2007-08-15

お部屋1313/今日のマツワル44

「マツワル」の転載ではないものが続いて、「黒子の部屋」がやたらと充実してしまってます。繰り返しておきますが、現在の「黒子の部屋」は有料メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」の導入の場みたいなもんでありまして、通常は多くて1回程度、少ない時は月に1回程度の更新です。

「東村山セクハラ捏造」シリーズだけは、多めに転載しようと思ってはいますけど、全部転載するのは面倒なので、今後も重要な回のみ転載します。以下はさきほど配信したものです。

< <<<<<<<<<マッツ・ザ・ワールド 第1593号>>>>>>>>>>

< 東村山セクハラ捏造事件19>

地元では「矢野穂積はそうではないことをわかっているが、朝木直子は本当に母親が殺されたと信じている」との見方があることを紹介しましたが、この説はどうも怪しいように思います。

もし自殺したとあらば、自分にも責任が生じますから、「殺されていて欲しい」との願望から、現実が見えなくなっている可能性もなくはないでしょうが、以下の文章を見ると、朝木直子も「全部わかっているだろ」と思わないではいられません。

ちょっと前に「東村山市民新聞」のサイトに出された朝木直子の文章です。

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 戦後、政治浄化、議員報酬お手盛り引き上げ反対と引き上げ分積立て、そして公娼制度廃止や売春防止法制定実現のために渾身の努力を続けた市川房枝さんの考えを受け継ぎ、母・朝木明代は活動を続けましたが、現職議員でありながら無念にも殺害されました。
  私も母の殺害事件の真相究明、犯人検挙のための活動と同時に、遺志を受け継ぎ、市川房枝さんの考えを否定し女性の地位向上の歴史の流れに逆行する女性の人権・尊厳否定のソープ等「性風俗(実態が売春)」を肯定する動きに対して断固斗うことを宣言するとともに、買春側の男性をも処罰対象とするスェーデン法と同様の規定を追加するよう売春防止法改正を強く求めます。(朝木直子)

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なんで矢野穂積と当の直子に追い込まれて自殺したとしか思えない母親のことを今になって持ち出して、改めて「殺害された」と強調しているのでありましょう。こう強弁することで危機を乗り越えることができた1995年を再現しようということなのでしょうか。

だとすると、その死は利用価値があることをわかっていて、とことん利用してきたし、今後も利用するつもりってことを宣言したとしか私には思えません。でも、もう誰もついてきませんよ。

宇留嶋瑞郎著『民主主義汚染』が指摘するように、「朝木明代は創価学会に殺された」との飛躍的した話をバックアップしたのは、時の自民党だったとの説を私も支持せざるを得なくなってきているのですが、今となっては自民党も矢野・朝木のデマを利用する意味がありません。この先も、自民党と公明党の蜜月が続く保証はないですけど。

相も変わらず矢野の言いなりになって、朝木直子はこんなものを書いただけかもしれませんが、大の大人なんだから、こんな話が通用するのかどうか少しは考えてはどうなのでしょう。

そもそもの発端に話を戻すと、彼らが主張していたのは、薄井議員の過去の、なおかつ見ようとしなければ見られないアダルトサイトでの発言が「セクハラ」だってことです。

性風俗を肯定するのかどうか、そこに違法性があるのかどうかは、「セクハラか否か」とはなんの関係もありません。関係があると言うのであれば、どこがどうして関係するのかどうぞ説明していただきたい。「発言内容に違法性があればセクハラである」なんて定義がこの世の中のどこにあるんでしょうね。

彼らが言っていたのは、違法性があるかないかを問わず、「セクハラ」だってことでしょうが。母親や市川房枝を持ち出す前に、その立証をやってはどうなのか、できるもんなら。

つまりは、自分らが言いだした「セクハラ」なんてものが成立する余地はまったくなく、私が当初から言っていたように「捏造」でしかないことを彼ら自身すでにわかっている。「他者を貶める」という目的がまずあって、そこに利用できそうだから、「セクハラ」を持ち込んだ拙速さが招いたミスであることを認めて次の論点を持ち出せばいいのに、自分らの誤りを認めることができない小心者たちは、論点をズラすことで、誤りをごまかそうとします。彼らのいつもの薄汚れたやり口です。

しかし、所詮は付け焼き刃の知識ですから、何を言っても論破されているのは「頑張れ薄井」掲示板を見ての通りです。ああ、恥ずかしい、よく生きているな(またも殺害予告か)。

朝木直子のこの一文も本来の議論とは無関係であり、無関係だからこそ、「ミスをごまかすために、ここで母親が殺された話でも出しておくか」との思いが透けて見えます。

その上、内容はいつもの如く笑止です。これについての批判を「頑張れ薄井」掲示板に書いたつもりだったのですが、見当たらないです。アップするのに失敗したかもしれない。では、ここで改めてこの一文のおかしさを念入りに書いておくとしましょう。

戦後、市川房枝が公娼制度廃止のために渾身の努力を続けた事実なんてないでしょう。私の記憶では、敗戦から間もなく、GHQが矯風会に面会に来た、あるいは矯風会がGHQに呼ばれた事実はあったかと思いますが、市川房枝が敗戦から公娼制度廃止までのわずか数ヶ月間に、この件について【渾身の努力をした】なんて話は初耳です。

もちろん、私とて、市川房枝の行動を完全に把握しているはずがないのですが、市川房枝に限らず、食うや食わずのこの時期に、そんなことをやっていた日本人がいたとは思えない。

GHQが公娼制度廃止の覚書を出したのは昭和21年1月21日です。その前の1月12日に警視庁は「公娼制度廃止に関する件」を通達。GHQの覚書についてはまだ察知していなかったようですが、警視庁の動きを踏まえて、戦後初めてこの件を特集したのは、雑誌「日本週報」の6号・7号合併号(昭和21年1月20日発行)です(229号「松沢式売春史20」参照)。

この号の座談会に参加しているのは加藤静枝(シズエ)、宮本百合子、山室民子、湯浅とし子です。湯浅とし子は別にして(もっとも的確なことを言っているのは彼女ですが)、妥当なメンツでしょう。

実のところ、廃娼運動や売防法制定運動の中で、市川房枝の名前が出てくることはごく稀です。この人はなんと言っても婦選運動に力を注いでいて、売春問題に積極的に関わったことはないみたい。もちろんまったく関与しなかったわけではないでしょうが、自伝の中でも、売春についてはほんの少ししか触れていなかったと記憶します。

「戦後」と時期を区切らなくても、公娼制度廃止に渾身の努力を続けた事実はおそらくなく、売防法制定についても、消極的な関与しかしていないかと思います。まして、戦中は、大日本婦人会ですから、内心はともあれ、表向きは市川房枝も慰安婦を肯定していたはずです。

現実に戦前の廃娼運動を担っていたのは、救世軍と矯風会であって、青鞜社のメンバーたちも、売春問題に言及しつつ、それらの廃娼運動とは距離を置き、時に批判をしていたことは「松沢式売春史」で繰り返し見てきた通り。廃娼運動は、婦人運動とは無関係な立場からなされていた、むしろ婦人運動に敵対する立場からなされていたのですから、当然のことだったかと思います。

たぶん朝木直子は、この辺の事情がまったく理解できていない。青鞜社のメンバーが吉原に登楼した有名な「事件」もあったように、婦人運動家たちは、廃娼運動の活動家と違って、売春する女たちを蔑視するようなことはなく、矢野・朝木に見られるセックスワーカーへの視線は、戦前の婦人運動家ではなく、廃娼派のそれに通じます。

戦後は、この廃娼運動の流れに、婦人運動の流れが重なって、売防法制定の動きになっていくのですが、ここで名前を出すべき政治家は、市川房枝でなく、神近市子でしょう。矢野穂積の真似をして思いつきで書くのではなく、ちょっとは調べて文章を書いてはどうなんか、朝木直子

また、スウェーデンの買春処罰規定についても、見事に無理解を晒してます(続く)。

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