2008-12-04

お部屋1726/今時代は「ウンコ先生」から「ウンコ野郎」へ

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「ウンコ野郎問題」が勃発し、AMUS存続の危機かとも言われているわけですが、大変ベーナスな問題ですから、ここは冷静になった方がいい。

第一に、ウンコには両義性があるってことです。時に褒め言葉、時に罵倒語です。

第二に、人間には二種類いるってことです。ひとつはウンコ好き、ひとつはウンコ嫌い。

第一点。私が頻繁に使っている「ウンコ先生」は、敬称であることは論を待ちません。対して「ウンコ野郎」はまったく意味が違います。念のため、私が「ウンコ野郎」という言葉を使っていないのかどうか調べてみましたが、「黒子の部屋」では一度も使っておりません。

第二点目。我々AMSは、エルドラドの待合室で知り合ったと言われておりますように、ウンコとは切っても切れない関係にあって、ウンコを使う意味合いは自ずと限定されると見ていいでしょう。

また、自ら好んでウンコの話を延々と語る人自ら好んでウンコの鮮明な写真をブログにアップする人たちに、「ウンコ先生」「ウンコマン」「糞右翼」といった言葉を使うのは、敬意や親しみを込めているのであり、そうじゃなくとも、事実をそのまま述べているに過ぎません。

右翼ではない人間を「右翼」呼ばわりすることは時に名誉毀損になるでしょうが、明らかな右翼を「右翼」と呼んで名誉毀損になるはずがない。もしそう言われた右翼が「名誉毀損だ」なんて言い出したら、自らの存在を否定することになりましょう。

同じくアイデンティティがウンコにある人々を「ウンコ」と呼ぶのは事実を正しくとらえている呼称であり、そのことに不満があるのなら、「なぜ14分もの間ウンコの演説をして、それを公開したのか」「なぜ誰も求めていないのにウンコの写真を出したのか」、その前に、「なぜ騒ぐ必要のないウンコで騒いだのか」と追求されることになります。「好きだから」以外のどんな答えが考えられると言うのでしょうか。

以上の状況から考えても、我々がウンコという言葉を連発したのは、彼らの行動を受けてのことであり、使用する必然性があります。仮に「ウンコ野郎」「糞野郎」といった言葉を使っていてさえ、この状況を踏まえるなら、ことさらに行き過ぎた表現とは言えません。

では、宇留嶋さんを「ウンコ野郎」とする行為はどう考えられるでしょうか。

第一に「野郎」ですので、ここは罵倒の意図があると見なされてもやむを得ないのではないでしょうか。

第二に、宇留嶋さんはAMUSの中で唯一ウンコネタが好きではないことで知られてますので、その人物にあえて「ウンコ野郎」という言葉を使ったのは失礼です。

第三に、使用した時点では、まだ空前のウンコブームは起きておらず、「ともあれ、ウンコ、糞といった言葉を書かないと時代に乗り遅れる」「挨拶代わりにウンコを使用する」といった事情はありませんでした。

これらのことを考えるなら、あれとこれとは別とするのが妥当と考えます。

これから外出するのですが、とりいそぎまとめておきました。

以上。