2008-12-09

イヴ・コゾフスキー・セジウィック『男同士の絆』


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● イヴ・コゾフスキー・セジウィック『男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望』(名古屋大学出版会)

★★ いまやセジウィックの理論はジェンダー/セクシュアリティ論の「公式」になった感があるが、でも、これも一つの「物語」だよねー(笑)

例えば、サッカーの試合で勝利したチームの選手たちが、硬く抱き合って感激を分かつとき、例えば、サラリーマンが酔いつぶれた同僚にさりげなく肩を貸して、夜道を帰途につくとき、その男性と男性の間に流れる情感はいかなるものなのだろうか。

それらは情緒的な親密さと身体接触を重ね合わせている点において、同性愛者間の性愛表現と区別することは難しい。性器的な接触がそこにあれば同性愛で、なければただの親しさの顕れであるとするのは常識的な解釈だが、体育会のような場において、男同士の精力比べのような相互ゲームが行われるのは半ば公然と知られている。そういった遊技と性行為を区別することは、定義上、相当困難なことである。

よくよく考えてみれば、性愛/友愛の間には、はっきりと断絶があると言い難く、両義的な現象がときとして立ち現れてくることは看過できない。イヴ・k・セジウィックの『男同士の絆』は、そうした男性間の連続性が、近代社会においていかに同性愛/反同性愛、そして女性嫌悪の体制へと配置されていったのかを、18,19世紀のイギリス文学のテクストを読み解くことで明らかにしようとしている。

女性間では比較的、連続的に友愛と同性愛が認識されるのに対して、男性間のそれは明らかに断絶したものとされている。が、古代ギリシアで男性間の情緒が連続的であったことを考慮するだけで、その断絶が通歴史的なものであったり、生物学的な本質であったりということにはならない。ならばいかにして、そういった非対称性が男女のジェンダーで生じたのか。それを著者は「ホモソーシャル」というキーワードを用いて分析している。

本書は一見難解な論文集ではあるが、序章の理論的な枠組をしっかり押さえることで、あとは絢爛な文体の推理小説を読み進めるかのごとく、スリリングな思考体験を読者にもたらしてくれる。

*初出/デーリー東北(2001.3.27)ほか