2011-06-16

最近ポットでは※がよく炊かれています。
あ、米です。白米です。
一回に6合、7合は当たり前です。
まさに同じ釜の飯を食うなんとやら、です。
白くてつやつや光り、一粒一粒がしっかりと立っている炊きたてのごはん。
あれはなんなんでしょうね。神々しい。

ところで私の母は稲作(をメインとする)農家の長女なのですが、
「米は一生分食べたからもういい」と主張し、パンばかりを食べています。
しかしながら母は基本的には和食を好むので、パンばかり食べる理由の根底には、
パンが好き、というよりは「パンへの憧れが強すぎる」ことがあるのかもしれません。

私が実家に住んでいた頃のいつだったか、
キッチンの上にある滅多に開けない扉を開けると、そこにはあんぱん(つぶあん)が隠してありました。
これは母の、女子高生時代からの何十年にも渡る習性です。
「うちではおやつも握り飯だったのよ。だから外でパンを買ってくると、両親にたいそう叱られてねぇ。
米があるんだから米を食べろってね。だからわたしは親の目を盗みながらパンを食べていたの。
いまだに隠してしまうクセが抜けないのね」
と母は語ります。 米まみれの日常に抑圧されたパンク精神とトラウマを感じるエピソードです。

それにしても農家の人間は強いです。日常が、生活が、決して揺るぎません。止まったら死にます。
ちなみに、そんな母の実家に遊びにいったとき朝食で出される、
おばあちゃんの瓜の浅漬けがめちゃくちゃ美味しいんです。
小さい頃信じていた「米粒を残すと、目がつぶれる」だなんていう迷信を、私はもう信じていません。
すっかり薄汚れてしまいました。
揺るぎない日常の強さを瑞々しく含んだ炊きたてほかほかの白米と、あの瓜の漬け物をもう一度。
願わくば、自分にも農家の血が脈々と流れてあらんことを。