2008-05-21

お部屋1510/あれやこれやの表現規制 5-6

祭でもイベントでもデモでも、ルール徹底や取材の把握のため、事前申請を受けつけることがあります。通常はそのルールに従った方が情報を得られ、腕章を得られるなどのメリットがあるため、私も申請を出すことはありますが、その時の申請内容と、発表媒体、発表内容とは必ずしも合致しません。

取材の段階では、どこに出すのか決まっていなかったり、変更することがあるためです。内容もまたしかりで、いざ取材してみないと、どのように出すかの内容までは確定できない(これは「期待権」の問題にも関わってきます)。

また、私が撮るのはもっぱら資料写真なので、ルールに縛られることを避けるために、申請を出さずに、一般の人に交じって撮影をすることもあります。果たしてこれが非難されるべきかどうか。

長野の聖火リレーはどうだったのかを聞いてみたのですが、この時は、実行委員会に取材申し込みをすることになっていて、原則として取材陣は申請を出しているとのこと。

私は申請を出していませんが、写真をインターネットで公開しています。なおかつ、これを雑誌に使用したところで、法的な措置はとれないでしょう。

つまり、実行委員会に取材申請を出すことに、法的拘束力はないと言うべきです。もしこれに拘束力があるとするなら、申請を出さずに、ネットで聖火リレー関連の写真を出している人たちはすべて「無許可で撮影していた!!」と非難されなければならない。

ただし、善光寺については、名称や建物について商標登録をしているため、商業利用は無断でできません。おそらくあらゆる利用の登録をしているのでしょうから、絵葉書、写真集、カレンダー、カード、煎餅、ペナントの類は無断で作れないわけです。しかし、これも報道を拘束するものではありません。

コンサートの場合は肖像権を理由に撮影を禁じることが可能です。また、ディズニーランドでは、建物の著作権を理由に撮影を禁止することが可能です。正確には「公表を禁止することができる」ですが、そもそも誰でもが自由に入れる場所ではないですから、それらを住居侵入として排除することができるということになりましょう。

しかし、靖国神社は、原則、誰でもが入れることになっている場所であり、税金の優遇を受けている宗教法人の敷地です。なおかつ、「靖国 YASUKINI」では堂々と撮影をしていたのですから、そこで注意することが可能です。許可をまったくとらないで撮影したとしても、非難されるべきではないと考えます。

たしかに靖国神社は厳しい撮影規則を定めています。しかし、これだけで他者を拘束できるものではない。

靖国神社は、リンクについても許諾をとるよう求めていますが、これは「お願い」にすぎず、他者を拘束できるものではありません。無断リンクを法的に罰することなどできるはずがない。撮影もこれと同じかと思われます。

「靖国 YASUKUNI」において、靖国神社の許可を得ていなかったことをああも騒ぎ立てた有村議員は、一体何を問題にしていたのでしょうか。

「法的なことを問題にしているのではない」と言うのであれば、「礼儀の問題を国会でわざわざ税金を使って取りあげるべきではない」と言うしかない。あるいは助成金を出す条件に「撮影の際は礼儀を守ること」という一文でもあるのか?

一宗教法人がモラルのレベルで抗議をすることもあっていいでしょうが、靖国神社にとって無断で撮影することがそうも問題なら注意をすればよかっただけです。どう見ても、あれだけの時間、境内で撮影していたら気づかないはずもない。もし注意していなかったのであれば、容認していたと言われてもやむを得ない。

「第1章/肖像権」もしかりですし、「第3章/セクハラ」「第6章/期待権」でもそういう話がこのあと出てきますが、「その場で注意すればいい」「その場で拒否すればいい」という話でしかないものを、あとになって権利意識を肥大させて違法であるかのように主張する人たちがどうも増えているような気がしてなりません。

ちょうど「マツワル」でも、これにリンクする話を書いているのですが、我々人間は意思表示ができる存在、拒否ができる存在であることを忘れてしまっているのではなかろうか。そういう人たちこそが、表現を軽視し、規制することに抵抗がないのだと思えてなりません。

それを国会で問題にするなよ。他にやることないのか、国会議員。

ついでに次回もうひとつの「事件」を見ていきます。