2012-05-29

新世代で成るエロー内閣の陥穽

1997年の国民議会選挙で左派連合が過半数を制して、ジョスパン内閣が誕生した時に、
ミッテラン政権下で要職に就いていた人物ではなく、『世界の医療団』創立者のクシュネール氏や
オブリー現社会党第一書記、前IMF理事のDSK氏が財務相に就き、緑の党からヴォワネさんら若手が
抜擢され、世代交代が印象づけられた。

あれから15年。エロー内閣で抜擢された人材も世代交代を感じさせる。

フィヨン前内閣ではジュペ元首相が外務相をつとめたが、
エロー内閣では、ミッテラン政権下で30代にして首相を務め、
インフレ緩和の為にレガノミクスを断行したファビウス氏が
ついた。ファビウス元首相は2月にオランド特使として来日し、
野田首相や玄葉外務相と会った後に、帝国ホテルで
お目見えすることが出来た。投票二ヶ月前に、
実質的な選対責任者が来日して驚いたが、
日本は重要なパートナーになると発言されて
いた。本土ではオランドさんが現職陣営から熾烈なネガティヴ・
キャンペーンにあい、ケリー上院議員vsブッシュ息子だった
2004年米国大統領選のようだと表現された。

私の在仏時は欧州憲法条約の国民投票があり、
フランス社会党は賛成だったが、ファビウス氏は
反対にまわり、党幹部から総スカンを食らった。
離党すべきだという党幹部もいたから、隔世の感だ。

官邸を去ったフィヨン前首相で想起されるのは
大統領の代わりに来日し、震災後に石巻市に赴き、
被災者の声に耳を傾けていた姿だ。

エロー前首相はナント市長を務めていた頃、
チベットの旗を掲揚したこともあり、下院で
チベット民族の問題に取り組んだ。

ヴァル内務相はライシテ(政教分離、非宗教性)に拘りがあり、
理念がアップロードされるだろう。サルコジ政権で緩和されたセクト(カルト)規制への
対応が注目される。

かつては唯一の黒人議員だった左翼急進党・会派のトビラさんは
司法相に就いた。海外領土圏が地盤だ。

みどりの党系全国書記の若きセシル=デュフロさんは
地域間平等・住宅大臣に就いた。任期2年だった
緑の党・全国書記で、カリスマ性と人気から
2006年から再選している。

緑の党を、ヨーロッパ・エコロジー&緑の党(EELV)という
新党にするために献身した立役者の1人で党を分裂させず、
まとめあげた。

デュフロさんが就任されたばかりの2006年12月末に、
福島みずほ社民党・党首が渡仏したのだが、メールで
面談依頼を直前にした非礼にも拘わらず、休日である土曜日に
時間を割いてくださったことが思い出される。

EELVの看板であり、全国書記について以来、
EELVは諸々の選挙で議席を大幅に増やした。

国民議会選挙では劣勢で、左派・エコロ派が
社会党支持にいっている。巻き返せるか。

エロー内閣は男女同数だが、フィヨン前首相が
国防相のような要職にも女性を抜擢したが、
外交・内務・国防・財政&金融といった
内閣の要を新政権は男性をあてている。

ナント市長の経験から統治能力は エロー首相はあるのかもしれないが、
1997年からずっと下院議員団長を務める議会の人のように思える。
大統領も首相も閣僚経験がないため、新内閣は未知数だ。

ファビウス外務相のような首相経験があり、党務の経験もあり、
ジョスパン内閣で2000年から財政・金融・産業大臣を務めた
ベテランが主柱になるのだろうか。

オブリー社会党第一書記が入閣しなかったこともあり、
内閣と党の関係に一抹の危惧を覚える。オランド氏に
近しかったが、パリのドラノエ市長は予備選でオブリー氏を
支持した。

大臣18人、大臣代行(たいていは兼職)16人の
集合写真を見ると、橋本行革で大臣数を大幅削減して
一大臣が担う範囲が大幅に広がったのが
よかったのかなと思う。

2012-05-07

サルコジ大統領のゴールイン

これほどの嫌日大統領も珍しかった。

任期5年で公式訪問したのは2008年の洞爺湖サミット、一回。
G8首脳会議で6人の首脳と会談したが、ホスト国の日本の
福田康夫・首相との会談は避けて帰って行かれた。

日仏150周年で3回、その年は来日するはずだったが、
洞爺湖の一回のみ。翌年に訪問するといったものの、
翌年一月の大使館ホームページには、大統領来日の
延期を知らせる文書が掲載された。

外交は大統領、内政は首相という
慣例なのにフィヨン首相が代わりに
毎年のように、来日した。
石巻市を訪問して被災状況を視察した。
現地の市民と交流したのもフィヨン首相だった。

サルコジ大統領は3.11以降、突如、電撃来日。
先進国の首脳として最初に日本入りしたと喧伝した。

シラク前大統領は回顧録Ⅱでサルコジ大統領の
日本嫌いは自身が大の親日家だったことが
影響している、と評している。

経済失策が敗因にあげられよう。
130万人が任期中に職を
失った事実は重い。

しかし、同氏の罪はムスリムを第二次世界大戦前夜の
ユダヤ人化してしまったことだろう。

公の場におけるブルカの着用を禁じるなど、
イスラム教の“異人”化が進んだ。

包摂より排除。

大統領選ではEU域内の移動の自由を保障した
シェンゲン協定の見直しを公約し、内外から
“極右”との非難を浴びた。

フランス国民が願うのは経済危機からの脱却である。
ただ、願わくは排斥から包摂への社会へと変容させる
政策を期待したい。

また、フランス共和国-日本の友好関係の構築を
期待したい。選挙直前に選対責任者・ローラン=
ファビウス元首相が来日したことからも
関係改善への意思が伺える。

同性カップルの結婚・養子縁組がフランスで合法化される?

フランス社会党から送られてきたフランソワ=オランド社会党候補のマニフェストを
改めて手にとる。60の公約が書かれているが、31の約束には

・ワタシは同性カップルに結婚と養子縁組みの権利を開放します。

と書いてある。

議会で法案が成立したら、公約が実現するので
次の闘いは6月10日、17日の国民議会選挙だ。

いまのところでは、社会党-ヨーロッパ・エコロジー&緑の党-共和国市民運動(RNC)-左翼急進党の選挙協力が決まっている。左派はそれに加え、4位につけたメランシャンの左翼連合(左翼党+フランス共産党)が戦線に加わるだろう。分からないのが5位につけたバイルー率いる中道主義政党『民主運動』(MoDem)が独自に闘うか、右派の連合に加わるか、左派の連合に加わるか未だに分からない点だ。バイルーは投票前、オランドへの投票を呼びかけた。

伝統的には決選投票で右派連合vs左派連合vs国民戦線の三つ巴になる。

定数577の国民議会で多数派を占めてこそ、政権交代完了になる。

フランスで政権交代が17年ぶりに実現した!

20h(3:00am)の仏テレビの同時中継をネットで見ている。
大統領選挙の決選投票の結果が出口調査で判明した。

フランソワ=オランド社会党候補が51.9%の票を獲得して
勝利した。サルコジはいわれたよりは健闘した。

社会党大統領は17年ぶり。

勝利宣言するバスティーユ広場は大衆で埋まり、
大騒ぎをしている。

2012-05-03

【最終討論】オランドvsサルコジの勝敗

インターネットでサルコジ大統領vsフランソワ=オランド社会党候補の
大統領選・最終ディベート@TVをインターネット同時中継で見た。

フランス全土が注目する重要な討論だ。

サルコジは落ち着きを以て話す。そして、社会党候補の政策の
弱点を突く。

オランドはサルコジの発言中に早口で発言を一貫して連発し続けた。
発言も熱くなって早口になる。

内容の勝敗はともかくテレビでの映りを理解しているのは
サルコジだ。オランドは内容で勝とうとしようとするのだが、
テレビで視聴者が影響するものの93%はイメージだ。

オランドは野党党首に戻ってしまった。

2012-05-01

フランスの政権交代が民主党の轍を踏まない為には…

ワタシが2年間、フランス共和国に滞在していた折の
社会党・党首は大統領候補のフランソワ=オランドで
あった。記者会見や集会の席で何度も対面したもの
だった。アジア系は1人で最前列に陣取るから顔は
覚えられていただろう。

フランソワ=ミッテラン元大統領に抜擢されたオランド氏に対して
大統領選前はあまり良いイメージを持っていなかった。

まず、欧州憲法条約の批准が国民投票で否決されたが、
あれは支持したフランス社会党が支持者をまとめきれず
反対派のほうが多数であったからだ。その要因の一つは
オランドのカリスマ性と能力のなさ故だった。
リヨネル=ジョスパン元首相がテレビで批准を支持する
理由をとくとくと説明した後は、社会党支持者の半分が
一時期、賛成になった。だが、その後のオランド氏が展開
した賛成キャンペーンは失敗し、社会党支持者の多数派が
反対票を投じた。

次に大統領選2007で社会党候補はオランド氏の長年の
ツレアイだったセゴレーヌ=ロワイヤル下院議員(当時)だった。
社会党党首にあるオランド氏は彼女のブレーン(頭脳)として
一致団結して闘うべきだったが、彼氏は新聞記者との不倫関係に
溺れ、オランドとロワイヤルは険悪な仲にあったことが選挙後、
判明する。大切な大統領選でツレアイが出ているというのに、
党首が不倫が原因の夫婦不仲になっているとは!

オランド氏は1997年から2008年まで
社会党第一書記(党首)を務めた。
閣僚経験はない。いわゆる党官僚という
やつだ。

イメチェンで大統領の風貌を備えてきたが、
統治能力は???だ。

社会党を中心とする左翼連立内閣が
安定し、フランス改革を断行するには
身内ではなく、有能な人物を首相に
就けることだ。ワタシは首長として
改革の実績をつんでいる
ベルトラン=ドラノエ・パリ市長が
首相に適任だと思う。或いは
マルティーヌ=オブリー党首だ。

と、選挙結果が出る前に急いだ
ことを書いてしまった。

Le 6 mai, votez a Hollande.
Changement,
Maintenant.

Le 6 mai, votonz à Hollande

Le changemant,
Maintenant.

Vote à Hollande,
c’est le commençement de l’espérance.

Believe in France.