2004-09-28

身体フェチ

武藤大祐 様

左=砂連尾理 右=寺田みさこ 撮影・清水俊洋京都はまだまだ残暑厳しいです。東京はどうですか?
さて、東京、京都間での往復書簡のやり取り。武藤さんからお誘い頂いて、私なんかで務まるのかしらと少々不安ですが、変に気負わず気楽にやらせて頂きますね。

今回、3年程前に書いた私のホームページ上での日録を引用して頂きました。我ながら、あの時こんな事を考えていたのかと興味深く振り返る事が出来ました。

ホームページを開設したのは今から約3年前。日録に身体観察日記のような内容をしばし書いておりますが、この作業はもっと以前、約9年程前からやっております。その時のノートを今引っぱり出して見てみるとノートの表紙に“その瞬間、想った事を書くノート。”と書いていました。タイトルは今見ると笑っちゃうのですが。

思い返せば、練習しながらよくノートを取っていました。バーレッスンや何気ない動きをしている時、今まで知らなかった感覚が芽生えた時はもう嬉しかったですね。図入りで色々と書いてましたよ。

今回、武藤さんとの往復書簡の返事を書きながら何故自分がこんなに身体フェチになっていったのかを考えてみました。そうすると、ダンスとの出会いはもちろんですが、ダンスするなかで出会った寺田さんとアレクサンダー教師の芳野さんとの出会いは大きかったような気がします。

私が今まで主に積んできた練習はバレエやリモン・テクニークです。それらは型がしっかりして、バレエなんかはとても技術的に難しいステップも多くあります。私がダンスを始めたのは19歳のときで、バレエは24歳になってからでした。成長した24歳の身体で初めてピルエットを回る練習をした時は、とてもじゃないけどこれは無理だなと思いました。どのステップも私には速すぎてついていけなかったのです。

そんなある日、同じバレエスタジオで寺田さんのレッスンを見たのですね。いや、ほんと吃驚しました。何に驚いたかというと彼女の身体の使い方が非常に合理的だった事にです。力技でやっている所がほとんどなく、手の先から足先までスムーズにエネルギーが流れていくように見えたのです。全てに無理がなく、空間・時間を(支配するのではなく)楽しみ、味わっている身体に見えました。それは、明らかに今まで生きてきた私の身体感とは違う感覚だと、見ながらにして感じてました。

どうにかして、この身体感に触れる事ができないか、その時から、この私の模索は始まったように思います。普通なら、それは彼女にその才能があるから、と簡単に片付けちゃいそうなところなのですが、私は何故か自分にも獲得出来る、と…。いや、獲得したい!と強く願ったというよりは、勝手にそうなっている自分を妄想してましたね(笑)。もちろんその為には技術習得は大切な事なのですが、幾つものステップをクリアする事に血眼になるよりは、時間・空間をじっくり感じながら、どう動くか、そんな事ばっかり考えながら練習してました。ですから、ピルエットが多く回れるとか、ザンレールが出来るとか、そういう事よりはピルエット1回転でも自分の身体にフィットして気持ちよく回る、それに一生懸命に取り組んでいたように思います。表面的に比較してしまう、比較出来うる身体よりは、内的な感覚のリアルさを求めた身体を目指したのでしょう。

そうなった経緯は、恐らく自分の生まれ育った時代にも少なからず影響を受けているだろうなとは思います。私が生まれ育った時代は所謂、日本の高度成長時代と呼ばれる時代です。中高は受験戦争(金八先生の時代ですね)と叫ばれ、そして大学に入る頃には世の中はバブル、新興宗教も大流行りでした。それがバブルもはじけ、新興宗教もオウムであの通り。そんな最中、寺田さんに出会い、それまでの他者との比較で何かを追っかけたり、追い立てられたりしている身体ではなく、私の身体にしか当てはまらない、そういうとても個的な身体を追い求めていったように思います。国家や集団が提示する身体感は、既に私にはとてもそぐわない、単純にいうと気持ちよくないものだったのですね。

そして、アレクサンダー・テクニークの芳野さんとの出会い。彼女のクラスを受ける事で、普通に立つ事、首をまわす事など、普段何気なく、無意識にやっている事が、いかに複雑であるかということを、意識化していく事が出来ました。身体の構造を学べば学ぶ程、体内感覚は広がり、空間感覚は変化していきました。そう、立つという事だけでも様々なバリエーションがあり、一様ではないという事が分かっていったのですね。そうするとプリエひとつとってみても、筋肉、骨格の意識する所を増やしたり、変化させていく事で、無限のバリエーションを試せて、味わえていけるようになりました。

自己の中から、自分の身体に取り組む事から、世界を再構築し、他者とコミットする。それを集団でやるのではなく、個人として。そして、個に徹しながらも自己完結する事なく、他者・社会と関わる。振り返ってみると、この10年程はそんな事を繰り返し、取り組んでいたように思います。そこに可能性、希望があるのかどうかは“じゃれみさ”の活動に於いて、今なお模索中です。

世界のグローバル化が進み、ますますアメリカのファシズム化が進む今日この頃、私個人としては、無限なる自分の身体の広がりを感じる事、そして自分の身体価値基準には当てはまらないかもしれない他者の身体を認識する事は、却って世界・他者を理解していくうえで、無意味ではないなと思っています。

だらだらと自分史みたいなものを書いてしまいました。
武藤さんの投げかけにうまく答えられている自信はありませんが、今日はこの辺で。

2004年 9月20日
砂連尾理