2009-02-12

お部屋1777/東村山市の何が問題か 1

去る人もいれば来る人もいる。このところの新人としては、もんさんの活躍が目立ちます。

ユダヤ資本にバックアップされたもんさんが精力的に更新しているので、私は安心して敵のブログを書き換えたり、家の周辺にぞろ目のナンバーの車を走らせたり、ベランダにウンコをするなどの活動に専念できます。

潤沢な資金を使って週刊誌にインチキ記事を書かせ、おっちょこちょいで、冷静な判断ができないアホな右翼を踊らせる計画も見事成功しました。ああもあっさりと信じて、ガセネタを根拠に朝日新聞社を批判するほどのマヌケだったとは思わなかったです。そんな人物にコメントをとるほど「サンデー毎日」がマヌケとも思いませんでした。

瀬戸弘幸の周辺には、こちらの期待通り、「集団ストーカー被害者」たちが集結して、瀬戸弘幸の言っていることがどの程度のものなのかをさらに一層わかりやすくしてくれています。このまま頑張っていただきたい。願わくば、瀬戸弘幸の重要な情報源であるミセス・ホスゲンさんに早く復活して欲しいものです。

さて、この辺で、前々から出そうと思っていた内容を書いていくとします。「東村山市の何が問題か」については、ミハルさんに期待していたのですが、このテーマの端緒についたまま、その後は触れていないため、ケツを叩く意味で、私も東村山の話をしておくことにします。

片っ端から、東村山関連のキーワードで検索して情報を探していたら、宇留嶋瑞郎著『民主主義汚染』書評が出ていました。一昨年のものです。筆者名がよくわからないのですが、大十というのがそれなのかな。

議席譲渡問題を起こしたあとの選挙で、当事者である朝木・矢野とも当選し続けていること紹介して、こう書いてます。

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実は政治というのはそんなものである。いかに暴論で論理破綻していようとも、平易な言葉で存在をアピールし、ライバルより強く印象付けたほうが勝つのである。なぜ選挙カーで名前を呼ばわる手法がずっと以前から好まれているのか、考えてみる必要がある。これは「いい商品を開発しても、それだけでは売れない」というマーケティングの問題意識に似ている。矢野氏らは、自作ビラを市内各戸に配布したり、FM放送局を開くなどしているが、それらが政治活動の基盤になっているようだ。

(略)

 朝木、矢野両氏の政治手法は、良い悪いの判断を抜けば極めて巧妙で智謀に長けている。しかし朝木氏の母をフォローしたころと違って、矢野氏ももう若くはないし、集票状況もあまり芳しいとはいえない。手法を受け継いだ後継者を育てるか、朝木氏が1人でもやっていけるようにノウハウを移転しなければ、今後 10年20年とは続かないだろう。それにしても、これほど戦いにくい相手を向こうにして市政運営をしてきた同僚市議、市職員や、東村山市民の人々には驚嘆せざるを得ない。一体どれほどの苦労があったことだろうか。

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選挙に限らず、世の中、そんなもの。正しさが勝つとは限らない。正しさが勝つことがあるとすると、力のある正しさ、戦略のある正しさ、運のある正しさです。

もちろん、選挙運動で名前を連呼するだけで当選できるわけではありません。なにより地縁・血縁による地盤、政党・宗教団体・組合による組織票が物を言うのが選挙です。また、日常の活動も決して無駄ではない。

しかし、地道な活動をする議員が落選して、要領よく名前を売る議員が当選してしまうのもまた事実。とりわけ市政に興味を抱かない市民が多数の地域ではそうなりやすい。

「草の根」「要領よく名前を売る」「活動をしているように見せかける」点において、【極めて巧妙で智謀に長けている】ってことです。

【同僚市議、市職員や、東村山市民の人々には驚嘆せざるを得ない】とあって、その点は本当に頭が下がりますが、かつて闘ってきた市議たちは、高齢化のため、あるいは闘いに疲れてか、市議をすでに引退し、市民たちも疲弊しています。

図に乗った「草の根」が薄井市議叩きをやり過ぎて、新たにここに参入してきた人たちが出てきて、やっと状況を変えることが可能になってきています。

ああ、それなのに、1586回「政治家ブログ」1588回「市議たちの活動」を見ていただければおわかりのように、わずかな市議たちが奮闘しているだけで、あとの市議たちは、なにも問題がないかのように、家族のことや旅行のこと、支持母体への媚を書いています。

私が見た範囲で、「りんごっこ保育園」の何が問題で、今何が起きているのかについて市民に継続して説明し続けているのは佐藤真和議員のみなのです。

だから、宇留嶋さんや3羽の雀さんを筆頭とした市外の人たちが説明をするしかない。そもそもこの作業は、「草の根」がやるべきであり、それがなされない以上、他の市議たちがやるべきなのです。税金でメシ食って、いい身分ですこと。

しかし、瀬戸弘幸の大活躍で、この問題に興味を抱き、呆れ果てた東村山市民が増えたことでしょう。西村修平らによって、東村山市民が襲撃される事態にまでなって、市議たちが無関心でいられるはずがない。

ところがどっこい、これに対しても、誰も触れようとしない。市議会で取り上げるべき問題ではないかもしれません。しかし、市議たちのブログを見ればおわかりのように、ブログは市議たちの関心事を書く場であり、市議会の議題のみを取り上げているわけではありません。

つまり、彼らは、関心さえないのか、関心がないことを装っているわけです。なぜか。

続きはまたそのうち。

追記:ミセス・ホスゲンは時々ブログを更新し続けてました。相変わらずの内容です。それと関係があるのかどうか、ドリームさんも復帰して、相変わらずの内容です。

このエントリへの反応

  1. [...] その合間に仕事をやっていて、「東村山の何が問題か」を始めたのは、仕事からの逃避であります。あのシリーズは途中まで書いていて、ここまで出したのはその時に書いてあった分です。 [...]

  2. [...] 1777/東村山市の何が問題か 1 [...]