2008-12-03

お部屋1725/瀬戸弘幸とは 6・事実の拒絶

お知らせ1:メルマガ「マツワル」の購読者募集は終了しました。次回は3月を予定しています。

お知らせ2:新刊『風俗お作法』(しょういん)が一部書店で大変好調です。お近くの書店にない場合は取り寄せするか、アマゾンでご購入ください。

お知らせ3:私も企画に関わっているDVD「嗚呼、涙のハードコアお笑い劇場」(大洋図書)が先日が発売になりました。こちらも書店流通で、アマゾンでも取り扱い中です。
 
 
 
「お部屋1724/瀬戸弘幸とは 5」のコメント欄で、もんさんがまた大変いい例を紹介してくれました。「なぜ彼らは間違いを訂正しないのか」を読み解く格好の素材であり、「自分のミスを他者に転化する特性」「攻撃により、自分の世界を守ろうとする特性」が顕著に出ています。

私以上に彼らを観察していますので、もんさんは「ズレてしまった人々」の言動に大変敏感です。私も瀬戸弘幸個人より、「そういった人々」総体に興味が移行しているので、もんさんの眼力には大いに期待してます。ぜひとも「めくるめく集団ストーカー被害者の世界にようこそ」というブログを実現してください。「そういった人々」のブログをまとめたリンク集はいくつかありますが、分類、分析までをやっている人は見かけないので、貴重なものになりそうですし、愛好家をさらに生み出すことにもなりましょう。

今回の話も、ここまでに見えてきた「そういった人々」総体に通じる傾向についてです。

「デタおた」には流派があるわけですが、おそらくどの人にも共通しているであろう考えは「自分の主観は他者に通用しない」ってことだろうと思われます。

と決めつけるとまた間違ってしまうわけですが、少なくとも私はそうです。資料屋◆bfimNvQTbさん「1670/風俗嬢Aの憂鬱」のコメント欄に 【自分がおバカだという自覚があるから妙なガセネタに飛びつかない】と書いてます。たぶん似たような意味でしょう。

自分の頭の中では解決できない問題があることをわかっているから調べる。自分の体験、自分の感覚、自分の考えだけで世の中が解釈できるんだったら、取材をしたり、計算をしたり、統計を探したりしませんて。

私は自分の頭の中だけで考えていくことも好きなので、ネットで調べることさえもわざと後回しにして、まず先に自分で考えるということをよくやるのですが、たいてい間違えます。この場合は考える過程を楽しみたいってことなので、結果が間違っていてもいいんですけど、それが事実であるかのように語ってはまずいです。

「創価学会が住民票を移動させている」と聞けば、「創価学会ならやりそう」と思ってしまう自分がいます。と同時に「やりそう」という自分の感覚だけでは他者を説得することはできないですし、その感覚自体に疑いも抱きますから、でぶちんさんはデータをとってみる資料屋◆bfimNvQTbさんは統計を探す。私はそうした方がいいと思いつつ、面倒なので、彼らが数字を出したり、統計を探してくるのを待つ(おい)。

NHKのプロデューサーが万引き容疑で逮捕されたことをきっかけに、朝木明代の万引きについての言及がまた増えてますが、「市議が万引きするはずがない」と言ってきた方々は、このプロデューサーの事件も冤罪だと主張していただきたい。本当にそうかもしれないのですし。

地位のある人物が万引きをして逮捕されたとします。その地位を考えたら、万引きという犯罪はあまりに代償が大きく、そんなことをするはずがないと思うこと自体はあっていいし、私もそう思うかもしれない。

しかし、こういう自分の感覚に頼るとあっさり間違えます。だから調べます。「現実を見てみよう」ということで、店に聞いてみる。警察に聞いてみる。警備会社に聞いてみる。

その結果、貧困のためではない万引きがいくらでもあることがわかります。生活必需品ではないものこそが盗まれているのがいい例です。今の時代に、100円のガムを買えないほど貧しい人はそうはおらず、ガムを食べないからと言って餓死するわけでもない。そういった菓子類はポケットに入れやすいってだけです。中高生がステーショナリーの類いを狙うのも同様です。

これに対して、資料屋◆bfimNvQTbさんはデータを探して、「議員・知事・課長以上の公務員」による万引きは少なくないことを明らかにしました。資料屋◆bfimNvQTbさんは、「この人が万引きをするわけがない」「市議の万引きはリスクが高すぎる」という主観とは別の視点を得たいわけです。

客観的な事実の前には、「いかにもありそう」「いかにもなさそう」という主観的な印象は簡単に吹き飛びます。その体験を経れば経るほど、他者の感覚を知識として取り込むようになると同時に、自分の感覚はどこまでも信用ならないことを知ります。

自分の感覚で語れるのは自分の行動だけ。というのも怪しくて、実のところ、自分自身のことだって、正確に把握できているわけではありません。

私は「自分観察」と呼んでますが、「オレはこういう行動をとっている」と思っている自分を疑って、本当にそうしているのかどうかをよく調べます。「自分を観察する視点」を設定するわけです。そのことによって、わかっていない自分がわかってきます。

ちょっと前に「マツワル」で、「人は服をどのように着分けているのか」という話を書いていて(これ自体が目的ではなく、「都市空間の変質」というテーマが背後にあるのですが)、「寝間着」「部屋着」「普段着」「外出着」と大雑把に服を分類して、片っ端から話を聞いて回りました。すでに調査があればそれを使いますが、こんな調査はどこにもなさそうなので、自分で調べるしかない。こういうことを調べるのは、それ自体、面白いですし。

この時も想像を超える人が出てきました。寝ている時に着ているジャージで新宿伊勢丹に買い物に行ける人とか。だらしのないタイプだったらともかく、普段は上から下までスキなくキメている営業ウーマンです。だらしのない私でも、これは無理です。

こういう調査は非常に難しくて、日常に組み込まれているため、改めて考えることがない。いちいち考えることがないため、「印象と現実」の間にズレが生じやすい。こういうものを言語化していく作業が私は好きなのであります。当然、このテーマにおいても、私は「自分観察」を実行しており、そのことで見えてきたことがあります。

もちろん、すべての事象について、このような調査をすることは不可能ですから、自分の体験や勘に基づく推測を語ることは多々あるわけですが、それはそういうものでしかないこととして提出すべきです。

ところが、時に人は主観から抜け出ない見方をも「客観」と言いたがります。万引きであれば、「客観的に見て、市議が万引きするはずがない」という言い方をする人たちがいる。それは主観だってば。

データを過信することもまた危険ですが、少なくとも自分の「今ここにいる自分」が感じていることのみを根拠に語ろうとすることに比べればミスははるかに少ない。

「万引きがでっち上げであって欲しい」と願う人は、そういった事実を見ないまま、「朝木明代が万引きしたわけではない」と主張し、その根拠が「市議は万引きしない」ということだったのですから、それが否定されたのであれば、「万引きしたかも」となってしかるべきですが、そうはならない。「万引きがでっち上げであって欲しい」という願望に沿って、それらしき点を探してきているだけのことで、事実を知りたいわけではないからです。

「この死が他殺であって欲しい」という主観的な願望を事実かのように語り出す人たちは、客観的な事実を無視する。伊丹十三のように遺書のある自殺でも、他殺にしていく。「朝木明代は遺書がないから他殺だ」というのであれば、遺書があった伊丹十三は他殺ではないでしょうに。ご都合主義です(実際にどうだったのか私は知らないです。ここでは論理の破綻を問題にしています)。

乙骨正生は、履いていた靴が見つかっていないことのおかしさを強調するために、事務所から駅前までの道が【人通りが少なくない】と言ってしまってます。裸足でいることが不自然なくらいに人通りがあるところで、拉致して転落させることはさらに不自然であることにどうしてこの人は気づかないのでしょうか。

創価学会を叩き、食い扶持を確保するために、「朝木明代は殺されていて欲しい」と願う卑しさのみで行動していると断じてかまうまい。

彼らにとって客観的事実はむしろ邪魔です。だから調べない。「オレ様ワールド」の住民は、なにより自分が基準ですから、統計がどうであろうが、他人がどうであろうが、「オレ様が確信している」という「絶対的な事実」があれば生きていけます。

このような傾向については、以前紹介した古牧和都著『集団ストーカー 盗聴発見業者が見た真実』(晋遊舎)やこの著者がやっているサイト「集団ストーカーの歴史と分析」が参考になります。

カメラを設置することで、そんな工作員はいないことがはっきりすれば、「ズレてない人」は「勘違いだったのか」で終わります。ところが、「ズレてしまった人」は、これ以降、カメラを設置することを拒絶するのです。

今は安い防犯カメラがありますから、それを設置すれば、ウンコの正体はすぐにわかるはずです。あるいは宣言通りに検査機関に出せばいいだけなのに、それをやらずに次々とウンコされ続けている人も、事実を知りたいわけではなく、「オレ様ワールド」を守りたいだけなのでしょう。こうすることによってこそ、世間一般の見方で言えば、この人の「オレ様ワールド」はすでに崩壊して、すでに「お笑いワールド」に突入です。このまま末永くウンコをされ続けて欲しいです。

瀬戸弘幸に限らず、西村修平に限らず、彼らを支持する人たちには、事実やデータから論じるタイプがほとんどいない。資料屋◆bfimNvQTbさんが統計を見つけてきて以降も、まだ「市議が万引きするわけがない」なんてコメントを書いている人がいます。

「議員・知事・課長以上の公務員」に該当する人の数を割り出して、それを母数とした時の万引き率と、他のグループとの率を比較して、「そういう例があるにしても、率から見た時はこんなに少ないのだから、朝木明代が万引きした可能性は限りなく低い」なんて反論も可能なはずなんですけどね。そうしてくれれば、その数値をこっちは再度検討することができますが、乏しい体験と取るに足らない個人の感覚のみを根拠に語られたって、議論をしようがない。

おそらくこの特性につながるものとして、「朝木明代は殺害された」と主張する人たちに共通する決定的な欠陥があります。それどころか、この欠陥は国を超えて共通するようです。次回、それを見ていきます。

このエントリへの反応

  1. はじめてお邪魔します。

    本文を読む前に、お部屋の回数が突然5桁になっていたので、一応つっこんでおきます。

    これから内容を読みますが、ウンコネタも今後、期待してますよ。

  2. 初めてでしたっけ。そんな気がしないです。

    5桁になったのは、我々の仲間うちで、時々5桁にするという約束があるのです。私が間違ったように見えるのもやむを得ないかもしれないですが、正直気分が悪いです。私はこう見えても、大変ベーナスなのです。気分が悪いので、直しました。

    「なまえ」方式でした。

  3. てっきり創価の陰謀で、松沢さんも電磁波攻撃の内容を綴るようにななるのかと。

    ご自分では気づいていないだけで、次は「寝首を取るぞ」という脅迫かもしれないので、くれぐれもお気をつけください。

  4. その可能性は考えてませんでした。敵は何をしてくるかわかりませんからね。

    さっきも高濃度ホスゲンが風呂場の窓から噴射され
    スーパーに行けばレジの女はわざと釣りを間違え
    商店街で近所の小学生の仄めかし
    半島人日教組教師の命令に違いなく
    創価工作員の暗殺テロはひっきりなし
    ありとあらゆる場所で強烈な電磁波に日々襲われながら
    ウンコ先生に関する文章を書いているのです

    あの人たちの文体を真似するのは意外に難しいです。

  5. はじめまして。
    私はせとさんのコメント欄によく書き込みしてますが、最近は書き込んだ後、「結局は主観の押し付け合いか。。」と正直ベーナスになるコトが多くなっていましたので、今回の記事は興味深く読まさせていただきました。
    自分もああいう場では、なるだけ主観的に語るのは辞めようと努力しますが、なかなかうまくいってないのが現状です。
    過去に自分のカキコを再読すると、相手の主観にやはり主観で応戦しているのを見つけたりしますので、かなり落ち込んだりしています。

  6. >TINさま

    はじめまして。ベーナスな人にとって、議論はとても消耗しますよね。

    もちろん、主観から完全に逃れることはできるはずがないのですが、議論の時こそ、第三者が検証できる事実の提示をしていかなければならないのでしょう。