2009-05-05

お部屋1837/権利者不明の著作物を利用する方法【追記あり】

ゴールデンウィークだからと言って海外に出かけていたわけではないのですが、のんびりしているうちに数日あいてしまいました。

『最後のパレード』盗作問題を取りあげた先週金曜日の「ミヤネ屋」を観たのですが、森永卓郎がいい加減なことを言ってました。引用の要件として、「出所の明記」「同一性の保持」とともに「半分以上を引用してはいけない」などと言ってましたが、そうする必然性があれば、全文を引用することも可能です。図書館で、著作権が生きているものは半分しかコピーできないことを誤解したものでしょうか。

本を多数出している人でも、こういうことを言ってしまうものです。それでもずいぶんマシな部類であって、サンクチュアリ出版の編集者や中村克さんは、「引用の要件」なんて問われてもまともに答えられないでしょう。

『最後のパレード』では、「批評していない」「批評だと言い張るのだとしても、引用部分が主になっている」「引用部分が明示されていない」「出所(出典)が明示されていない」「著作者名が明示されていない」「同一性が保持されていない」の各点において引用ではありえず、著作権法違反であることに疑問はありません。

中村克さんは、矢野穂積市議を「FM局を運営しているため、著作権に関しては極めて詳しい方です」と評して、著作権については無知であることを自ら告白しています。これまで書いてきたことから見て、この人が著作権のイロハもわかっていないことは歴然としていたわけですけど。

矢野穂積が著作権に詳しいなんて思っているのは、東村山でも十人はいないでしょう。こんな人間に投票する有権者が千人以上いる東村山市のことですから、ここは私も自信はないですが、「著作権に詳しい人で、矢野穂積が著作権に詳しいと思っている人」という条件をつければ皆無と言っていい。

矢野穂積がいかに著作権を無視してきたのかについては、3羽の雀さんがまとめている通り。そこにも紹介されている拙稿「コミュニティFMの闇」シリーズで指摘したように、多摩レイクサイドFMは、コミュニティFM業界では広くその悪名を知られており、今なお音楽使用料は支払っていないと思われます。

また、このコミュニティFM局は、ちょっと前に問題になったマルチ商法の業界団体「ネットワークビジネス推進連盟」のヨイショ番組を放送をしていたことが本年3月号の「実業界」で報じられています

ほとんど聴いている人がいないため、大きな問題になることがないだけのことで、どこをとってもデタラメな放送局なのです。

もちろん、「東村山市民新聞」で述べられた無駄に長いだけで中身のない駄文を読んでも、矢野穂積は著作権法をまったくわかっておらず、当然、今回の盗作事件についても、何がいったい問題なのかをまるで理解できていないことがわかります。

矢野穂積が「自分は法律に詳しい」と思い込んでいることはおそらく事実。しかし、現実には、その性格通り、自分勝手に法を解釈しているだけで、今回の一件でも、見事にそれが露呈しました。仲良しの中田光一知弁護士にちゃんと話を聞いておけよ。

ところで、3羽の雀さんが「リコールかぁ」で挙げている文化庁の「著作物理由の裁定申請の手続き」ですが、現実には、出版界でも、この制度に則っていることはほとんどないので、これについて補足しておきます。

文化庁の「著作物理由の裁定申請の手続き」は以下。

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 他人の著作物を利用(コピー・配布、送信など)するときには、「著作権者」の了解を得ることが必要です。

 しかし、了解を得て利用する意思があるにも関わらず、「相当な努力」を払っても、「著作権者が誰だか分からない」とか、「著作権者がどこにいるのか分からない」とか、「亡くなった著作権者の相続人が誰でどこにいるのか分からない」といった場合があります。

 このような場合については、文化庁長官の「裁定」を受け、「補償金の供託」を行うことにより、文化庁長官が著作権者に代わり許諾(了解)を与えることで適法にその著作物の利用ができる制度です(著作権法第67条)。

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著作権法第六十七条は以下。

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(著作権者不明等の場合における著作物の利用)
第六十七条 公表された著作物又は相当期間にわたり公衆に提供され、若しくは提示されている事実が明らかである著作物は、著作権者の不明その他の理由により相当な努力を払つてもその著作権者と連絡することができないときは、文化庁長官の裁定を受け、かつ、通常の使用料の額に相当するものとして文化庁長官が定める額の補償金を著作権者のために供託して、その裁定に係る利用方法により利用することができる。
2 前項の規定により作成した著作物の複製物には、同項の裁定に係る複製物である旨及びその裁定のあつた年月日を表示しなければならない。

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このような手続きを踏めば、著作権者が不明の著作物を利用することが可能なのですが、現実には、この裁定による著作物であることを表示した複製物を見たことは一度もありません。ほとんどの出版物において、この制度は厳しすぎて、利用しようがないのです。

こういう場合でも、引用の範囲であれば、当然、許諾は必要がないわけですが、例えば「絵を本の表紙に使いたい」となると、引用というわけにはいきませんから、許諾は必須です。

当然、出版社は著作権者を探すことになります。著名な人であれば遺族を探すことは可能ですが、著作者さえわからないこともあります。その場合はこの制度を利用できるわけですが、著作権法にある「相当な努力」というのは、単にどこかに問い合わせをしたというだけでは十分ではなく、例えば新聞広告を複数回出すといったことまでを求められますから、金も時間も手間もかかります。

本の表紙に絵を使うとしても、通常、使用料はよくて10万かそこらです。その何倍もの金を使って調べる出版社はまずない。また、締切というものもありますから、この作業に何ヶ月も費やすことはできない。

もちろん、そこで諦めることもあるわけですが、どうしても使いたい場合は、その複製物に「著作権者の方、あるいは著作権者をご存知の方はご一報ください。当社規定の使用料をお支払いします」と添えます。そのような一文を見たことがある人は少なくないでしょう。

この方法をとるのは、多くの場合、「著作権が残っている可能性はあるが、おそらく著作者は亡くなっている」といったケースです。時期で言えば、半世紀程度前のものってことです。無名の著者であれば、著作権継承者が「自分が権利をもっている」ということさえ知らないことが多く、したがって、新聞広告などで探しても権利者は出てこないことが想像できます。

この時に大事なのは、著作者人格権を尊重するってことでしょう。つまり、自分が創作したものであるかのような処理をせず、同一性を壊すような使い方をせず、題号や出典、著作者名がわかっている場合は明示するってことです。そうである限り、仮に権利者がそれを知ったところで、それこそ「事後承諾」で済みます。

著作権法上、書評に本の表紙を添えるのも著作権侵害になり得るのですが(表紙を批評しない限り)、現実にはこれが問題になることはないため、多くの場合は許諾をとらずに掲載しています。これと同じく問題が生じないことを前提に、著作権者がわからない著作物も、このような方法で使用することが半ば慣例化しています。商業利用ですから、フェアユースとまでは言えないとしても、このような方法が批判されるべきではないと私は考えてます。

中村克さんが言う「事後承諾」は、こういった話を都合よく解釈したものかとも思うのですが、『最後のパレード』と、このようなケースを比肩させることはとうてい無理です。

『最後のパレード』の場合は、著作者、著作権者を探すことが可能です。それを一切やらずして、また、人格権を否定するような方法で転載しておいて、「事後承諾でいい」なんて主張が成立するわけがないでしょう。「なんで事後承諾を待たなきゃいけないのか。先に承諾を得ればいいだけだろうが」って話ですし、「なんで著作者人格権を尊重しないのか」って話でもあります。なにより現に事後承諾を得られていないのですから、完全なアウトです。

今や志村けんに代わって、東村山市を代表する存在となったこの人たちには、この調子で頑張っていただければ、当面、この騒ぎは収まらないでしょう。

追記:よく考えたら、著作者名、著作権者名が不明の著作物の場合、その現物を出して、「知っている方」と呼びかけるしかなく、これ自体が無断複製になってしまいます。引用の要件にも該当しないですし。だったら、無断で使用した上で、「知っている方」と呼びかけるのと実質同じです。つまり現行法では探すことが困難であって、ここは法改正するか、運用をゆるくすべきでしょう。

もうひとつ私が以前から改正すべきと言っている点があります。文中にあるように、レビューで本の表紙を出したり、CDのジャケットを出すことが著作権侵害たりうる現状も納得しにくく、新たに「パッケージの著作物」という条項を設けて別扱いすべきです。レビューにおいては現実にそれでトラブルが起きてないため、「法改正する必要性が薄い」ってことになっているわけですが、映画でパッケージを出せないなどの支障も生じてますから、著作権の保護期間を延長することよりも、はるかにこちらの方が改正する意義がありましょう。

追記2:この補足をこちらに書いてます。

このエントリへの反応

  1. こんなの知らなかった>文化庁の「著作物理由の裁定申請の手続き」

    そうして考えると、2ちゃんねるの書き込みの著作権処理ってのは巧くやっている、って気がしますよね。その気になれば直ぐ判る(笑

  2. >こんなの知らなかった

    著作権法に則っているだけですけど、実際にはほとんど使われていない制度なので、出版関係者でも知らない人がけっこういそうです。本文に出てくるような古い図版であれば、シカトで使っているケースも多いでしょうしね。

    ネットでの使用については、法に反しているような場合でも、訴えるほどのことはないとして見逃されていたり、フェアユースとして容認されているところもあるでしょう。

    私自身、出所や名前を明示しているか、リンクしている限り、無断転載されていても腹は立たないです。しかし、それをやっておらず、あたかも自分で考え、書いているかのように処理しているものについては腹が立ち、実際に文句をつけたことがあります。

    法的にはまだ日本では確立していないにしても、実感としてフェアユースの考え方は浸透してきているってことでしょう。

    まっ、中村克、矢野穂積にとってはなんの関係もない話ですが。

  3. 「文化庁長官が定める額の補償金を著作権者のために供託」っていうのは」、既にNHKが過去の番組(アーカイブ配信)の権利処理に使用している手法です。
    中村氏は客観的に見て完全に違法行為を意図的に犯していますが、NHKは連絡が取れない等の過去の出演者等の著作権の対価(出演料とか)を供託することで、なんとか過去の知的財産の番組を使用しています。

  4. 通りすがりさま

    そうなんですか。出演料は隣接権ですけど、原作や脚本で権利者不明のものもあるんでしょうね。

    でも、NHKが放送で、「この原作者や脚本家をご存知ないですか」とやっているのを見たことがなく、放送に関しては「相当の努力」の基準がゆるかったりするんですかね。出版もそうなっているんだったら好都合です。文化庁に問い合わせてみようかな。

  5. [...] では本題。「1837/権利者不明の著作物を利用する方法」に書いたことの補足を書いておきます。 [...]