2008-04-17

お部屋1459/あれやこれやの表現規制 10

顔をアップにする必要までないでしょうから、デモ隊の写真は、デモはデモであることが感得できる程度のフレームであるべきであり、その限りにおいて、肖像権の主張はできない。具体的には、全身が、かつ複数の人間が入っていることが条件となりましょうか。動画の場合は、動きの中でさらに大きく写ってしまうことはありましょうけど。

とはいえ、これもケースバイケースで、ゲイパレードのように、メイクをしたり、女装をしたり、音楽に合わせて踊ったり、ポーズをとったり、ウインクするなどして、デモ全体でひとつの表現が成立すると同時に、その中でも個人としての表現をしている場合は個人だけをよく見せる必然性も生じますから、アップで撮ったところでかまわないでしょう。ドラァグクィーンの場合、すでに変装済みとも言えますし。

では、具体的にデモの写真を見ていただきます。1432回「土曜日の元麻布」の写真です。

横向き、後ろ向きばかりですね。これは私の性格を表現してます。ウソです。

自分が出した写真を再度検討することになるとは考えてもみなかったので、普段の私なりの判断が反映されている写真です。

実際には、正面から撮ったものもあって、警察と小競り合いになっているところでは、バストアップくらいのサイズで、顔がはっきり写っている写真もあります。

特にマイクをもって積極的な行動をしているような人物は、顔を晒す覚悟はあるのだろうとは思うのですが、これを出すことによって、大学生が左翼の教授にいじめられたり、サラリーマンが親中国の上司にいやがらせされては寝覚めが悪い。

在日チベット人たちの抗議も正面から撮っているのですが、いくらサングラスやマスクで顔を隠しているとは言え、中国政府に目をつけられたらまずかろうと思って、こちらも出すのをやめました(遠景だし、ピンがボケているとは言えども)。人権に敏感ですから、私。

2点目の写真の左側に日本か中国の公安らしき男が写ってますが、公務中ですから配慮の必要はないです。

以上は個人的な配慮にすぎず、肖像権上は、この写真程度の距離であれば、顔が出ていても問題にはならないでしょう。デモですし、それを伝えることには公益性があります。特に右派の抗議活動はほとんど報じられてないですから、あえて出す意味もあるってものです。

その上、この日は多数の取材者が来ていて、そのことを認識できないはずはない。顔を隠している人たちもいるように、中国大使館周辺では隊列から外れる、顔を隠す、撮影されることを言葉や身振りで示すことは可能です。それをしなかったことで、「黙示の承認」が成立していると推測できます。

私自身、デモに出ているところがテレビに映されたことがあるらしいのですが、なんらかのデメリットが生じたとしても覚悟の上であって、そんなことでとやかくは言いません。いやしくも、メディアに関わる人間が、そんなことを騒ぎ立てたら笑い者になるだけでしょう。

以上をまとめると、「公共性、公開性の強い場での撮影であること」「その写真や映像を公開することに公益性があること」「撮影の許諾をとりにくいこと」「風景の中に写り込んでいること」「被写体があえて人目につく行動をしていること」「被写体が撮影されていることをわかりながら、それを避けなかったこと」「やむを得ない事情があること」といった条件のもとでは(この全部を満たさなければならないというのでなく)、肖像権の行使は制限されるべきであり、それによって不利益を受けたところで、法による救済は無理とすべきです。

言うまでもなく、「靖国 YASUKUNI」における靖国神社境内の撮影もこれらに該当します。

まだまだ続く。

このエントリへの反応

  1. 【産経抄】4月13日
     映画「靖国 YASUKUNI」がまた物議をかもしている。作品の中心的登場人物である高知県の刀匠が「自分の出演場面と名前を削ってほしい」と訴えているのだ。出演者が映画の趣旨を認めないというわけで、もう上映云々以前の問題だ。
     ▼映画は靖国神社をめぐるドキュメンタリーである。中にかつて軍人に贈る「靖国刀」を作った刀匠、刈谷直治さん(90)が登場する。その刈谷さんが国会での質問のため電話をかけてきた有村治子参院議員に、出演場面のカットを希望したという。
     ▼有村さんがこの発言を国会で紹介すると、映画を制作した李纓監督は記者会見で「刈谷さんは了承している。作品が成立しないよう働きかけられたとしか受け取れない」と反論した。まるで有村議員の「圧力」で変心したかのようだった。真に受けた一部のマスコミは「議員が圧力か」と騒いだ。
     ▼ところが産経新聞などが刈谷さんに直接取材すると、刀匠自身が削除を訴えていることを認めた。しかも1年も前に試写を見て「出演依頼のさいの趣旨と内容が違う」と、李監督に制作のやり直しを求めていたという。「利用された感じがする」とまで語っている。
     ▼「言った」「言わない」といった行き違いはよく起きる。だが、それならもう一度よく話し合うべきで「圧力のせい」などと逃げてはならない。「靖国」のようなナイーブなテーマであれば、出演者のきちんとした了承を得るのは制作者のイロハだろう。
     ▼この映画が上映中止の騒ぎを起こしたときにも、さも政治家の圧力のせいであるかのような報道があった。今回も「圧力」が独り歩きしそうだった。根底にあるのは何でも権力者を「悪者」にしておけばすむという戦後文化のさもしさである。

    以上、肖像権という以前に、いかにこれを書いた記者が、「映画」という文化を知らないか、と思わされます。<戦後文化のさもしさである。>って、あんた戦中派かよ、という突っ込みはさておき、唐突に今村昌平の『人間蒸発』を思い出しました。
    確か、あれは隠し撮りでも何でもやってましたよね。DVDの広告を見ると、キャストに露口茂と並んで、早川佳江.早川サヨと「出演者」の名前が書いてありますが、あれは、本名なんでしたっけ?映画の中でも出身地が「吉倉市」とか微妙に架空になってたりしましたが?

  2. 戦後間もなく、NHKのラジオ番組「街頭録音」という番組が話題になったそうですが、これって隠し録りをやっているんですよね。この番組で有楽町のパンパン「ラク町のお時」が脚光を浴びるのですが、これも隠し録り。本人は食堂でメシを食べている時にたまたま聞いて驚いたという話を語ってます。

    「人間蒸発」はあとで許諾をとっているんじゃなかったでしたっけ? 他に許諾をとっていないために、DVD化ができないものがあったように思います。それでも上映はされていたりするので、二次使用ができないだけで、上映は問題がないってことではなかろうか。

    だから、今の時代にも許されるってわけではないですが、今だって、十分な説明なしに撮っている映画やテレビ番組はいくらでもあって、どうして産経の人たちは、映像関係者に電話一本入れて話を聞かないのですかね。聞いたら「靖国」を叩けなくなるからか。

    どこまで合意が必要かについては、再来週くらいから論じます。