2007-06-22

QJw「会社で生き残る!」その3

vol.2.jpgシステムエンジニア●41歳
お姫様抱っこのためにマンションを購入

[名前]永山雄樹
[居住地]東京
[業種]コンピューター関係
[職種]システムエンジニア

・ニ丁目デビューとともに店子に

コンピューター会社でSEをしています。内容は、たとえばパソコンでもそうですが、本体があってプリンターやカメラがついていたりしますよね。そこでプリンターがおかしいと、プリントできません、というメッセージが画面に出ます。それが大きなシステムになると、もっと大きなコンピューターにそれぞれのパソコンやいろいろな機器がネットワークでつながっていて、何かがおかしいと情報が上がってくる。それをどこが悪いのかを切り分けて、直せるものは自分で直したり、専門家が必要なときは状況を伝えて必要なひとや部品を調達する仕事です。

就職してからずっと同じ会社で働いて15年になります。オペレーターの仕事から入って、最初の8年は銀行のシステム部門に派遣されていました。そのあと5年はIT企業に派遣されていて、この2年はSEとして出向しています。本籍のある会社は500人弱の中小企業ですね。ポジションは課長職です。いま8人のチームを動かしている、と言えばいいでしょうか。

26歳まではフリーターをしていました。当時はそんな言葉はなくて、プー太郎とか言っていましたね。最初は、電車が好きだったので高校を卒業したあとにJRに入ろうとしたんです。でもちょうどJRでは人員削減で高卒を採らない時期だったので、そこに近いところをと思って、旅行会社の専門学校に行きました。でも1年半で嫌になって辞めてしまったんですよ。それからフリーター人生が始まりました。いろんな仕事をしていましたが、もちろんそこにはゲイバーの店子も入っている(笑)。19歳のときに二丁目デビューをして、その日にアルバイトを決めましたから。でも店子をやってみて、ぼくに店を経営することは出来ないと思いましたね。就職しようと思ったのは、叔母が亡くなって家族が母一人になってしまったから。それで、ぼくが結婚できないのであれば、最後に親にしてあげられることは就職した姿を見せることだ、と思ったからですね。この仕事を選んだ理由は、未経験者でも可能だったことと、24時間の仕事で夜勤もあったので、同世代と比べると給料もいいし時間も自由に使えるから。朝起きて出勤するというのは好きじゃないし、平日に休みがあったり昼間に遊ぶ時間がとれたりしますからね。

・俺は風俗ではやらないから

職場でカミングアウトをしても特に問題はないけれど、していないのはする必要がないし、したら周りが気を使うことになるから。飲み会なんかのときに、独身だと挨拶代わりに、「ホモなんじゃないの?」と言われますよね。「ホモだと言ったら逆に、そっちが困るんじゃないの?」と思うんです。ですから、ばれたらしょうがないなと思いますが、そういうときはとくに否定も肯定もせずスルーします。結婚圧力のようなものも特にありませんね。会社に入ったころは直属の上司を含め、年上で結婚していない方が何人かいたので、たとえ言われても、「いやいや先輩が先ですから」とでも言っていれば大丈夫でしたね。そういう話が出ることは仕事をしていく上で通常のことだと思っているので、スルーすることをストレスには感じません。いまは本籍と働いている会社が違うので、現場の上司は結婚まで踏み込んでこない。そういうことは本籍の会社の上司が言うことだ、と線引きが出来ています。本籍のほうには、仕事が忙しいのでそれどころではありません、と言えますし。

若いときに大変だったことは、二次会や三次会で行く風俗系の飲み屋ですよね。キャバクラみたいな対話系までならなんとか大丈夫ですが、ピンサロやソープにいくグループからは逃げるようにしていました。誘われたときは、それが同年代だと、「俺は風俗ではやらないから」と断った。上司からはさすがに本番系に誘われることはありませんでしたが、女の子と喋って3千円飲み放題みたいなところに連れて行かれたときは本当に嫌でしたね。損した気分になりましたよ(笑)。でも年齢が上がってくると主催者側にまわるので、行く場所をセレクト出来るようになってくる。いまは一次会の居酒屋が終わるとさっさと帰ることにしています。職場で風俗の話も出ますが、それは行った人同士の会話ですから。もともと仕事以外の話題はそういうエロ系よりも、業種柄ゲーム系の会話が多いですね。

ゲイだと自覚したのは小学生のときです。中学生くらいのときはもう「さぶ」を買っていました。本屋で買ったあとに知らないお兄さんに後をつけられて、ダッシュ逃げとかしていました(笑)。ゲイであることに悩んだのかどうか……同級生を好きになっても叶うことがないので、それを誰にも相談できないという悩みはありました。好きな子と仲良くなるにはノンケの男として近づくしかないので、彼に彼女が出来たら、ぼくも彼女を作って彼らとグループ交際をしたりして。仲のいい友達として結実しましたが、それ以上は発展しませんでしたね。性的な初体験は高校1年生のとき。かっこいいと思っていた先輩に「ちょっと手伝ってくれない?」と誘われて、放課後の部室で、手だけ貸しました(笑)。彼はノンケで、ぼくは女の子の代わりだったんですね。恋人にはなりませんでした。

セックスの初体験は二丁目に出たころです。声をかけてくるお兄さんたちの中で、かっこいいひとをセレクトしました。最初は年上が好きでしたね。しばらくしてから話が合うという意味で同年代が一番になりましたが。いまは、恋人はいません。パートナーは欲しいですね。付き合うときは、セックスより話が合うほうがいい。若い子から告白されても、ぼくにセックスはあまり求めないで、と思う。ひと回り経験してから来て、という感じですね。セックスは散々してきたので、もうわかった感じが自分の中にはある。いや、4桁はいっていませんよ、せいぜい半分くらいです(笑)。それに性欲は自分で処理すればいいだけの話ですから。

・30年ローンを組む

老後を一緒に過ごすという意味では同居はしてみたいですね。マンションを30歳のときに買いました。母が亡くなって、天涯孤独になったんですね。そのときに親が商売をしていた実家の物件を遺してくれたんです。そのつくりは住居としては非常に住みにくい(風呂もないので、子どものころから銭湯に通っていました)。ぼく以外は女ばかりの家族だったので、小さいころからひとりで男湯に入れられて。それがセクシュアリティの形成に影響しているのかもしれませんが(笑)。ともあれ、そのときぼくにはそれを改築して住むか売るかの選択があったんです。ひとり暮らしをするなら生活は新宿を中心にしたいと考えていたので、売ってそれを頭金に30年ローンを組んで渋谷区にいまのマンションを買いました。当初ローンを組まずに安いマンションを買ってしまおうとしたんですが、「親の金をそんなふうに食いつぶすんじゃない、自分もちゃんと借金をしなさい」と親戚に怒られました。あとは結婚してもいいようにという意味で、2LDKの間取りをすすめられました。ぼくも、そのときちょうど恋人がいて、彼をお姫様抱っこして寝室に入るのが夢でしたから、それもいいかなと思って。でも買ったときにはひとりになっていました(笑)。

ひとりで住むのは寂しいのでそれからずっと同居人はいます。いまで3人目ですね。彼らと恋愛はまったくありません。本当にたまたま3人とも友達で、タイミングが合ってそうなっただけです。セレクトする条件は仲の良さですね。だから恋人ができても、出て行って、ということはありません。連れ込みもお互いにオッケーです。お互いそんなに大きな声のセックスはしないので、リビングにいてもそんなには気にならない……(笑)。同居人はぼくにとっては基本的にお客様。光熱費込みで毎月7万円もらっていて、それでローンもできるだけ早めに払ってしまおうと繰り上げ返済をしていますから。

保険は死亡後より入院手当てが厚いものを中心にしています。月々1万いかないくらいです。病気はけっこうしていまして、盲腸や肺の病気などで何回か入院しています。肺のほうは、会社で受けた人間ドッグで、大きな影があって癌ではないけれど5年以内に切ったほうがいい、と言われて切りました。おととしは肝臓の数値が高いと言われて緊急入院しましたね。A型でもB型でもなく、酒も抜いていたし、ドラッグもやっていませんでしたが、それに似た数値だったらしく、最終的には原因がわかりませんでした。が結局、2週間入院しました。そういうときの身の回りの世話は同居人がやってくれるので助かっています。

友人関係はほとんどゲイですね。ノンケは、水泳の飛び込み仲間が少しいます。始めた理由は、競パンをおおっぴらに穿ける競技だという、ちょっと不純なものでしたが(笑)。それにゲイ特有の採点競技(美の評価)へのあこがれもありました。健康には気をつけています。ジムにも通っています。それは35歳くらいのときにすごく太ってしまって、ぼくは細いひとが好きだし、当時付き合っていた相手もそういうひとだったので、ふたり並んだときに絵面が悪い、これは相手に失礼だと思って始めました(笑)。いままで付き合って一番長かったのは2年くらいで、そういうひとが3人います。最初のふたりは逃げられました。最後のひとりはこっちから切りました。前のふたりは同年代だったんですが、最後の彼は初めての年下で、12歳若かったんですね。結論から言うと、彼が仕事を辞めたので別れました。ヒモになったという意味ではなくて、若い子と付き合うと、ぼくは道徳の先生みたいになっちゃうところがあるんですね。「仕事はちゃんと続けてね、辞めるようになったらぼくも嫌だから」とずっと彼に話していましたから。