2008-06-26

お部屋1555/出版界崩壊は止められないがために 5

そもそもどうして、小学館において、こうも漫画家と編集者の関係がいびつになっている(ように思われる)のでありましょうか(他もそうなのかもしれないし、あるいは小学館の一部でしかなく、会社全体の問題として語るのは適切なのではないのかもしれないのですが)。

ここからは私なりのかなり特殊な見方が入ってきます。見方は特殊でも、そう大きくは外れていないのではなかろうか。

最近漫画を全く読まないので、どんな人か全然知らないですが、新條まゆさんという漫画家が読ませる長文を書いてます

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例えば、新條を育ててくれた口の悪い編集者がいるのですが
新條が新人の頃その人に、ネームを床にばらまかれ、
「こんな漫画じゃ商売にならないんだよ!」
と足で踏みつぶされました。
「お前はウジ虫みたいな漫画家なんだから、
ウジ虫はウジ虫なりにない知恵しぼって漫画描け!」
とも言われました。
「お前はどう努力しても連載作家にはなれない」
と言われて、なんの才能もないけれど、努力だけは自信があった、
でもその努力すらダメなのかと絶望して、泣いたこともありました。
でも、誰よりも新條の漫画をかってくれて、時には編集長とケンカをし
時には出世払いしろとおいしいお店に連れて行ってくれたりもしました。
なので、そんな罵倒もダメ出しも当時はなにくそ!とがんばれたし
また、その言葉の一つ一つに作家への愛情を感じとることも出来ました。
それは強固な信頼につながりました。
今ではそれらのエピソードは笑い話のネタにもなっているくらいです。
それらはすべて信頼関係があってこそ。

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マゾの告白文かと思いました。

女王様たちはよく「不条理ツッコミ」をやります。ムチをうっかり落とした時に、「何やってんだよ、このブタが」とM男にツッコミを入れ、脇腹を蹴り上げます。定番の責めです。

普通だったら、「なんだよ、自分で落としておいて」と反論するところですが、M男さんたちはこれで諦めます。この人には何を言っても無駄なのだと。この部屋の中では筋は通らないのだと。

こうして諦めて、絶対的な権力者に帰依した瞬間に、日頃抑え込んできたものが解放されるのですね。ここから、悦楽の時が待っています。

猿回しでも、小猿を一度ひどい目に遭わせるらしい。これをやることで、絶対服従を教え込みます。これが動物虐待だと非難されたりもするのですが、これを経ることで信頼関係が生じ、親方のために辛い練習も耐えます。

本当は信頼関係ではなく、隷属関係に過ぎないかもしれないですが、いざという時は守ってくれますし、困った時は助けてくれます。辛抱すれば褒めてくれ、最後は聖水もいただけます。アメとムチです。

そういう意味では、ここにあるような編集者のプレイも意味のないことではないのだろうと思えます。事実、彼女は「すべて信頼関係があってこそ」「強固な信頼につながりました」と彼女は感じてます。

おそらく長年の知恵の蓄積がここにはあって、編集者の言いなりの漫画マシーンを作り出すためには、ともかく「怒鳴れ」「バカにしろ」「プライドをズタズタにしろ」「甘やかすな」という教えが、時に言葉にして、時には言葉になされないままに伝達されているんだと思います。そうすることで、その漫画家の能力を最大限引き出すこともできる。

漫画家側がこれに耐えてきたのは、アメがあったからこそです。そのアメは、自分の能力が引き出されること、それによって名声が得られることだったかもしれない。この仕打ちを耐えれば家が買えると思えば我慢もするってことだったかもしれない。

あるいは、言っていることがいちいち納得できるくらいに、相手が自分を理解しているとわかれば、厳しい言葉を受け入れるしかない。

女王様たちも常に「不条理ツッコミ」をするわけではなく、相手の特性を見抜いて、的確な言葉を繰り出すものです。全体の構成を考えて、Mの緊張を解きほぐしつつ、欲望をも叶える。

優れた女王様のケアの細やかさには感心するものです。どれだけ剛胆に見えても、同時にこの細やかさや懐の深さを兼ね備えていないと、いい女王様にはなれない。

こういう関係がかつては出版界でも成立していたのでしょう。ところが、どこかからアメを与える余裕が出版界にはなくなってしまいました。相手の特性を一人一人見抜いた上での指摘をする余裕はない。そうなると、単なる虐待です。女王様たちは、よく「愛情がなければ単なる暴力」「信頼関係がなければ単なる犯罪」と言ってます。

それが今の小学館なのかもしれない。

続く。