刷出しとは

2005-07-06 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ等雑務
◯クライアントに入稿(またまた電車で、遠出です。京王線って安いし、速い!!)
◯参考書で勉強(またまた著作権)
◯記事用のビジュアルをネットで探す
◯学校の担当者にインターンシップ進行状況をメールで報告
◯つけあわせ、素読み

「刷出しを見せてあげるよ」と沢辺さんが分厚い封筒を手渡してくれた。そこには実際の雑誌の紙面に少し余白を付け加えた大きさのバラバラの紙がはいっていた。それらは四つ折りにされており、実際の本と同じようなページ構成になっている。紙には二種類のものが入っていて、その雑誌で毎回使われている黄色がかった紙に印刷されたものと、全体が青っぽいものとがあった。よくよく聞いてみると、黄色の方は「刷出し(一部抜き)」と呼ばれる実際に本となる印刷物の見本で、製本される直前の糊づけや糸綴じをされていない状態のもの、青っぽい方は「青焼き」と呼ばれるフィルムを青写真感光紙に焼き付けた見本だそうだ。沢辺さんによれば、印刷にはCTPというコンピュータのデータから直接プリントするものと、フィルム版を使ってプリントするものがあるらしい。CTPの時はデータがそのまま印刷機へ直結するのですぐに印刷物がでてくる。それを一部取り出したのが「刷出し(一部抜き)」となる。フィルムの方は「青焼き」で出来を確かめる。「青焼き」がきちんと出来ていれば、そこからアルミ製の印刷版(刷版)をつくり印刷をはじめるわけなのである。ポットでは基本的に、コピーを繰り返さないために画質が劣化しないCTPを使っているそうだ。製本されていないバラバラの状態の書籍をはじめて目にして、面白かった。

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今度こそ手当てや働き方

2005-07-06 沢辺 均

さて、手当て。

ポットの現状の給料の項目は
・基本給
・残業手当
・特別手当(これは今回のはなしでは省略する)
・通勤手当(これは定期代ね)

で、通勤手当を一律にしたいな、って前から考えてるんです。
社員への実額を補償するって意味はわかるんですけど、出てくお金は会社にとって1万円の通勤手当より、5万円のほうが余計に経費としてであっても出てくんです。

で、近くて高い家賃を払ってやると、遠くて安いところにすんでるやつを、会社から比べると遠いヤツのほうに多く費用がかかってる。 続きを読む…

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シンデレラ・ストーリー

2005-07-05 齊藤 美紀

月曜の朝、いつもより早く出社しようと1時間早く駅に着き、意気揚々と「まい泉」のカツ丼525円を小田急デパ地下で買い込み、さて山手線に乗り込もうとしたその瞬間。その日たまたま、ヒールのまったくない、革のべらっとしたサンダルを履いておった私。ホーム先頭で電車を待っており、さて山手線に乗り込もうとしたその刹那。私の後ろにならんでいた人にサンダルのかかとをぐいと踏まれ、そんなことは予想だにしなかった私はそのまま車内へ乗り込もうとしてしまい、私のサンダル(左足用)が電車とホームの間にころりと落下。齊藤しばし硬直。何が起きたのか咄嗟には理解できずボウ立ち。そして無情にも閉まる山手線のドアー。あああぁぁ……。閉まるドアーと共に、私の心は奈落へ。朝っぱらから左足のみ裸足で山手線内に棒立ちする悲しさ。哀れです。あわれはあわれでも、もののあはれ、ではまったくありません。現代語での「哀れ」です。お気の毒、です。心底自分のことが気の毒になりました。いくら突拍子もない格好の若者で溢れかえる神宮前とはいっても、雨の日の左足裸足+地味な服装は、哀れさと間抜けさと不気味さ以外なにも醸し出しません(雨じゃなくとも。たとえ晴れていたとしても。つまり、いつなんどきでも)。仕方がないので、竹下通りのダイソーによたよたと入り、ビーチサンダルを探すものの、見つけられず。店員(ギャル)に声を掛けてしまいました自力で探し出すべきだったろうに。無念。いえ、全身全霊、私の全知能と五感をフル稼働させ、ビーサン(ビーチサンダルの略語)を探したのですが、見つけられなかったのですから、これはもう、いたしかたありませぬ。不審そうに案内する店員を尻目にわけのわからない柄のド黄色いビーサンを購入し、その場で着用。普段、靴や靴下に覆われた甘やかされ放題の私の素足に、都会のアスファルトは厳しかったです。嗚呼、東京砂漠アスファルトジャンゴー(ジャングルの意)を体感。

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レズビアン&ゲイパレード・座談会

2005-07-05 沢辺 均

オンラインマガジン[セクシャルサイエンス]の座談会に出席しました。
アップされました。ああ、やべ、当事者でもないのにエラソーなことばっか話してるぜ、って声が聞こえてきそうでビビります。が、ひとまず本音だし……。

2005年8月号:
●座談会・パレード運営の課題と展望 レズピアン&ゲイパレード,3年ぶりに復活!
 沢辺均(さわべ・ひとし)さん ポット出版社社長
 砂川秀樹(すながわ・ひでき)さん 実践女子大学・関東学院大学非常勤講師 TOKYO Pride代表理事
 おかべ・よしひろさん 公立高校教員 東京レズビアン&ゲイパレード2005 実行委員長

●オンラインマガジン[セクシャルサイエンス]

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研修システムってこうよ

2005-07-05 沢辺 均

給料システムや働き方について、年中いろいろ考えてるんだけど(←実は)、今日は、手当てとかのことを少し書こうと思う。

ポットの現状の給料の項目は
・基本給
・残業手当
・特別手当(これは今回のはなしでは省略する)
・通勤手当(これは定期代ね)

ほかに、手当てって分けじゃナインだけど、月額3千円まで好きな本+雑誌を買って自分のものにしていいって、自主研修書籍のシステムをつくってて、だけど最近利用率がわるい。これは何買ってもいいんだけど、タイトル・著者・出版社名だけはメモるってルール。 続きを読む…

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引用とは何か

2005-07-05 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ等雑務
◯クライアントに入稿(また電車で遠出です。)
◯参考書で勉強(今は藤脇邦夫著の「出版幻想論」、豊田きいち著の「編集者の著作権基礎知識」を読んでいます。面白い!)
◯クライアントが出す新刊原稿のつけあわせ(あの膨大な量の一冊を何度もくまなくチェックしてきた、ポットの制作チームに脱帽。まわってきた原稿には、よくこんなところ見つけられたなー、という細かいところまで赤が入っていた。)

沢辺さんに「引用」について説明していただける機会を得たので、昨日に引き続き書き記しておきたい。著作物内の表現を借りる方法としては、利用と引用というものがある。利用は、誰かの小説を映画化する類いのものであり、引用は誰かの作品を自作の中でそのまま使用することである。引用というのはなじみ深い言葉のようでなかなかよくわからないものだ。例えば、僕が自分のブログに「◯◯著の『××』という本に□□という記述があるが、私は△△だと思う」というような文章を書くとしたら、それが著者の著作権を侵害するのか、正直僕にはピンとこなかったのである。引用にあたっては、①その必要性、②最小限であるか、③出所明示がポイントとなるという。

①「その必要性」
その引用なしでは論がなりたたない時に引用する。自分の論旨を引き立たせたり強調したりするための引用でなければならず、あくまでも自分の論旨がメインでなければならない。

②「最小限であるか」
常識の範囲内での引用であり、自分の論を補強していない部分まで過剰に引用することはいけない。また、一目で持論と引用部分との区別がつくようにカギ括弧を使うなど工夫する。

③「出所明示」
著作者人格権を守る為、引用部分近くに出所明示する。

よって、「◯◯著の『××』という本に□□という記述があるが、私は△△だと思う」のケースでも、この①〜③を守っていれば基本的に引用できることになる。著作権は奥が深い。「原稿料」や「印税」も、要は「著作権使用料」なのだ。僕は本当に何も知らないで出版物に接していた。

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自己評価表

2005-07-04 沢辺 均

給料システムについて書いたので、ポットの「自己評価表」を公開してみますね。

▼ココから————————————————————————
○○○へ

これ書いて、ください。

○ポットのメンバーたちに公開してもいいと思えれば、全員あてに
○もし、これは公開したくないとおもうなら、沢辺・佐藤あてに

公開していこうとかんがえたのは、 続きを読む…

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著作物という英知

2005-07-04 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ等雑務
◯郵便局へおつかい
◯参考書で勉強(今は藤脇邦夫著の「出版幻想論」、豊田きいち著の「編集者の著作権基礎知識」を読んでいます)
◯新刊の索引用に書籍のISBNデータを検索、データ入力

沢辺さんが貴重な時間を割いて著作権について話してくださり、それがすごく面白かったのでここに記しておきたいと思う。まず、著作物というのは、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」と著作権法第二条に定義されている。誰かがなにかを意図的に(創作的に)作り、それを公に表現した場合、それらはすべて著作物となるのだ。彫刻をカメラマンの意図で色々な角度から撮りそれを雑誌などに載せたら、その写真にはカメラマンの著作権も発生するということになる。「なんで著作権っていうのがあるんだと思う?」と聞かれて、僕は少し考えてからこう答えた。著作権がないと、どんどん著作物がパクられてしまうからその予防に必要なのではないか、と。すると、沢辺さんは「俺は逆なんじゃないかと思うんだよ」と言った。最初はえっ、とびっくりしたが、聞いていると納得してしまう真実をついた論理だった。

沢辺さんは、著作物というのは本来は誰のものでもなく人類みんなのためのオープンな知なのだ、と言った。著作物の中にある作品たちは人間の英知であったり、人間を楽しませたりする類のものだ。ちょっと考えてみればわかるが、現在僕らは歴史の中で人間が造り上げてきたそういった「著作物」である知を無料で使っている。例えば「悲しい」という気持ちひとつにしても、人類が漢字や平仮名を発明して「悲しい」という言葉をつくっていなかったら表現できなかったわけだ。そして、今も人類の持つ知識や表現は進化を続けている。そして、昔と同じように現代にはそういった知識を発明し発表する人たちがいる。ただ違うのは、今を生きるそういった表現者たちは、生活のためを兼ねて(お金をもらって)「著作物」を作っている人が大半だということだ。沢辺さんは、だからこそ著作権で死ぬまで+50年くらいはその権利を保護してあげないといけないんじゃないか、と言った。つまり本来オープンである人類みんなの英知としての「著作物」だが、その作者の生活の為に(そしてそういった表現を活性化させるために)イレギュラーとして一時的に保護してあげよう、というのが「著作権」だと言うことである。人間の英知全体に利益がもたらせるようそういった知識のアウトプットを奨励していこう、ということだ。

沢辺さんの考え方は、僕の言った著作権の存在意義とは正反対で、とても興味深かった。もともとオープンなものでそれをイレギュラーとして保護されているのか、そもそも権利が保護されるべき類のものでそれが当たり前に保護されているのか、それを取り違うと大変なことになる。沢辺さんは、それをわかっていない表現者は実はとても多いのだ、と指摘した。権利、権利と叫ぶ前に、その大元を理解しなければいけないなぁ、と感じた。沢辺さんがここまで時間をかけてくださったのも、それだけ重要で理解しなければいけないものだからに違いないのだ。また、ひとつ大切なことを学んだ一日だった。

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給料システムむずかしい

2005-07-01 沢辺 均

ポットでは、社員に年に一度「自己評価表」というものを書かせて、それから社長面接(ってオレと喫茶店あたりで話をするだけなんだけどね)して、給料の改定をします。

ほかに、週に一度、誰かを指名して昼飯を一緒に食う日を作ろうとしてる(まあ、実行打率2〜4割くらいかな?)。

最近も、その「社長面接」をしたし、また次のが控えてるんですけど、給料を決めるってむずかしいね。
本を年間に何冊つくったか、とか、実際の売上げでみるとどうなる、とかいう基準をすべての仕事で出せない。
書店に新刊案内をファックスする。
これひとつとったて、書店名簿のメンテナンス、があり、ファックス送信代行業者との交渉・すり合わせがあり、それにもとづいた案内をのものの制作があり、 続きを読む…

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校正日和

2005-06-29 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ等雑務
◯クライアントへ出す再校、つけあわせ(すべての校正部分が反映されているか)
◯クライアントへ出す再校、素読み(誤字脱字はないか/事実確認)
◯クライアントへ出す再校、表記ルール確認(常用漢字以外はひらがなになっているか/クライアントの指定する表記ルールに従っているか)
◯ネット書店アンケート集計のデータ入力(帰ってきたアンケートをテキストデータに)
◯人間学アカデミー新パンフレット、つけあわせと事実確認
◯クライアントのDMにつけるおまけのアイディア出し

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校了までの流れを学ぶ

2005-06-28 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ、宅急便等雑務
◯マンガのネームテキスト入力
◯トンボでクライアントの新刊カバー候補を裁断
◯クライアントへ出す再校、赤箇所まとめ、書き加え
◯青弓社へお届けもの

再校出しの原稿を直に見る機会をいただいたので、その時佐藤部長に教えていただいた言葉やシステムをここにまとめて書き記しておきたいと思う。ポットがクライアントから請け負って様々な原稿を作成していることは以前にも書いた。その場合、やはりそのクライアントの意向とポットの制作チームの意向とを練りあわせて原稿を作っていかなければ双方に満足のいく作品に仕上がらない。そのため、ポットで作られた原稿が実際に発行されるまでには何度かそのクライアントのチェックが入る。ポットで一回目の校正をした原稿を初校といい、それをクライアントに見せることを「初校出し」と言う。また、その原稿にクライアントのチェックが入ってポットに戻ってくることを「初校戻り」と言う。佐藤さんが、僕にその戻ってきた原稿を見せてくれた。僕がはじめてライターをやらせていただいたあの記事である。あの時白黒で見たレイアウトが実際に形になっているのを見るのは感慨もひとしおである。会社によっては、初校のことを1校といい、そこから校正の数が増えるに従って1校、2校、3校…という風に呼んでいくのだそうだ。ポットでは、2校のことを再校、3校のことを念校と呼んでいて、このクライアントに関してはこの念校が最終チェックになるそうだ。だから、この原稿は仕上げまでに少なくとも三回チェックを受ける、ということである。念校の時にクライアントの赤が入らずに帰ってきた場合はこれ以上直す必要がないので、「校了(文字通り、校正が完了すること)」となる。もし念校で赤が入って戻ってきた場合に、クライアントがもう直したのを再度見せてこなくても大丈夫ですよ、と申し出てきた場合には、こちらで責任を持って校了とする「責了」となる。今まであまりそういう社内で飛び交う言葉に敏感ではなかったが、これ以外にも会社内の用語がわかってくる広い視点で制作の動きがわかって面白いと思った。

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平凡な一日

2005-06-27 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ、洗い物等雑務
◯著書リストのエクセルデータ作成(リストを作っている著者の著書の多さに圧倒。文をそんなに書くことができるネタの豊富さにびっくり。)
◯アンケートデータ入力

平和な一日。仕事もあまりなく、皆さんもなんだかスロー。電車の中で「暑い」を連発する学生の集団を見て、自分と世間の感覚のズレを再認識。寒がり(&夏大好き)な僕はこれくらいの暑さがちょうどいい。そのかわり、冬はこたつから出られない。あぁ、夏っていい。じっとしていられないほど、体中が夏に支配されてしまう。今日は暇をみつけてはイラストレーターをいじっていた。楽しい。

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どっち?

2005-06-24 大庭 雄策

先週見たNHK「クローズアップ現代」によると、動物は疲れを感じると、脳の中のある部分が脳に「休め」という指示を与えるらしい。疲れるとその「見張り番」的な部分は、脳の他の部分と逆に、活発に動くという。でも疲れすぎると「見張り番」自体が疲労してしまい、休めの指示を送れなくなる、ということだった。しかし、『海馬』(糸井重里・池谷祐二著、朝日出版社)によると「脳はぜんぜん疲れない」と書いてある。疲れているのは脳ではなく目だという。

「疲れ」の定義が違うんだろうか。

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Newtonおもろい

2005-06-23 山田 信也

仕事の資料として(こう見えても仕事をしているときもあるのです。タイガースの応援ばかりでなく)、木村さんからニュートンが回ってきました。なんの気なしに読んでみたら、すげーおもしろいです。1冊1000円じゃなくもう少しお安ければ定期購読まで視野にいれてもよいかと思われます。小学生かおじさんが読むものと思い、いままでばかにしていてごめんなさい。

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デザインの現場

2005-06-22 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○印刷物をテキストデータに(やっと終了!!目がイタい…)
○ゴミ捨て等雑務
◯デザインチームの仕事を見学させていただく

やっと長かったテキスト入力から開放されたので、前から興味のあったデザインチームのお仕事を見学させていただいた。この仕事を愛する齊藤さんの後ろにスタンバイし、わかりやすい説明を聞きながらその仕事ぶりを本人に負けないくらいの熱心さで観察していた。デザイン系の二大ソフトと言えば、InDesignとクォークというものが広く使われているらしいが、ポットではイラストレーターなどを併用しながらInDesignをよく使っていた。デザイナーさんからの絵を原稿とともにどこに配置するか頭を抱える齊藤さん。愚痴をこぼしながらも本当に楽しそうに仕事をしていた。斉藤さんが軽々とキーボードをたたくと、画面に映っている記事のイメージががらりとその印象を変えた。その様子を見ていて僕は、一週間ごとにホームページのデザインをリニューアルしていた高校時代のことを思い出した。授業中もよくノートの余白に企業や学校のロゴを遊び半分にデザインしていたし、高校の卒業文集や大学の願書なども自分だけめちゃくちゃ凝ったデザインを使ってみんなを驚かせた。昔から僕はそういうことが楽しくてたまらない質の子供だったのだ。考えもしなかったことだが、今僕の目の前にはそんなことを仕事にしている人たちがいる。それはすごく新鮮で、飛び切り素敵なことに思えた。すごく失礼な言い方をすれば、「こんなことやってお金をもらえるなんていいなー」というのが率直な感想だった。ポットのデザインチームの方達は、デザインの学校に行った人からすべて独学でやってきた人まで様々だった。趣味程度でも構わないから、自分もこういったソフトの使い方を覚えたいと切望した。文章も書けて、編集もデザインも自分で出来たら、すごく素敵だもの。自分で一通り自分の表現を完成させることができるということは、とても楽しいと思う。

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平和苑

2005-06-21 柳瀬 浩史

先週末、東京パレードのスタッフ仲間4人で、沼袋の焼肉店「平和苑」に行ってきました。ウマくて、安くて、肉を焼いてくれる名物オヤジがいる、という噂のお店。誘ってくれた友人は、自宅も近くて、よく来るんだとか。

店に入るなり、オヤジの名調子スタート。「ウチはさあ、使ってる塩が違うんだよ。舐めてみてよ。」と言いながら、みんなの手のひらに塩を配る。たしかに、他の塩と違ってうま味がある。これだけで酒が飲めそう。「でね、和牛と言えば近江なんだよ。ウチはホントの国産だから。」とか、その後もオヤジ、ずっとしゃべり続ける。

「もうもうと煙出して焼くの、あれダメね。うま味が全部出て行っちゃう。」と、お皿のカルビをどどっと網の上にのせ、真ん中に寄せて蒸し焼き。確かに煙はほとんど出ていない。少しして「はい、もういいよ。焼け過ぎちゃうからとっとと食べて。」と言われるまま食べる。何か、他の焼肉屋で自分が焼いたものとは全くの別物。うま味が凝縮されていて、ホントに旨い。みんなの表情が緩くなっていく。

その後も、オヤジのおまかせで、地鶏やら、ミノやら、なぜか干したイカやら、ひたすら食べ続けました。極めつけは、ワサビ醤油で食べた霜降りの近江牛。軽くあぶっただけのしんなりした状態で、オヤジがせっせとすり下ろしてくれた本ワサビを上にのせ、醤油をつけて食べる。食感は正しく脂ののったトロ。ますますシアワセ。

店をあとにしても余韻に浸っていたいところでしたが、やり残した仕事を片づけに神宮前の事務所に。シアワセな時間は儚いのでした。

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終わらない…

2005-06-21 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○入稿直前!素読み(誤字・脱字チェック)!!
○DUCAFEへおつかい
○印刷物をテキストデータに(まだまだキーボードたたいています…。一体なぜ終わらないの?涙)
○国会図書館にISBNについての確認
○お茶入れ、ゴミ捨て等雑務

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表現者からの教え

2005-06-20 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○印刷物をテキストデータに(一日中パソコンの前にいたのにおわらない〜!!!!!!)

今日は延々とデータ入力。何が何でも今日中に終わらせてやると。朝から燃えていたし、現に全力を注いでキーを叩いたのだが、結局半分も終わらなかった。それでも、今日はとても嬉しい一日だった。佐藤さんに先日書いた原稿を褒められたのだ。ポットに来てから、仕事のことで褒められたのはこれが初めてだったと思う。しかも、これは僕が初めて書いた原稿なのである。プロのライターの原稿と僕のではやはり出来は全然違っているだろうから、佐藤さんの「結構やるじゃん」には「初めてにしては(結構やるじゃん)」という台詞が省略されていたはずである。それでも初めて自分のやったことが認められたようでとても嬉しかった。佐藤さんが良かった、と指摘した主要ポイントは、「言われていないのにデザインまで考えて原稿を書いたこと」と「原稿がきちんと前ページの文脈や雰囲気に沿って書かれていること」だった。デスクトップに光る佐藤さんの原稿を見ながら、こんな風な紙面が早くつくれるようになりたいと熱望した。

それだけでも素敵なのに。今日僕の幸運はこれだけでは終わらなかった。会議のためにポットを訪れた伏見さんが、貴重な時間をさいて僕に意見をくださったのだ。僕が昔伏見さん宛てにとても生意気なライター志望のメールを書いた時の反応も聞かせてくれて、僕の姿勢の普通じゃなさを改めて気づかされた。中学生のときから僕は他の出版社の方に対しても、失礼で迷惑千万かつ自信過剰な姿勢をとりつづけていたし、それが失礼だとはつゆほど思わなかったのだ。それでも、こんな社会常識も能力もない僕に、あんなに親身になってくださった伏見さんに泣きそうなくらい嬉しかった。僕はここに来るまで、発信者側の視点というものを全く持っていなかったのだと思う。この豊かな日本で生まれた時から色々なものに囲まれて育ったけれど、僕にはそれが占める位置だとか役割だとかがきちんと見えていなかったようだった。

自分は発信者を目指していたというのに、僕は社会を発信者の側から見たことがなかったことに気づいていた。最近、街を歩いているときも、電車に乗っているときも、本を読んでいるときも、常に自分の中にもうひとつの眼が開いているのを感じている。それはポットの皆様が、そして伏見さんが、僕に教えてくれたもう一つの眼である。表現する側になくてはならない、そして僕に足りなかったとても大切な視点である。僕が席を外した時、伏見さんが冗談めかして「早くいい表現者になって、僕をアシストしてよ」と言った。冗談でもすごく嬉しくて、今までにないほどやる気が出た。こんな見ず知らずの僕にたくさんの素敵なことを気づかせてくれたことが本当にありがたくて、夏の夜の帰り道もますます愛しく思えた。雨を予期して持ってきた黒い雨傘だけがうらめしそうに僕の右手に揺れている。風がとても良い夜だった。

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名古屋に行ってきました。

2005-06-15 三好 由布那

カーミラ編集長、井上メイミーと、名古屋祭りに行ってきました。さまざま初めてのことがたくさんあって、東京に帰ってきたときにはヘトヘトに…。全女プロレスやUCのショーを見て、笑い疲れたのかもしれません。。でもホント楽しかったです! 名古屋のみなさんありがとうございました。

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艶やかな夜の宴

2005-06-15 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○社内ネット上にファイルコピー
○新DM作成のため DMサイズ計算
○データ入力(印刷物をテキストデータに)
○お茶入れ、ゴミ捨て等雑務

さて、最近コーヒー中毒である。朝コーヒーを入れる役目を担ってからというもの、その魅力に取り付かれてしまった。ポットで使っているコーヒー豆は、僕が普段口にするようなのとは格が違うとてもいいやつなのだ。もう香りからして全然違う。朝、昨夜皆が残業した気配が残っているぐったりと気怠い朝のキッチン。そのぼんやりしたキッチンの戸棚を開けると、途端に煎ったコーヒー豆の香ばしい香りがふわりと流れ出すのだ。そしてあっという間にキッチンを満たしてしまい、僕は早くコーヒーをいれなくちゃ、と思ってしまう。今までカフェインの力を感じるほど体力の限界に近づいたことがなかったが、今はコーヒーの力がはっきりとわかる。飲むと全然違うのだ。肩から足先まで全身の疲れが麻痺してわからなくなってしまう感じになる。ポットのみんなが、コーヒーとタバコを浴びるようにいただいている理由がだんだんわかりはじめている。つまり、これくらいカフェイン(もしくは、ニコチン)とってないとやってらんねーよ、ということなのではないかと思う。あぁ、それにしても美味しい。外は雨がしとしと降っている。ふー。

夜は、お芝居を観に行かせていただいた。久しぶりに下北沢のノスタルジックな町並みに酔わされ、しとしとと落ちる雨もまた艶やかで、もう僕はすっかり嬉しくなってしまう。劇場に入ると、外の不思議でどこか懐かしい景色にまったく劣らない(むしろますます素敵な)セットが僕らを迎えてくれた。あまりにも素晴らしいので、佐藤部長も「見事なセットだねー」と感嘆の声をもらしていた。日本のお芝居を見るのが久しぶりだったこともあって、僕はその人情とユーモアにすっかり引きつけられてしまいうっとりしながらその小劇場を漂っていた。すごくいい夜だった。

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