2011-04-22

書評『図書館からはじまる愛』

本書『図書館からはじめる愛』は、第二次世界大戦時のインドを舞台にした物語である。主人公の少女ヴィドヤの父親は医者で、ガンジーの唱えた「非暴力不服従」の独立運動の活動家でもあった。当時のインドでは支配側のイギリス人からの差別は日常茶飯事。ヴィドヤも街中でイギリス人の少女から、「さわらないでよ、汚らわしい!」と罵倒されたりもする。

 そうした状況のなかで、父がイギリス人警官に警棒で頭を叩かれ、致命的な傷を負ってしまう。そこで彼女の一家は父方の祖父の家に引き取られ、因習がはびこる大家族の一員として暮らしていかざるをえなくなった。カーストの最上層に位置するその家族は、食事をするのも寝る場所も男女別、男女の役割分業は当然のこと、女性は階段の上に立ち入ることも許されていない。ヴィドヤの唯一の喜びは、女子の立ち入りが禁止されていた図書館に忍び込んで、本に耽溺し、心の自由を確保することだった。

 一方で当時は、戦争が連合国と枢軸国の間で行われており、インドは後者の日本軍からの脅威にさらされはじめていた。宗主国であるイギリスに反発を持ちながらも、日本の侵略に対して闘おうとする兄のキッタ、戦争そのものに加担しないことを願うヴィドヤ。戦争に対する政治的立場も、カーストという伝統的な身分制度をめぐっても、家族内ですらそれぞれの価値が対立せざるをえない状況が描かれている。

 さらに、ヴィドヤの恋愛も単なるロマンスとしてではなく、そこに根深く存在する男尊女卑の問題を浮き彫りにする。図書館で逢い引きをするようになったラマンという遠縁の男子に、ヴィドヤはいつしか少女らしい恋心を抱く。けれど、ラマンがヴィドヤにだまったままで二人の結婚話しを進めたことに反発を感じざるをえない。どうして最初に自分に相談してくれなかったのか、と。そして、結婚した上で留学させてあげるのだと言うラマンに、ヴィドヤはこう反論する。「……人に勉強させてあげるだなんて、いったい何様よ……結婚すれば、まるで自分のもののようにわたしを扱うに決まってる。いまからその調子なんだから」

 これこそまさに、第二波フェミニズムが主張した内容そのものであり、この小説は、一人の少女の自立の物語であるとともに、大戦後に多くの女性たちが求める男女平等を先取り的に描いている。反植民地主義、反戦争、反因習、反男尊女卑の流れは、まさに私たちが経験してきた近代の過程であり、この物語は、それをインドの上流階級を舞台にたどっているのだ。

 そして、そうした経験の延長線上に、近代が見落としてきた様々なマイノリティにもまた焦点を当てられるようになったのが現在だ。「インドつながり」で言えば、男でもない女でもない「ヒジュラ」という人たちがインド社会に存在することがクローズアップされている。

 「ヒジュラ」は先の小説のなかでさえ姿が見えない下層の人々である。『インド 第三の性を生きる』は、男女の制度の外に置かれていた一人の「ヒジュラ」の(書簡による)ライフストーリーと写真からなる一冊で、他の国にはあまり見られない第三の性の現実を、その生活の内側から映し出している。近代の外部に置かれてきた彼らの生活が窺える。

● パドマ・ヴェンカトラマン『図書館からはじまる愛』(白水社)
● モナ・アハメド『インドー第三の性を生きる』(青土社)