デジタル/シゴト/技術

スタジオ・ポット
ポットのサイト内を検索 [検索方法]
▲ゴト技top| 第15章 123456789101112131415161718192021222324252627
[第15章●その他よしなしごと]
25… 車内での携帯電話の 4
[2005.11.25登録]

石田豊
ishida@pot.co.jp

やあ、おもしろいですなあ。ふだんはあまりコメントなどつかない当コーナーですが、電車内での携帯電話使用に不快感を感じるのはなぜか、ということに関しては珍しく数通の書き込みがありました。と、いってもお三方ですが。

いささか我田引水でありますが、みなさんがこうもいろいろおっしゃるのは、とりもなおさず、「電車内でケータイ電話が不快であるわけがよくわからない」からではないでしょうか。たとえば元記事が「万引きはしてはならない」とか「殺人はなぜいけないのか」を論じたものなら、誰も何も言わんでしょう。あたりまえやんけ、と。

つまり、電車内で携帯通話することは、悪いと断ずるには、ちょっと留保があるのでしょうな。当たり前とは言い切れない。そこで、みんな理由を考える。

「不関与の規範」もその中の一つです。なんぞ哲学用語じみたことばなんで、ついついフムフム感があるのですが、前にも論じたように、ちょっと考えると、なんだかヘン。「不関与の規範」を破るというのは、ぼくの理解では、平たく言うと「無関心を装っていることで平穏を保っている空間で、ことさら関心を引きつけるようなことが起こる→だから不愉快」ってことなのでしょう。しかし、前に書いたように、ことさら人の関心を引きつけることなんて、もう百万種類も存在しています。

で、前回のぼくなりの結論としては「車内でのケータイ電話は不愉快ではないんだ」ということですね。不愉快と思っているけど、実はそれは「ケータイ電話」であるからではないんだ、と。

するとヒダカさんから電話で(もちろん別件の電話のついでに、です)あの結論はおかしいとの指摘を受けました。「不愉快の理由を問うているのに、それは不愉快だからだと答えるに等しい」と。

そうじゃないんだけどなあ。

なんで携帯電話が不愉快なんだ、ということに関して、こうもさまざまな意見がでてくるということは、そもそも携帯電話=不愉快という前提を疑った方がいい、ということを言っとるわけです。いや、なにも、特定の誰かが不愉快であるというのは自由ですよ。ぼくだって(スルメの例を出すまでもなく)不愉快なことはいっぱいあります。自動改札機を通る時に幼児に切符を入れさせる親、不愉快です。もたもたすんな、と思う。子供が切符入れるのは自由だとすれば、それは子供の切符だから、お前ももう一枚買え、と思う。そんな個人的な不愉快事象はいっぱいあります。

でもね、不愉快だからといって、それを規範にするな、ということを言いたい。大多数が「不愉快である」という理由だけでルールにするのはおかしいと考えた方が健全なんじゃないか、と言いたいのですね。ルールは反証可能な事由が背景になければならないと思うんです。

ルールはルールになると同時にルールを遵守する方向で判断の方向を強化します。ヒダカさんの言う「ルール脳」です。ルールになってしまったと同時に、「ルール違反であるがゆえに不愉快だ」と思いがちです。だから、ええかげんなルールは存在させちゃならん、と思うわけです。

ぼくは、車内での携帯電話使用の数万倍、そのルールの存在自体のほうが不愉快です。

ステロタイプな言い方になってしまうので、あまりこう言いたくはないのですが、どうも、そっちの方向に社会が急速に進んでいるような気がしてならない。そっちの方がキモチ悪いと思いませんか。

携帯電話に対しての「不愉快感」が、「ルール脳」に支配されてのそれなのか、もしくは他の理由があるのか、よく考えなきゃならんのじゃないか、と思うわけです。

ん? 論点ずれとる? ま、そういやそうですな。すんません。

この記事は
面白かったですか?

お読みになっての印象を5段階評価のボタンを選び「投票」ボタンをクリックしてください。

つまらなかった           おもしろかった    

投票の集計

投票[ 6 ]人、平均面白度[ 4.2 ]

※「投票」は24時間以内に反映されます※

日高崇さんより
ご意見いただきました

[2005-11-26]

一カ所だけ。

「不愉快の理由を問うているのに、それは不愉快だからだと答えるに等しい」を補うと、「〜、それは(電車に乗っている段階ですでに)不愉快だからだと答えるに等しい。(だから、ケータイだろうがスルメだろうがイワシの頭であろうが、本来不快でないはずのものを不愉快に感じてしまうのだ、というまとめは何の問題解決にもなっていない)」となります。

ある程度の正しさは持っているんで、話はややこしいんですけどね。。

そうか、「ケータイが不快(そしてそのこと自体は根拠レスである)」ということはかろうじて受け入れられても、「ルールの存在によって不快感が加速している(させらている)」ということは受け入れがたい、ということですかね。私のもやもやは。


>だから、ええかげんなルールは存在させちゃならん、と思うわけです。

>ぼくは、車内での携帯電話使用の数万倍、そのルールの存在自体のほうが不愉快です。

この「判断停止な状態」についての不快感は同意ですね。まあでもルールなしで世の中が回っていけばいい、などと言い切るほどラヴ&ピースでもないので、私が世界を制覇したら、ハンズフリー通話実験の実施(しつこい)を皮切りに、ケータイ問題については一石を投じる所存であります。ハイ。

鈴木雄介さんより
ご意見いただきました

[2005-11-29]

イシダ説有力か?

息子のブログを読んでいると
--------------------------------
電車内の電話 2005年11月28日(月)
電車内で携帯で電話をしている人を見るとあんまりいい気はしないっすよね?なんでですかね???例え小さい声で話していても気になってしまいます。逆に普通に会話をしている人達は、特別に大声で話していなければさほど気にはなりません。
なぜ携帯電話の通話には気になるのでしょうか。「電車内での携帯電話の使用は他のお客様のご迷惑に…」っていうアナウンスのせいなんでしょうか?やってはいけないって言ってる事をやってる人を見るとむかっとするってやつですかね?
よくわからんのですが、あまりいい気にはならんとです。マナーモードにしてないやつにもむかっときます。そんな理由なきむかつきを不思議と思った電車内でした。
--------------------------------
イシダ説を裏付けてますな。

ご意見をお聞かせください

  
メールアドレスはWeb上では公開されません





  

デジタル/シゴト/技術topへもどる page top
▲ゴト技top| 第15章 123456789101112131415161718192021222324252627

ポット出版ず・ぼん全文記事石田豊が使い倒すARENAメール術・補遺ちんまん単語DB
デジタル時代の出版メディア・考書店員・高倉美恵パレード写真「伝説のオカマ」は差別か
黒子の部屋真実・篠田博之の部屋篠田博之のコーナー風俗嬢意識調査ゲル自慢S-MAP
ポットの気文ポットの日誌バリアフリーな芝居と映画MOJもじくみ仮名

▲home▲


このサイトはどなたでも自由にリンクしていただいてかまいません。
このサイトに掲載されている文章・写真・イラストの著作権は、それぞれの著作者にあります。
ポットメンバーのもの、上記以外のものの著作権は株式会社スタジオ・ポットにあります。
お問い合せはこちら