2009-06-07

お部屋1868/部数と印税 4・上製にする理由

お読みでない方は、以下を先にどうぞ。

「1864/部数と印税 1」
「1865/部数と印税 2」
「1866/部数と印税 3」

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間もなく出る『エロスの原風景』を宣伝するために始めたシリーズなのですが、ついつい書き込んでしまって長くなってます。今回こそ終わるつもりだったのですが、さらに1回伸びました。もうちょっとおつきあいください。

今回は以前書いたことの焼き直しです。広く公開した文章ではないので、改めて書き直して出しておくことにしました。「部数と印税」ではなく、「部数と定価」がテーマです。

2004年に私の企画・監修で翻訳本『セックス・フォー・セール』を出した時、「3360円は高い」と文句をつけてきた人がいます。

この人は海外の学術書も購入していることをわざわざ記述して、「自分は本についてよくわかっている」と自負していたようですが、書いていることは素人のそれでありまして、本の定価がどう決定されているのか全然わかっておらず、「ハードカバーをやめて、ペーパーバックにして定価を下げるべき」と強いトーンで書いてました(注1)。そうすればもっと売れると。

アメリカの出版事情はよくわからないですが、たしかにハードカバーで出た本が、同じ装丁で、のちにペーバーバックで出ることがあります。ハードカバーの売れ行きがよく、ペーパーバックでも売れると判断したのでしょう。また、画集や写真集では、ハードカバーとペーパーバックが同時に発売されることもよくあります。あのハードカバーは日本で言う特装本や豪華本の扱いかとも思われます。

日本では返本の混乱を避けるため、同じタイトルで、二種の値段の単行本が同時に流通することはあまりなく、オリジナルが品切れになったあたりで軽装を出すか、同時に流通させる場合は文庫という新装で出すことになります。特装版や豪華版は通販と注文のみで出すことが多いのも同じ理由です。本が買い切り商品になっている国と、原則、返本可になっている国の違いです。

おそらくその人は、「アメリカのようにカバーもなくして、もっと安くしろ」とも思っているでしょうが、これも日本では難しい。返本されたら断裁される運命の雑誌と違って、単行本は行ったり来たりするため、カバーを交換することで汚れや傷みをケアするようにするしかない。

ほとんどの場合、文庫は単行本より安いですが、安い体裁だから定価を安くすることができたのではなくて(それも少しはあるにせよ)、売れる本だから大量の部数を出せ、定価も安くなったと言った方がいい。同じく、「上製だから高い」というより、「高い本だから上製にできる」「高い本だから、それに見合った装丁にする必要がある」と言った方が正しいのです。

つまり、上製にしたり、箱をつけたり、タイトルを金押しにしたり、カラー図版を入れたりする経費は、定価が高ければ高いほど、原価率に反映される程度が少なくなるために、安い本で同じことをすることに比べると、さして気にせずに実現が可能ってことですし、それをやることによって「高い本らしさ」を主張できるってことです。

値段に見合った見た目にしないと売れないので、ページ数が少ない本を高い値段にせざるを得ない時は、厚い紙を使ってツカを出して、エコな時代に逆行します。

本に限ったことではありません。500円の高級豆腐は和紙にくるまれて、竹の籠に入っていたりします。ここでも、「竹の籠に入っているから高い」というより、「高い豆腐だから容器に金をかけられる」「高い豆腐に見合った見てくれにする必要がある」と言った方がいい。

「過剰包装」「もったいない」と言う人たちがいそうですが、こういう人たちが80円の豆腐と同じ体裁の500円の豆腐を買うかと言えば買いません。ほとんどの人たちは、まず見てくれで買うのです。

根拠のない勘ですが、竹の籠の原価は20円か30円程度じゃないでしょうか。ひとつ80円の豆腐でこんなことをしたら、一挙に値段が上がります。人件費も輸送費も上がりますから、倍にしても採算がとれなくなりそうです。対して原材料を厳選して、手間暇かけた高級な豆腐は、最初から高くするしかないから、高い容器を使えるのであり、これをやめたところで、500円の豆腐が200円にはならず、高級感がなくなって売れなくなるだけでしょう。

こういう誤解をしている人は、「この豆腐は籠に入っているから高いのは当然」「この本は上製だから高いのは当然」と勘違いして買ってくれるかもしれないのですから、ほっとけばいいのですが、勘違いを元にクレームをつけられたら説明するしかないし、「なぜその値段なのか」を正確に理解した方が高い値段を出す気になりそうです。

現実に『セックス・フォー・セール』を並装にしたところで、3360円を2千円台に下げることさえできません。3200円にすることができるだけ。2千円台にするためには、部数を増やすしかない。

この本は2千部だったんじゃないかと思いますが、部数を3千部にすれば2千円台になります。1万部にすれば千円台にすることも可能です。そうすれば3千部くらい売れるかもしれないですが、大赤字です。

どんな本でも部数を増やして、定価を下げれば売れるというのであれば、どこの出版社だってそうします。『セックス・フォー・セール』は学術書です。しかも、売買春に関する内容ですから、読者を選びます。定価を1980円にしても、売れるのはせいぜい2千部台でしょう。

そりゃビジネスとしてはベストセラーになる本を出した方がいいですが、さして利益にならなくても出した方がいい本、出すべき本というのがあって、そういった本を出すには、それぞれに適切な部数、適切な値段というものがあります。

「どんな本でもベストセラーになるような作り方をすべき」という発想をすると、そもそもこんな本は出せない。3360円という値段にクレームをつける発想は、「出すな」と言っているに等しいのです。

事実、この本は本国で出版されてから何年も経っていたのに邦訳が出ていなかったのは、日本の出版社が「採算のとりようがない」と判断していたからでしょう(検討をするところにさえ至ってなかった本と言った方がよさそうですが)。

結果、この本は採算はとれたのではないかと思いますけど、利益は知れています。うまくいってやっと「ちょっと利益が出る」という程度の本はどこも出したがらない。高くても買う価値があると思う人がそれなりの数いてくれれば、こういう本をもっと安く出せますが、現にそうなっていないため、「儲からなくても出した方がいい」と判断する出版社があって初めて出されているにすぎません。

この翻訳もののシリーズは、このあと、『ポルノグラフィ防衛論』につながります。これも採算はとれたかもしれないですが、「売れた」というほどは売れてないので、私もポット出版も二冊で力尽きました。

出すことによってマーケットが拡大することもあるので、出し続けるべきかもしれないですが、出しても「高い」と文句言われるしさ。ビジネスで割り切るなら、こんな本は出さない方がいい(注2)。時給千円のバイトをしていた方がいいです。

ベストセラーを出すには、ふだんあまり本を読まない人、話題になっているから買うだけの人にも買わせる必要があり、そういった層が買うはずのない本は、少部数、高価格で採算をとる方法を模索するしかない。たいして儲けは出なくても、そうすることによって出せるなら出したい。そういう本が存在しています。

時にはこの方法の選択ミスもあって、「もっと部数を増やして値段を下げた方が売れたかも」「もっと部数を絞って値段を上げた方が採算がとれたかも」ということもあるわけですが、海外から原著を取り寄せている程度で本のことをよく知っていると思いこんでいる人の感想なんぞ、おおむね間違っていると言っていい。

次回こそ終わりたい。
  
  
注1:「ペーパーバック」と言うと、日本の文庫に相当する軽装版をイメージしてしまいますが、ここでは日本で言う「並製」のことで、単にハードカバーではない本を意味します。この場合の「カバー」は日本での「表紙」です。

注2:本はブツにする手間や経費がかかります。それを流通させるためにも手間や経費がかかります。だから、値段をつけるしかありません。それよりボランティアが翻訳してネットでタダで公開する方法を今後は模索した方がいいのかもしれないとも思ってます。あくまで「原著者が承諾すれば」という話ですが、これなら「高い」と文句を言われて、腹立たしい思いをすることもない。