2008-12-01

坂東 眞理子『女性の品格』

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● 坂東 眞理子『女性の品格 (PHP新書)

★★ 読んで面白くはないわな

いまどき「女性の品格」という古風なタイトルに、道徳のような人生訓。にもかかわらず、本書は280万部を越える大ベストセラーとなっている。内容そのものより、その現象こそが興味をそそる一冊と言える。

私の周囲でこの本を読んで人たちの評価は、おおむね否定的なものだ。まず書かれていることが「当たり前」すぎるというもの。そして、ジェンダーフリーの時代にあえて女性に特別な規範を割当てようとしている点。とくに後者は、著者のスタンスを保守的と感じ、拒否感を抱かれている。

私は今回改めて読んだのだが、たしかに著者の主張はとりたてて珍しいものではない。それこそ、「礼状をこまめに書く」とか「約束をきちんと守る」とか、一般常識を羅列しているだけとも言える。しかし保守的かと言えば、必ずしもそうではない。著者は女性官僚を出発点に要職を歴任してきたいわゆる「キャリアウーマン」で、むしろ女性の社会進出を前提として、新しい女性像を提案しようとしている。「現代の社会のなかで女性の生き方、役割りが大きく変わり、伝統的な道徳が通用しなくなったのにもかかわらず、新しい基準が確立せず、混乱が見られる……新しい美徳が求められています」。

ジェンダー論的な観点からしたら、ならばどうして女性であることにこだわる必要があるのか、という問いが当然なされるであろう。実際、品格のありようを男女で線引きすることはできないし、著者もそのことに自覚的だ。しかしそれでも「女性としての品格」にこだわることで説得力を増し、マーケットの琴線に響いた。

ジェンダー論に通低するロジックは、差別が解消していけば必然的に男女の性的非対称性はなくなり、男と女の区別もなくなっていく、というものだが、二つのジェンダー間に実質的な相違がなくなってきても、区別を求める欲望はなくなっていない。それどころかこの本の成功は、実質的な相違がなくても男女を区別したい、という人々の欲望を反映している。

この辺りが考察すべき問題なのだろう。占いなどのブームもそうだが、私たちは規範やカテゴリーから解かれる方向だけを求めているのではない。それらに規定されたがってもいる。男女というジェンダーも、押し付けられていると感じるばかりでなく、それを手がかりにすることで異性と円滑に関係を作ることができる面がある。個々の、剥き出しの「私」と「私」ではかえってコミュニケーションが上手くいかない場合もあるのだ。

ところが昨今、規範は解体しつつあり、ジェンダーというコミュニケーションの手がかりを欠いてしまった。だからこそ人々はいま、男女に何か新しい基準を求めているように見える。逆に言えば、男と女というカテゴリーを以上に、人々の関係を容易にするコミュケーション・ツールがまだ見つかっていない。

私たちの言う自由とは、規範が強すぎても感受できないし、規範が溶解してしまっても実感できないのかもしれない。そういう意味で、坂東眞理子氏の『女性の品格』と『親の品格』への共感は、規範からの自由と、規範への自由のあいだに生まれた、あまりにも素直な欲望の結晶なのだろう。