2008-10-11

お部屋1676/水戸黄門の正体

今回は次回以降のための再確認ですので、ここまでずっと読んできた方は飛ばしていいです。
 
 
ミハルさんも先日書いてましたし、橋本玉泉さんも例の「内部告発」なるものについて言及してます。だいたい話は出尽くしたようなので、当然、話はここに帰結していきます。橋本さんはどこまでもこのことを瀬戸弘幸に問い続けるでしょう。もちろん、それ以外の多くの人たちも問い続けます。「与太話はもういい。内部告発の話はどうした。おまえは真実を闇に葬るつもりか」と。

もちろん、支持者たちだって、「親分、これ以上、レッテル貼りだけで対抗するのは無理です。これでは反論ひとつできない無能なアホになってしまいます。早く新事実を公開してくだせえ」と心から願っていることでしょう。引退前に、やることやった方がよろしいですよ。

繰り返しになりますが、もう一度振り返ってみましょう。

お二人が引用していた7月30日付け「日本よ何処へ」のエントリー「朝木明代さん不審死事件」をもう一度皆さん読んでみてください。

ここで瀬戸弘幸が言っているのは「調査なんてことはしていない。関係者にも会っていない。しかし、私にはこれがあるのだ、どうだまいったか」ということです。水戸黄門かと。

「ある情報を公開するための条件とは何か」については橋本さんがすでに書き始めてますが、橋本さんが書いているのは、あくまで「今回のケース」の話です。

実際には、内容によりけり、状況によりけりではあります。「マツワル」では、毎週一回、読者のメールを紹介する「まつわる便り」と題した号を配信していまして、それ以外でも、読者からの情報をよく取り上げています。私は提灯や石灯籠、暖簾の鑑賞が趣味ですから、読者からも「ここにこんな提灯がありました」といった情報が届きます。こういう情報の裏はとらずに掲載してます。「それは珍しい」というので、見に行くことはあるとしても。

あるいは風俗ライター時代は、風俗嬢から「あの店にこんなひどいことをされた」との情報をもらったり、客から「どこそこの店でボッタクられた」なんて情報をもらうことも多かったものですが、こういう場合はさすがにそのままは出せないです。本人の思い込みにすぎないケースも多いため、聞ける場合は状況を詳しく聞きます。その結果、「それは無断欠勤したおめえが悪いべ」「それをボッタクリとは言わないべ」ってことになったりもします。人から見れば「たかが風俗店」という話であっても、具体的な店名を出す場合は慎重にならざるを得ず、店に問い合わせをしたこともありますし、確認せずに出すとしたら、店名は伏せます。

まして、「殺人事件である」なんて話であれば、さらにはその犯人までも特定するのであれば、裏をとる作業は必須です。ところが、瀬戸弘幸はその作業をやっていないことを宣言しているに等しい。なぜか胸を張って。

その作業を省略していいと本人が思い込んでいる根拠は「内部告発」という印籠です。であるならば、「オッサンさ、その印籠はドンキホーテで買った100円のオモチャじゃねえの?」と疑うのは当然です。

そこで私は「1613/気分転換に改名でも」で、こう書きました。

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せと弘幸という人物が、検察庁に朝木明代死亡について再捜査の要望書を出したそうですね。

(略)

その根拠は「現職警察官」からの内部告発とのこと。(略)

ことによると、誰かが「私は現職の警察官だ」と称してメールしたか、手紙を送っただけなのでは? つまりはガセ情報なのでは?

もちろん、どこの誰かを公開するわけにはいかないでしょうが、例えばこれが雑誌であれば、警察官であるのかどうかの確認をするってものです。

会うことや警察官であることの確認を相手が拒んだ場合は疑問符がつきます。私であればガセであろうと判断して無視します。こんな情報に乗ったら、あとで恥をかきますので。

【100%の確信】とまで書くからには、当然その作業をやっているはずです。どのように警察官であることを確認したのかが公開されたら改めて検討するとして、それまでは放置することにします。

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これを書いたのは8月6日のことです。つまり、「朝木明代さん不審死事件」が出て一週間後のことです。

「現状では相手にする価値なし」と私は判断していて、もしこの段階で「ミスった」と気づいて撤退していたなら、それ以上、私はとやかく言うことはなく、金輪際、瀬戸弘幸の名前を出すことさえなかったかもしれない。事実、8月中は、瀬戸弘幸の名前を数えるほどしか出していません。ここまでは、瀬戸弘幸にとって、何もなかったようにスルーする選択もありだったかもしれない。

しかし、9月1日、「洋品店襲撃事件」があったため、このまま放置するわけにはいかないと判断。あんなことを繰り返されてはたまったものではないですし、ガセと疑うしかない情報を信じている人がいるのなら、「おめえら、ないならないなりに、頭ってもんを使ったらどうだ」と叱っておく必要があるでしょう。

信じるヤツらもどうかしているとは言え、あのような行動を起こした人たちがいたのは、「内部告発」なるものを信じたためだったでしょうから、瀬戸弘幸には印籠について改めて問うしかない。水戸黄門の印籠が本物だと思いこんでいる助さん、格さんの狼藉の責任は黄門様にもあるに決まっています。

そこで9月3日、「1643/自称『ジャーナリスト』に問う」で、改めてこう書きました。

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「どこの署のどこの部署に勤務しているのか」「なんという名前か」「どんな顔立ちで、どんな背格好か」などを公開しろと言っているのではなく、「どのように確認したのか」を知りたい。それどころか、確認するという作業を省くこの「ジャーナリスト」には、「確認をしたのか」から聞くべきでしょう。YESかNOかの話です。

(略)

私は今なお、せと弘幸のもとに現役警察官と名乗る人物が「情報提供」をしたこと自体を疑ってはいません。現役警察官であることと、その情報の信憑性については、ものすごーく疑ってますが、なんらかのコンタクトはあったのでしょう。

「草の根」はウソをつく、騙す、裏切る、踏み倒すということが平気でできる人たちだと私は思っていますが、「ジャーナリスト」せと弘幸はそうではないとギリギリ思えている。

それを前提に、もう一回、問いたい。警察官であることの確認をしたのか。したのであれば、どのような方法で確認したのか。

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しかし、これ以降も、なんらこれについての説明はなく、「直子ちゃん依存」と思われる状態が続き、今に至っています。

これが経緯です。これだけで終わるのは申し訳ないので、もう少し書いておきましょう。

本人が当初から宣言しているように、また、それ以降の展開を見てもおわかりのように、瀬戸弘幸は資料に目を通すことも、関係者に話を聞くこともしていなかったわけです。『東村山の闇』くらいは読んでいたかもしれないですが、あれを読んで少しも疑いを抱かなかったのであれば、これまた「どうかしている」って話だろうと思います。

橋本さんが東村山の問題を知った当初、「人権派にありがちな性的潔癖性」だと感じたのと同様、私もまた「セクハラ捏造事件は困ったものだが、朝木明代の死については、耳を傾ける価値があるかもしれない」と思っていました。私の知人の中にも、「彼らの創価学会批判は正しい。しかし、セクハラ事件は批判する」という立場の人がいました。

だからこそ、すぐに私は『東村山の闇』を読み始めてます。「それはそれ、これはこれ」という話ですから、この時点では、「草の根」の言っていることのすべてを疑うなんてことはなかったにもかかわらず、一読して「こりゃダメだ」と判断。こんなことを主張する人たちと、ありもしないセクハラを騒ぎ立てる人たちの言動は一貫しているのだと気づきます。

『東村山の闇』という本に見られる「草の根」の思考に欠落しているのは何か、あの本を鵜呑みにしている人たちに欠落しているのは何かについては、また改めてまとめますが、資料も調べず、関係者の話も聞かずに、団体の具体的な名前を出して、殺人犯扱いをした段階で、瀬戸弘幸は「ガセ・ジャーナリスト」「デマ・ジャーナリスト」という非難を浴びせられるべきです(一般的に言えば、そもそもジャーナリストなんかではないのですから、ここでわざわざ「ジャーナリスト」という名称を使ってあげる必要はないでしょう。「ガセ野郎」「デマ野郎」で十分)。

この辺の「物書きの責任」という話は橋本さんにお任せするとしますが、こちら側としては、念のため、「内部告発とは何なのか」を知っておきたい。また、「内部告発」とは別に、「洋品店襲撃事件」の責任を追求することも必要です。

さらに私は「こんなことを言い出す人が、どんな人なのか」を知りたくなってきました。「朝木明代殺害説」を信じる人たちの特性を見る格好のサンプルですので。

その結果、資料に目を通していなかったこと、いまなお目を通していないことはまず間違いがないと判断できるだけのデータは揃いましたし、「内部告発」がガセである可能性はいよいよ強まってきています。もちろん、この人がどんな人かも十二分にわかりました。

「取材しない、調べない、考えない」のは東村山の問題に限ったことではない。雑誌や新聞、ネットの文章をテキトーにつなぎ合わせ、パクってきた写真をそこに添え、自分のオリジナルの部分は、根拠も論理もない飛躍ばかり。どこかから聞いた話をすぐに鵜呑みにして、「放射能入りスーツ」と騒ぎ、「××は在日」などと騒ぐ。

これまでこんなことが通用したのは、まともに相手にする人が少なかったためでしょう。shinok30さんのように的確に批判する人がいても、「工作員」とのレッテルを貼って耳を塞ぐ。つまりは最初から通用していないものを通用しているかのように見せかけ、それを信じた一部の人たちがいただけだったわけです。

しかし、今回ばかりは、そうはいきませんでした。ことによると、瀬戸弘幸にとっては、自分の言論が一般の基準に照らして、いかにデタラメであるのか、いかに杜撰で唾棄すべきものであるのかが徹底的に検証された初めての体験だったのではないか。つまり、「信者」以外の多数の人たちに初めてその言葉を聞いてもらえたのではないか。よかったですね。まだまだ幸福な体験は続きますよ。

ずっと「1+1は5である」「自分たちを批判するのは在日か創価学会である」「極微量のカリウムが体に入っても大変なことになる」「ガンになってもゼリーがあるから大丈夫」「グーの根も出ない」とデキの悪い生徒たちに教えてきたのに、公開の場でやっていた「私的教室」に常識ある人たち、理性ある人たちが入ってきて、全部デタラメだったことがバレてしまいました。だから、家から出なければよかったのに。

来週月曜日から始まる「水戸黄門」第39部のスタッフは、これを参考にして、水戸黄門だったと言い張っていたオッサンが実はドンキホーテで買った印籠を使って無知蒙昧な庶民を騙して金を集めていたという話をやるといいと思うな。

人生楽ありゃグーもあるさ。

このエントリへの反応

  1. [...] 間があいてしまいましたが、「1676/水戸黄門の正体」の続きです。 [...]