2010-03-09

伏見徒然草 第75回 最終回

1003mh.jpgバディの片隅で連載されていた「伏見徒然草」も第75回で最終回。今後ゲイに関するコラム「伏見徒然草」はこのサイトに居を移し、トピックがあったときだけ執筆していくつもり。もうそういう時代ですねえ(笑)。

● 伏見徒然草
第75回「最終稿」 バディ 2010.2

一年がはじまるお正月に連載の最終回を書くというのもおかしな巡り合わせだが、すでに第七十五回となる「伏見徒然草」も今回でおしまい。これまでのように一つのシリーズが終わってすぐに次のシリーズに移行するということではなく、とりあえず、伏見の「バディ」でのお仕事は一段落ということになる。

最初に「バディ」に関わらせてもらったのは、漫画家の桜沢エリカさんを連れてきてほしいという編集部からの要請で、彼女と誌上対談をしたときだ。九十年代の半ばはまだ、一般のメディアとゲイメディアを隔てる敷居は高く、いわゆる有名人がゲイ雑誌に出ることはほとんどありえなかった。今日ではメジャーのほうからパブリシティの一環としてゲイメディアを利用しようとする動きさえあるが、かつてはこういう媒体に露出することは一般の有名人にとって商品価値を損なうことでしかない、と思われていた。そんな時代に、お洒落の先端を行っていた桜沢さんが誌面を飾った意味は大きかった。

そのように、この十数年でゲイとゲイメディアをめぐる状況はずいぶん変わった。伏見は「バディ」への寄稿文にしばしば「隔世の感がある」という表現を使ったが、それくらいこの間で時代は大きく変化したのだと思う。最近ゲイシーンに出てきた人には実感できないだろうが、「バディ」はそういう激動のなかでその役割りを果たしてきた雑誌だった。しかし出版業自体の不況や、ネット環境の充実によってゲイ情報がパソコンや携帯から手軽に得られるようになったこと、そして同性愛に対する社会の寛容が進むにしたがってゲイ自身が多様化したことにより、ゲイ雑誌の役割りは小さくならざるをえなかった。それはゲイが生きやすくなった結果によるのだから、必ずしも悪いことではないが。

伏見個人にとっても状況は大きく変わった。二十年前のお正月は、たぶん、デビュー作『プライベート・ゲイ・ライフ』の執筆をはじめていた頃で、そのときには未来に日本でゲイパレードが行われることも、ゲイコミュニティと言えるような活動が盛んになることも、はたまた自分が四十代も半ばになってまで文章を書いていることも想像ができなかった。また、十年前でさえ、東京でのパレードを復活させることに集中していて、ゲイや性的少数者という括りで求心力を持つ方向に賭けていて、十年後にはゲイが自らに肯定的になりつつも集団としては拡散してしまうという事態を、予想する余裕もなかった(2001年くらいにはすぐに疑うことにもなったが)。

そう、この二十年、「バディ」の創刊からしても十六年の間に、日本の「同性愛者」は「ゲイ」として肯定的になり、政治的な主体としてもある程度成立した。そしてそれと同時に多様化、個人化も進行した。おそらく、よほどのことがないかぎり今後、大きな集団としてゲイが急進的に政治化することもないだろうし(ただし、婚姻法などの分野で今後盛り上がることは考えられる)、逆に否定的なアイデンティティとしてそれが生きられる傾向も縮小されていくはず。

そんなふうに時代の変化をこのエッセイでずっと実況していければいいと思っていたが、さまざまな事情により叶わず、とても残念ではある。が、振り返ってみるに、自分はもう十分仕事をした気にもなっている。「ゲイの考古学」では日本のゲイの歴史の流れを素描したし、「伏見ゲイ新聞」ではゲイコミュニティを実現するための共同性を演出しようとした。続く「夢のトークショー」ではゲイコミュニティと外の世界をつなぐことも試みた。そしてその後のエッセイでは老後の問題やら日本社会におけるリブのリアリティについて論じてもみた。それらはどれも不十分な内容ではあったし、現在から見れば間違った考察も多かったが、そのときの自分がいける限度まで思考したものだ。

ゲイ・ムーブメントということを取っても、自分ができること、やりたいこと、すべきことはすべてやったような気がする。二十年もひとつのテーマを一生懸命生きれば、それが大した成果を生んでいなくても、個人の人生にはずいぶん豊かな経験をもたらしたと思う。

今後はゲイのことは若い世代のみなさんの後ろをついていきたい。もちろんこれからも伏見はずっとゲイのムーブメントを応援していくが、もはや新しいアイディアもなければエネルギーもない中年は、フロントランナーではありえない。駅伝のように、ゲイ・ムーブメントの襷は、清新な志を持った次のアクティヴィストや表現者に渡すことにする(ちょっと偉そうな物言いだが)。

伏見はこれまでの経験を糧に、今後はフィクションの仕事を中心に物書きとして社会生活をまっとうしたいと思う。この四月に、六年ぶりの小説集『団地の女学生』を集英社から上梓する予定だが、その後も文芸誌などで小説を発表していくつもりだ。以降の伏見に関心があれば、そちらをぜひ読んでみてください。

また一作年から週一度だけ営業しているゲイバー「エフメゾ」も続けていくので、もしよかったら会いに来てください。若いゲイから若くないゲイまでいろんな人が集まる「エフメゾ」は、昭和のゲイバーの伝統を受け継ぐ場として、多様な人間の坩堝たりえたいと思っている。

最後に、十数年にわたり原稿発表の機会を与えてくださったテラ出版の平井さん、和田さん、歴代の担当者諸氏、そして読者のみなさんにこの場を借りて改めて御礼申し上げたい。