2008-11-28

大塚ひかり『ブス論』


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● 大塚ひかり『ブス論 (ちくま文庫)

★★★★★ 学術的にもエンターテイメントとしても楽しめる労作

「美」を探求した本なら珍しくないだろうが、「醜」の歴史を掘り起こした本というのは聞いたことがない。大塚ひかり著『太古、ブスは女神だった』は、醜つまりブスが日本史の中でどのように扱われてきたのかを、古典文学を中心に丹念に洗い出した前代未聞の書である。

日本最古のブスは、最古の女神であるイザナミノ命だと言う。イザナキノ命とセックスして日本国土を生んだその女神は、もとは美しい女だったが、死ぬと黄泉の国へ行き、腐乱死体の姿に変わり果てた。彼女を追ってきた夫イザナキノ命は、それを見ると逃げ出してしまう。夫に捨てられたイザナミノ命は、人類の死をもって復讐する。「太古、美は権力であり、繁栄の源だった。しかし醜さもまた『命』」として尊ばれていた。

それが仏教思想が大陸からもたらされると、醜は道徳的な価値に結びつき、外見の醜さは「前世の悪行の結果」と軽蔑されるようになる。そこで醜の価値は美よりもずっと低い位置に置かれる結果となった。 

中世になって武士が猛々しく台頭してくると、貴族的な美貌至上主義が否定されて、再び、醜の生命力を尊ぶ価値観が復活する。

そして「人を顔で判断すべきではない」という観念が定着したのは、儒教道徳が根付いた近世以降のこと。これは「生れつきの顔の悪さや障害を前世や心の悪さに結びつけられ、いわれなき差別を受けてきた人々にとっては…福音だった」。しかし、「家」の存続を第一と考える儒教は、父系社会の規範を乱すおそれのある性的に魅力のある女を「悪女」として蔑視するようにもなった……。

というのが、大塚ひかりが編み上げた日本ブス史のあらましになる。

あまたの古典作品を丁寧に読み解き、醜の歴史を浮き上がらせた大塚の歴史研究者としての力量は、驚嘆に値する。また、それを表現する彼女独特の軽妙な文体や、旧来の説に捕らわれない解釈の斬新さも、本書を著しく魅惑的なものとしている。

例えば、『源氏物語』の中に登場する末摘花は、「親王の姫という身分こそ、前世の善行を思わせるものの、当時の考え方からすると、ブスで貧乏という、前世の悪行を負った『罪人』だ…にもかかわらず、光源氏と結婚するという幸運をつかむ…悪役でもなければ、心が醜いひねくれ者でもないブスを作った紫式部は、文学論、女性論はもちろん、ブス論の中核に位置すべき革命家だ」。

大塚の説得力は、その言葉が単に過去の歴史を物語っているだけでなく、つねに現在の美醜をめぐる問題と重ね合わされているところのによる。なぜ女性は美醜で差別されているのか、なぜ一元的な美の基準を自らに当てはめようと四苦八苦するのか、と。そして、その義憤は、彼女に太古の醜(しこ)パワーの豊穰さを憧憬させる。

大塚が描いた歴史の果てに、そんな獰猛なパワーに満ちた本が登場する。70年代初頭に上梓された日本のフェミニズムの嚆矢、田中美津の『いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論』がそれである。

「とり乱し」という言葉に象徴される田中のウーマンリブの表現は、今日の学問フェミニズムとは一線を画す。男性的な論理や倫理をかなぐり捨て、男に支配された言葉自体を超えようと、その文体はひたすらファンキーで、ビート感に溢れている。それはまさに太古の女神の呪術そのものといった趣だ。 
 
*初出/現代性教育研究月報(2001.11)