捨ててはいけない」という、曖昧模糊とした個人的な心情を根拠にしているだけだろうと想像しています。そんなことを言っても説得力がないので、いろんなことを言っているだけ。

当初からそう私はそういう印象があって、だからこそ、反発したくなった次第。個人の心情は税金で実践すべきではなく、個人の金でやるべきです。これについてはまたそのうち。

このエントリへの反応

  1. [...] まず、すでに書いたように【多摩地域資料約7万冊】という表現は不正確です。「31%の多摩地域の資料を含む地域資料7万冊」です。 [...]

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