当ブログの書き手である石田豊(享年54歳)は、2009年6月20日午前2時30分、逝去いたしました。 生前の皆様の御厚誼を深謝し、謹んでここに報告致します。
(ポット出版)

2009-04-30

[005] 病室名主の権力構造(2)

入院はしたことなくても、見舞いには行ったことくらいおありだろう。どちらもない? なんだか友達になりたくないなあ。兼好法師もそんなこと、言っておりました。

ともあれ、複数人部屋の病室の各ベッドは単色のカーテンに四周を囲まれていることはご存知であろう。このカーテン、ホントは逆Uの字型になっていれば、各人が各人で独自にコントロールできるのであるが、資材の節約なのかそれともほかの理由があるのか、いわばワの字型になっている。ベッドが並んでいると、通路側から、ワワワそして窓、という並びである。最初のワの左側のオサエは病室の壁が代用している。

で、このカーテンの取り扱いだが、病室のマニュアルによると、たいていの病院では、昼間は明るさを確保するためにも、できるだけあけておきましょう、などと書かれているが、実際問題、たいていの部屋では、各人がカーテンを閉め切って、疑似蛸壺をこしらえて逼塞しているのである。これはジツにうっとうしい。しかし、こういうのは社会生活であるので、こっちの一存だけでは何ともならないのだ。

先日の一時退院までの4日間ほど、ぼくはフクダさんという人と2人部屋で一緒だった。いささか強引なおっさんで、とにかくウットウシイでしょ、という理由で、常時カーテンを全開にしたがる。ぼくも思想的に通低するとこがあるので、望むところである。いや、この4日はさっぱりして気持ちよかった。ただ、かれは就寝時も開けっ放しであるのだが、これはぼくには抵抗がある。なんだかむき身感がしみ出してきて、どこか不安な気持ちになる。

このフクダさんには、ぼくにとって積年の課題であった「腹巻き問題」の最終解決になりうる「晒の巻きかた」の奥義を伝授していただいた。まだまだぐずぐずのやわやわだが、日に日に技術的向上が自分でもわかる。ぼくの鯔背な晒姿に陶然となさるご婦人の出現も遠い日の話ではない、と思うほどだ。とにもかくにもキモチいい。

話を戻す。

さきほどのワワワ窓というカーテンの構造を再度思い返しながら、これを自由にするためのキーはどこにあるか、を考えてみればよい。すぐにわかると思うけど、自分のカーテンを自分でどのように取り扱っても誰にもめいわくをかけないのは、唯一窓際の病室名主だけなのである。

たとえば、通路側の人が、うっとうしいとて自分のカーテンを全開にしてしまうと、次の人の正面の部分を無許可ではぎとってしまうことになる。2番手にとっては、暴力的な壁の崩壊である。窓際が2番手にお伺いをたてれば(多くの場合)あ、いいですよ。どうぞどうぞ。うっとうしいですもんね。なんて同意を得たりするかもしれないが、ふつー、おとなは、そんな罠には乗らないものである。

こんど、お見舞いにでも行かれた際にご確認になるといいと思うのだが、複数部屋の奥の人だけが、カーテンを全開にしている部屋がけっこう多いことに気がつくことだろう。だって、カーテンを開けるほうがルール云々以前に、とても気持ちいいのである。唯一気になるのは廊下からの無遠慮な視線くらいだろうが、それも、手前のカーテン群によって、適度に遮蔽されているわけだ。

カーテンひとつをとっても、同じ料金をふんだくられていても、これほどの差がある。

これって、ほんと、むちゃなことして金儲けしてはなりませんという法律にひっかかると思うのだ。